第70話 変革の兆し

【1】

 最近西部清貧派の各領が亜麻の栽培方法が変わりつつある。

 国よりの減税対象分の麻畑以外は燕麦やライ麦や豆の場所によってはチコリなどの畑に転作を進めている。

 亜麻畑は土地を荒らす。その為輪作を勧めているのだ。

 作付けを五分の一に減らして、亜麻畑が五年で一回りする様に計画して収益を確保する計画を進めている。


 これにより輪作の理解が進み、小麦の生産にも三圃製やノフォーク農法への拒否感が減るであろうことを期待している。

 一部地域では苧麻の栽培も試験的に始めている。

 苧麻はラミー生地の原料になるのだ。苧麻も亜麻と同様に短期間で生育し、しかもこちらは連作がきく。

 更にそれで編んだラミーは丈夫で通気性が良いが、これは糸を撚るために多大な手間がかかるのだ。


 苧麻の繊維を一本ずつ指で割いて細かくし、それを少しずつ手で撚って紡いで行くという大変手間のかかる作業が必要になるのだ。

 沢山苧麻が収穫できてもそれを糸に紡ぐために多大な労力がかかる。

 ライトスミス木工所製の紡績機は役に立たないので亜麻から転作するメリットを感じないので奨励はしていない。


 ラミーは良い生地だが綿布と競合するので価格や生産量で負けるだろう。

 そう、パルミジャーノ州をはじめとした紡績株式組合はその主力を亜麻紡績から綿織機に切り替えつつある。

 夏を過ぎればラスカル王国の綿花市場は崩壊するだろう。

 良質の綿花は全てサンペドロ州のヴェローニャで競り落とされて綿糸に加工される。

 ゴッダードの綿花を落札しても、それで紡いだ綿糸は質が劣る上紡績機の能力も高く人件費も安いサンペドロ州で紡がれた綿糸に太刀打ちできない。


 ハスラー聖公国の商人たちはゴッダードで綿花を落札して国に持って帰っても運送費だけで足が出てしまう。

 ならば安くて質の良いラスカル王国の綿布を買い付けて帰る方がずっと利益が見込めるという事だ。

 なぜなら綿糸は全てライトスミス商会が握っているサンペドロ州の紡績所で紡がれ系列の織物組合に回されるからだ。


 ハウザー王国国境沿い以北の綿花市場は、綿花から紡織産業までの全てを今ライトスミス商会が握っているのだ。

 それでも今大きく問題になっていないのは、生産量があまり多くない事と殆んど帆布に特化しているためだ。


 しかしこの夏にはカンボゾーラ子爵領でフィリポ毛織組合の工場が稼働する。そこで巨大な一枚帆布が生産されるようになるのだ。

 それと呼応して今までリネン織や毛織物を主に作っていた紡織組合の一部が綿織物へと転向する。

 フライトジャイロを備えた最新型の織機でだ。


 ライトスミス商会の系列の紡織組合の工場は出荷の為と言う名目で河縁に建てられている。

 そしてその工場には今、水車が次々と併設されている。

 ラスカル王国の半分以上の土地で一斉に水力による産業革命がおこるのだ。


 その流れはラスカル王国に留まらない。

 ハウザー王国の北端、広大な領地を有するサンペドロ辺境伯が治めるサンペドロ州でも同時におこる。

 冬に収穫の終わった綿花は春にヴェローニャで開かれる綿花市で多分根こそぎ買い上げられるだろう。

 そして水車の回るライトスミス商会の紡績工場で全て糸にされて、ラスカル王国に運ばれて来るのだ。


 そして夏が終わる頃にはこれまでの繊維市場が崩壊する。

 安価で高品質の綿布が大量に市場放出されるのだ。ハスラー聖公国で作られる綿布は全て駆逐されてしまう。

 更にリネンも高級品以外はラスカル王国産綿布がその地位を席巻するだろう。

 もちろん毛織物も北部や東部の旧来の毛織物産地の生産を圧迫する事になるだろう。


 いや、当初はその予定だったが今は状況が更にハスラー聖公国を苦境に追い込むことになりそうだ。

 高級リネン市場も絹が食い荒らす事になるだろう。

 義父上の言う通りハスラー聖公国との戦争になる懸念が現実になる可能性が大きくなってきている。


 しかしこれは私の望むところでは無い。

 もちろんハスラー聖公国にも思うところはある。恨みが無いとは言わないし、教導派の教義を体現したようなあの国の有り様自体に虫唾が走るくらいの嫌悪は有るのだ。

 しかしだからと言って滅びれば良いとも思わないし、ましてや戦乱になればラスカル王国の国民にも被害が及ぶ。

 それを防ぐためにも対策を講じなければならないのだ。


【2】

「ねえエマ姉、今年のゴッダードの綿花市は賑わうかしら?」

「あら、もうそんな季節なのね。綿花市はヴェローニャのお世話が忙しいからすっかり忘れていたわ。ゴッダードはお金に成らないんだもの」

 ああもう既にこの女はゴッダードの綿花市を見限っている。


「ねえ、自分の生まれ育った街で、実家の服飾店も係わりが有るイベントよ。少し冷たすぎるんじゃない」

「あら、シュナイダー商店は色々と押し付けられて苦労したことはあるけれど、あの綿花市には一切お世話になっていないわよ。それにそもそも仕掛けたのはセイラちゃんじゃないの」


 いや、それはそうなのだけれど、それでもゴッダードの春は綿花市で賑わっていた記憶はあるし、懐かしい思い出でもある。

「ゴッダードの綿花市で潤っていた人達もいるでしょう」

「ハスラー商人や東部商人くらいしかいないわね」

「なんで! 宿屋とか食堂とか」

「年に一週間しか無い綿花市に全てを頼ってたら飢え死んでしまうわよ。春の特別収入程度にはなるだろうけれども」

「綿花市場で働く人とかいなかったかしら」

「綿花市の時だけはね」


 そうなのだ。

 昔のゴッダードは多分貧しかったのだ。市民の多くが綿花市に頼らなければいけない程に。

「今ではみんな仕事も有って収入も綿花市が無くても十分食べて行けるくらいに潤っているわ。今のゴッダードはライトスミス商会の街なのよ」


「エマ姉、綿花市の競り市場が無くなるのは寂しいし、あの施設をそのまま廃墟にするのは勿体ないんじゃないかな」

「ウーン、勿体ない…いい言葉ね。お金を無駄にしない言葉ね」

「多分今年の綿花市場は寂しいものになるわ。来年からは綿花市に人も集まらなくなると思うのよ」

「違うわよ。来年はゴッダードの綿花市は無くなるわ。今年で終わるのよ」

 容赦ないなあ、エマ姉は。完全に引導を渡す気だ。


「ただね。それをやると王妃殿下の心証を悪くすると思うの。ハスラー聖公国だって黙っていないわよ。王妃殿下には儲けさせて貰っているじゃない」

「だからと言って、ヴェローニャの綿花市に手心を加えるつもりはないわ。それにサンペドロ辺境伯領の事情は王妃殿下にも判らないのだから、うまく言いくるめられる自信はあるわよ」

 ああ、どうせ責任をファナ・ロックフォールとヴェロニク・サンペドロに押し付けるつもりなのだろう。


「だから、王妃殿下とハスラー聖公国に恩を売る方法が有るのよ。その上綿花市以外使い道が無かった競り市場を年中使える方法が」

「なに? それは、セイラちゃん?」

 ハー、やっと食いついてくれたよ。

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