第30話 エポワス伯爵邸

【1】

 エマはその日の午後に近衛騎士団に鹿革を卸し、受領書のサインを貰うと密かにエポワス伯爵邸に向かっていた。

 モン・ドール中隊長が納品された鹿革の細工に気付けば、必ずエポワス伯爵に苦情を持ち込むことは火を見るより明らかなのだから。


 案の定モン・ドール中隊長が兄の教導騎士団長に伴われてやって来た。

 エマはリオニーを使いに出して、エポワス伯爵が応対している間にメアリー・エポワス伯爵令嬢を、靴のデザインの相談の名目で自宅に帰宅させた。

 そして二人で伯爵とモン・ドール兄弟のやり取りを窺っていた。


「エポワス副団長閣下、我々は謀られました。納品された鹿革は使用に足る物では御座いませんでした」

「これは異なことを。革自体は上質のなめし革で、重量も間違いなく確認した。そして納期も十一月の末日に間に合わせた。どこに齟齬があると?」

「齟齬も何も、こんな穴の開いた鹿革でシュールコーは取れない。使い道が無い」

「? シュールコー? 初耳ですな。そんな事は初めて聞いた。ワシは鹿革七十五ギースとしか聞いておらんが」


「いや、シュールコーは申していないが、この革ではチャップスも取れないではありませんか」

「上手く縫製すればとれん事は無いと思うが、まあ気に入らぬと言うのなら契約の段階であちらにその旨伝えておくべきでしたな。納期をもう少し早めに指定しておけばここ迄土壇場でオロオロする事も無かったでしょうな」

 哀れな程に狼狽するモン・ドール中隊長に対して、示唆していた再交渉の事も納期の前倒しの事も事前忠告したと突き放した。


「それはそうですが、もう少し契約時にやり様があたのでは…」

「ワシは忠告もした。方法も教えた。モン・ドール中隊長の責任だ」

「しかしあなたは上司では御座いませんか。弟も中隊長とは言え栄光ある第七中隊。しかも教導騎士団長でもある私の縁続きの者ですぞ。モン・ドール侯爵家の一族なのですよ」

 それに対して、モン・ドール教導騎士団長は不満の様で、なぜそこまで気付いていたなら何も手を打たなかったのかと嫌見たらしく文句を言ってきた。


「身分が違う! 貴様、一介の聖教会の私兵風情が国権の最高峰である近衛騎士団の副団長たるワシに、貴様の弟の使い走りをしろと言うのか! 忠告はした、方法も示した。それも同じ教皇派閥の誼でな。ワシは近衛騎士団の副団長として王家と国家以外の下につく事は一切ない」

 エポワス伯爵の声が響いた。

 エポワス伯爵のその一喝で二人は完全に沈黙してしまった。


 その後はエマがその場に呼ばれてモン・ドール兄弟との交渉が始まった。

「お初にお目にかかります。シュナイダー商店店主代理のエマ・シュナイダーと申します」

「貴様が、エマ・シュナイダーか! おのれ謀りおって」

「これは異なことを申されますね。私、あなた様とお会いしたことも言葉を交わした事も御座いませんが。文の一つさえ送った事も送られた事もございません。面識も繋がりも無い貴方様が、何を持って謀ったと申しているのかとんと見当が付きません」


「ふざけるでないわ。今回の皮革の納品、よくもこの様な事をしてくれたな!」

「私がエポワス副団長閣下と交わした契約についての事ならば、何一つ瑕疵は御座いませんが。これで謀ったと言われるのであれば契約書に偽りが有ったと言う事でそちらに非が有るのでは御座いませんか」

「黙れ、こんな革からどうやってシュールコーを作れと言うのだ!」

「存じませんが、契約にはその様な事一切書かれておりませんでしたよ。エポワス副団長閣下からは詳細を詰めに誰かが来るかもしれないとは伺っておりましたが、結局誰もいらっしゃいませんでしたし。それを今され申されても」


「モン・ドール教導騎士団長殿、契約内容を細かく詰めておらなかったのは貴殿らの落ち度では無いのか」

「クッ…。ならば契約内容の追加項目だ一枚革が入用だ! 一枚革で七十五ギースを用意しろ」

「ならば再契約と言う事でしょうか。私どもは以前の条件でもう既に近衛騎士団に革を納めております。ですので新規契約と言う事で宜しいでしょうか?」


「違う! 今日の午後に納められた革の変更だ!」

「なら契約内容の見直しと言う事ですね。一枚革で七十五ギースと言う事ならば価格設定も見直す事に成りますね」

「何を申しておる! 七十五ギースで金貨六十枚…」

「その契約でその金額に見合った皮革を納品いたしました。そちらで契約を一方的に反故にされると言う事ならば違約金一割の支払いで手を打ちましょう」


「違うだろう。誰が反故にするなどと言った! 鹿革は購入する!」

「エポワス副団長閣下、これは近衛騎士団のご契約なのですか?」

「いや、近衛騎士団の供出契約はワシのサインで完了している。これは教導騎士団の契約だ」

「ならば新規契約ですね。一枚革で七十五ギースならば鹿革二頭分くらいでしょうか。それならば当商店としては金貨百枚は頂きたいものですね」

「バカな! もう既に金貨六十枚を払ったであろうが!」

「ええ近衛騎士団の供出契約で前金で頂きましたから、先ほどエポワス副団長閣下にお納め致しました」


 それまでのエマとのやり取りに怒声を挙げていたモン・ドール教導騎士団長は疲れた様に小声で言った。

「違う…。そんな金は出せん。今ある革を引き上げて一枚革に交換して貰いたい」

「ならば再契約ですね。六十が手付としてあと金貨四十枚で調達に向かいます」

「今はそこ迄金が無い。後付けで支払うからそれで頼みたい」


「ならば規約書を用意いたしますので、残金は引き渡し時と言う事で。ただし今回限りで次は御座いませんよ。サインがいただければ調達に向かいますわ。トラブルが無ければ十二月の九日にはシャピに交易船が一艘入る予定なので、入札に参加致します」

「待て! それでは間に合わん。今だ、今すぐ。明日の昼までには必要なのだ」


「それは無理と言うものでしょう。他所の商会から調達するにしても明日一日では到底出来る事ではありませんよ。早くて今週末、遅ければ五日後ですね」

「頼む、明日の昼までに一枚でも良いから用立ててくれ」

「お金も無く、その様な無理を言われても…」


 そこに部屋のドアが開いて突然メアリー・エポワス伯爵令嬢が入室してきた。

「エマさん、そこの哀れな方々の望み聞いてあげて下さいな。エヴェレット王女殿下が私の為に発注して下さったスカート用の革をそちらの方々に用立ててあげて下さいな。こうして父上におすがりしているのですから、それ位の慈悲はエポワス伯爵家としても見せるべきだと思いますの」


「分かりました。お優しいメアリー様のお言葉に免じて、この度納品した鹿革すべてと引き換えにエヴェレット王女殿下が発注された鹿革を御用立ていたしましょう。エヴェレット王女殿下には後付けになりますが事情を御説明してご了承いただけるように私からお詫び致します。リオニー、契約書の用意をお願いするわ」

 その結果鹿革の端切れ七十五ギースと交換に鹿一頭分の革がモン・ドール兄弟に渡され、それを持って二人はすごすごと帰って行く事に成った。

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