第64話 ジャンヌの言葉の陰で
【1】
怒りに震える私を一瞥してニタリとさもしい笑みを浮かべて演壇を降りて行ったジョバンニの顔を忘れる事が出来ない。
辺り一帯は歓声に沸き立っていた。
教導派信徒にとっても治癒治療の価格差は不満があったのだろう。開明派の大司祭の誕生だと沸き立っている。
清貧派信徒にとっても私の主張した治癒治療の独立性が認められた、清貧派の勝利だと喜ぶ市民の歓声が響いていた。
間違ってはいないけれど奴らのやり口は変わっていない。
私としては忸怩たる思いがある。搾取対象の意味を変えて新たな大義名分を与えてしまったのだから。
ジョバンニは聖教会でも私たちの料金体制を採用するとハッキリといった。
奴らはさらに、その上に原罪を癒すという名目の贖罪の料金を喜捨として上乗せしてくるのだ。
集まっていた商会主たちは今回の教導派聖教会の方針転換で、診療所がこの先確実に伸びると踏んだのだろう。
アヴァロン商事の番頭であるマイケルのもとにフィリポの街の治癒院への投資の話しが殺到している。
当然だが、どこから湧いて出たのかエマ姉が南部のグレンフォード治癒院やフィリポの治癒院に薬師の教育施設を併設させる為の投資話でさらに投資家を煽っている。
もちろんこれで治癒術師の地位向上や人手不足も解消されるうえに、薬剤師や予防医療の発展も見込めるだろうが本来の目的はそこでは無かった。
教導派聖教会の搾取と腐敗を止めさせることがその目的なのだ。
本来教導派聖教会の利権の温床になっていた教育の解放と救貧院の廃止と治癒の喜捨の適正化と言う三本柱を打ち立てる事が私の目標だった。
救貧院は長年かけて聖女ジョアンナの頃からの先人の努力と、ジャンヌの情熱も有って廃止する事が出来た。
教育は清貧派所領だけではあるが聖教会教室と聖教会工房によって貧民や獣人属にも開放する事が出来たが、教導派地域までは手が入っていない。
そして治癒治療についてはやっと方針が決まって緒に就いたばかりだった。
初手から王族や高位貴族を味方につけて勢いでゴリ押し出来たせいで、思わぬ成果が上がって調子に乗ってしまったようだ。
結局先読みと検討不足で私たちの成果は得られたが、教皇庁に新しい搾取の口実と手段を与えた上に、治癒院の利権迄与えた事になってしまった。
その上意図しない清貧派若手貴族子弟と中堅貴族たちに溝を作る結果にもなった。
「ごめんよ『冬海』。勇み足だった。まさかこんな結果になって、聖女ジョアンナの名まで傷つける事になって…」
「悪いのは『父さん』じゃない。皆ペスカトーレ家が悪いのよ。就任演説の時も集まった聴衆には労いの言葉はおろか、挨拶さえせずに演壇を降りたそうじゃないの」
「それだけでは御座いませんよ。あのいけ好かない大司祭は何段も高い上からみんなをバカにしたように見降ろして、最後にこちらを見て薄笑いを浮かべて。ああ、今思い出しても腹が立ってきます」
一本気のリオニーは堰を切ったように怒りの愚痴をジャンヌにぶちまけている。
「今回だけはぁ、セイラ様がブチ切れて怒鳴った時もぉ止める気がしませんでしたぁ」
「ええ、あの男が聖女ジャンヌと言い直した時はスカッとしましたね」
ナデテもアドルフィーネもやはり腹を立てていた様だ。
翌日には聖女ジャンヌ自らゴルゴンゾーラ公爵家の聖教会前の広場で自らの見解を述べた。
先ず昨日私の言った自分と母ジョアンナの身分についての事。
ジャンヌは母ジョアンナにつき従い守り抜いた、そして幼子たるジャンヌを凶刃から守り自ら命を賭したスティルトン騎子爵の娘である事が何よりの誇りであり、母であるジョアンナの本心でもあったとドミニク司祭を始めとする最側近の人たちからも聞いていると。
そしてジョアンナの命を縮めた者こそ、貴族の地位を笠に無理を押し付けてきた前国王や王太后とそれに連なる高位貴族たるモン・ドール家やペスカトーレ家ではないか。
教皇に逆らう清貧派のジョアンナは旅先の治癒でも聖教会にすら入れず、それを命の危険も顧みず助けたのは平民出の聖職者や農村や城下の平民たちだった。
それを考えれば貴族令嬢と言われること自体が屈辱でしかない。
何より平民に助けられ施した貴族に対する治癒が原罪を癒すなら、その助けになった平民に施した治癒が原罪を癒さぬ筈は無い。
平民を癒せぬ治癒ならば高位貴族達に施した治癒も全て原罪を癒す事は出来ていないはずだ。
ジョアンナの施した農村や市井の貧民の治癒と貴族への治癒が同等であったと認めよ。
市井の貧民と高位貴族に施した治癒に差が無い事を認め、市井に貧民や農民に対する無償の治癒に対してこそジョアンナの功績として称えよ。
そもそも原罪の免罪は告解と真摯な祈りと善行によって成されるものであり、金銭で購う者では無い。
治癒施術に原罪を癒す力がないなら金貨には尚更その力など無い。
贖罪符を購う金貨で貧民を救う事の方が何倍も善行を積み原罪を癒せるではないか。
目の前に積める金貨があるならば直接の善行にその金貨を使うべきである。
このジャンヌの見解を聞きに来た清貧派の信徒たちは贖罪符に費やされる金が炊き出しや食糧援助に回されることを期待して歓迎の意を示した。
清貧派の重鎮貴族たちもこの発言で若手貴族子弟の跳ね返りを押さえる事を期待して満足を示した。
そしてそんな場で演説を聞いていたエヴァン王子やエヴェレット王女たちハウザー留学生たちは福音派聖教会が教導派の真似をして贖罪符を発行する前に先手を打つべくジャンヌの演説内容の精査に入っていた。
その中でド・ヌール夫人が嗚咽を漏らしながら涙を拭う事すらなくジャンヌの演説に聞き入っていた事を気付く者はいなかった。
その翌日もロックフォール侯爵家の清貧派聖堂で同じ演説が成され、その内容は印刷されて王都の各清貧派聖教会はおろか国中の聖教会に配布された。
清貧派諸領は当然であるが、驚いた事にどういった伝手を辿ったのか教導派の領地内でも州都や領都にビラとして貼られ始めている。
それもジョン王子派や中間派の領地だけではない。
教皇派の州でも領都や州都にゲリラ的に張られるのだ。
そう言った州や領は識字率が低く州兵や領兵でも気付く事が少ない。
それなのに誰が読んで聞かせているのか庶民の間で何故かその内容が浸透していっているのだ。
私たちの知らないところで何か動き出している。
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