閑話14 北の大地(3)

【1】

 北海に面したオーブラック州の州都アリゴには最近、辻々に板に膠で張りつけられた印刷物の高札が上がっている。


 海浜に出来たルーションの軍港の利権に領主の浅慮から一切食い込めず、ルーションの活況を指を咥えて見ているだけの市民の不満は高まっていた。

 そんな状況で掲げられた高札は。何より市民の目を引いた

 中には高札の板に直接その内容の要約が書きつけられた物もある。

 拙い雑な文字ではあるが読めぬわけでもない。


 まあ集まって見ている者たち自身が字が読めぬ者ばかりなので対して意味はないように思われたが興味だけは高まっている。

 何より取り締まる衛士や騎士達も字が読めないので書いてあることが理解できていない。


「おい、一体何が書いてあるんだ?」

「札を上げるなら絵くらい描いておけよ。さっぱりわからん」

「おーい、誰か読める者はいないか?」

 呼びかける者がいるが誰も答える者はいない。


「おい、騎士の旦那。あんた読めねえのかい」

「うるさい! 貴様騎士に対してその物言いは何だ! そんなもの俺の職務ではない、とっとと帰って仕事をしろ、仕事を」

 そう悪態をつくと騎士達は帰って行った。


「読めねえなら読めねえと素直に言えば良い物を」

「そう言ってやるな。奴らにもプライドがあるんだよ」

「それで、本当に誰も読めねえのか? こんな物読ませるために代書屋に金を払うのも嫌だが気になって仕方ねえ」


 読めないが好奇心につられた人は集まって来る。

 騎士はああ言って帰って行ったが、その場から帰る者は殆んどいなかった。


「あの…、私で良ければ読みますが」

 頭から頭巾をかぶった娘がオズオズと歩み出てきた。

「なんだオメエは? 未だガキだし女じゃねえか。女のくせに字が読めるって言うのかよ」

「まてよ、そいつ獣人属じゃねえかケダモノの女でその上まだガキじゃねえか。与太を言いやがるとタダで済ませねえぜ」


「待って下さい。私は西のリール州の聖教会教室で学んで働いて戻って来たんです。字は読めます。掛け算だって割り算だってできます。疑うなら石を並べて計算の問題を出してみてください」

「わかった。えっと、二十三を三で割ってみろ」

「はい、七と余りが二です」


「即答かよ。待ってろ、三が一回、二回…七回と二個。合ってやがる」

「なら信用出来そうだ。読んでみな」

「はい…これは清貧派の聖女ジャンヌ様のお言葉のようですね。紙の方は判りにくいのでこちらの要約の方を先に読みます。ジャンヌ様の母上のジョアンナ様はボードレール伯爵様の妹に当たられますが伯爵家の令嬢と呼ばないで欲しいと、母上は平民の騎士様の妻でその娘のジャンヌ様も平民の騎士様の娘ジャンヌ・スティルトンである。ジャンヌ様も母上のジョアンナ様も平民を無償で治癒し善行を積んでいる。教皇はその行いを認め、無償で治癒をして喜捨は平民に施して善行を積むべきである」


「おお、それは事実なのか?」

「こちらの紙はジャンヌ様の印が押されておりますからこちらを今から読み上げましょう…」


【2】

 北辺の東部国境に近いベルラン州の州都ジュラ、そこからほど近い村に獣人属の少年がやって来て紙に名に書かれた物を読み上げていた。

「なあみんな、聞いての通り聖女ジャンヌ様は平民や農民そして俺たち獣人属の味方だ。伯爵家の其れも枢機卿家の血を引いていらっしゃるのにそんな物くそ喰らえだと仰っているんだ! 自分は平民の騎士の娘で、母上のジョアンナ様も伯爵の娘ではなく平民の妻だったとおしゃっている。平民に施す治癒も貴族に施す治癒も治癒に差はない。聖教会に払う金があるなら農村に施して善行を積めと聖教会に意見されたんだ! これがどういう事か判るか?」


「おお、分かるぞ! ジャンヌ様は俺たちの味方だ!」

「俺たちの為に領主に意見してくれているんだ!」

「ジャンヌ様について行けという事だろう」


「ああその通りだが、それじゃあ半分しか正解じゃねえ。聞きな、治癒の金を善行に使えとおしゃってるんだ。貴族共が聖教会に払う金を俺たち農民に回せってな」

「それじゃあ、この春のジョン王子の麦みたいに俺たちに…」

「ああそうだ。ジャンヌ様が、清貧派が勝てば世の中はそうなる。ジョン王太子はジャンヌ様支持者だ。ジョン王太子なら必ずそうする」


「おお、ジョン王太子を国王に!」

「「「そうだジョン国王万歳!」」」

「だがそう直ぐにうまくはいかねえ。国王陛下はあの教皇の言い成りだ。おまけにジョン王太子には妾の子だが兄がいる。愚か者のリチャードだ。こいつ等をのさばらせていたら王太子の命もあぶねえ」


「でも俺たち小作人になにが出来る?」

「そうだ。ジョン王太子を国王になんて一介の農民に出来る事なんて…」

「あのなあ、此処の領主は誰だ? 州都を治めているのはモン・ドール侯爵家だ。奴は国王やリチャードの後ろ盾だ。そのお膝元で何か不都合が起きればどうなる」

「…しかし、俺たちだけでは」


「直ぐに何かしろとか言わねえよ。何かがおこったら、何が正しいか考えてその為に準備しておくだけで良い。鎌や鋤を砥げ、斧を磨け、持ち出せる食い物は隠して貯えておけ、そして心を決めろ。今するべきことはこれだけだ」


【3】

 北部アルハズ州の州都マンステールでは人属や獣人属の若者たちが市民を煽っていた。

 州全体で食糧不足が続いている。

 農村では相次ぐ小作人の逃亡で生産力が急激に低下している上、州外に逃げ遅れた流民が都市内に溢れて貧民街を作っている。


 そういった貧民街は定期的に領主が騎士を派遣して人狩りを行い、強制的に近隣の農村に小作人として送りつけているのだが直ぐに脱走して都市内に帰って来ると言う鼬ごっこを繰り返している。


 また都市の流民たちも何度も騎士たちにひどい目に遭わされているので、先鋭化して

 狂暴化し武装勢力として犯罪に走るものも多く街の治安は急速に悪化している。

 州都内の上流階級街も日が暮れると表を歩く者は当然の事、馬車でさえも行き来が止まる。

 警備の手薄な準貴族や官吏の館などが強盗に入られたなどと言う事件も起こっているのだ。


 その結果ここマンステールでは領主のマンスール伯爵家が州都騎士団の増強を名目に傭兵団を雇い入れて治安維持にあたらせている。

 州都騎士団は昨年から管轄が変わり領主が勝手に動かせなくなってしまったのだ。

 本格的に増強するなら騎士団員と図って訓練を受けた者を集めなければ認められない。


 当然マンスール伯爵家直属の家臣団も居るのだがそれを増強するという事は家臣を増やす事になる為扶持を増やさねばいけない。

 余分な扶持を増やしたくない領主たちは州都騎士団の予算を流用して傭兵団を雇い警備にあたらせた。


 ならず者の集団の様な傭兵に権限を与えた為下町では暴力沙汰が絶えなくなっている。ハングレが街や村を支配しているような状況に市民たちの怒りは頂点に達しているのだ。

 そんな爆発寸前のアルハズ州で各領地の領都や村々、そして州都マンステールでも薄汚れた農民上がりと思われる少年や少女たちが盛んに演説を繰り返していた。


「なんで俺達は食い物が無いんだ? 俺たちが一生懸命育てて刈り取った燕麦やライ麦は全部牛のエサだ! 今までは燕麦も俺達の取り分が有った! 麦わらだって俺達の物だった、麦は粉にしてもフスマくらいは食えた! それがどうだ、今は全部牛が食ってる」

「聞いて! アタイの父ちゃんは冬の間アタイたちに食わせる為に飼葉桶の燕麦を盗んで鞭打ちの処分をされた。今でも体が動かずに働けない。なあ、アタイたちは牛や馬以下なのかい? 飼葉桶一杯の燕麦で死ぬ目にあわされて追い払われるアタイたちは牛より価値が無いのかい?」


 彼らの話しは今自分たちに降りかかっている事と同じだ。いつ自分がそうなるか判らない身では同情よりも怒りがこみあげて来る。


「俺たちが育てた燕麦は全部牛が食っちまう。地主や領主は俺達の燕麦を食った牛を売って小麦の白パンを食っている。じゃあ俺達は何を食えっていうんだ! 牛の糞でも食ってろって言いたいのか!」

「聞いてみんな、アタイはジャンヌ様に守られてるポワチエ州に逃げた。あそこはアタイたちを守って仕事をくれて字も数も教えてくれた。だからみんなにもと思って帰ってきたら、州から出してくれない」


「それならば、此処の領主どもを打ち倒してジャンヌ様に喜捨しよう。どうせ黙ってたって殺されちまう。子供や嫁さんを売られてしまう。ならやられる前にやっちまおう。鎌を研げ! 斧を磨け!」

「「「「うおぉー!」」」」

 北部諸州は坂道を転がり落ち始めていた。

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