第119話 開店セレモニー(サンペドロ州2)
つまらなさそうな顔でファナは会釈をするとすぐに席についてしまった。
エマは満面の笑みで周囲の貴族や商人に愛想を振りまいている。
そしてその父のドゥアルテ・シュナイダーは緊張でカチカチに固まってしまっている。
「エマ、いい加減に座りなさい。あなたに言いたい事が有るのだわ」
「えっ? どう言う事なのでしょうか」
「例のアーモンドとか言う物のパウダーもスコーンに入れるあの粉もなのだわ。あなたの商会が提供する白い粉の製法をとっとと教えるのだわ」
南方で採れるアーモンドはラスカル王国では知られていない。新しい輸入品として紹介するつもりだと、セイラが言っていたので製法も原料もエマは秘密にしている。
「それはお断りいたしますわ。顧問料はキッチリお支払いしておりますもの。残念でございますが」
「グリンダといい貴女といい我が侯爵家を舐めているのだわ。本当にライトスミス商会は腹立たしい限りなのだわ。商店主のセイラ・ライトスミスのレシピが無ければ係わり合いになりたくないのだわ」
「ですので、根幹に係わることは秘密にしておりますわ」
「あの、侯爵令嬢様。あちらでグリンダ殿がなにやら合図しておるのですが」
ドゥアルテがおずおずと告げる。
「あんなメイド待たせておけばよいのだわ」
「でも辺境伯様もお待ちのようですし、王子様にご挨拶も必要なのでは御座いませんでしょうか」
「エマ、この方はホントに貴女の父君なの? 親子とは思えないほど小心者なのだわ」
「まだお金になるかどうかわからないのに父さんはオドオドしすぎだわ。でも、お金になるかもしれない相手なので待たせるのは失礼かもしれないわ」
「いや、そう言う意味ではなく王子をお待たせするのは失礼かと…。わしの考えが間違っているのでしょうか…」
「多分間違っているのだわ。侯爵令嬢の私が言うのだから間違いないのだわ」
三人は主賓席の前に来て、ファナは優雅にカーテシーする。シュナイダー父娘は深々とお辞儀をする。
「遠くラスカル王国より良くぞ参られた。余がハウザー王国第二王子エヴァン・ウィルアムズである」
「本日はお招きに預かり光栄で御座います。この良き日にご拝謁できた事光栄の至りでございます」
ファナの挨拶に続いてドゥアルテが挨拶を行う。
「本日はシュナイダー家父娘共々に拝謁の栄を賜り恐悦至極にございます」
「本日は良くぞ参られた。さあもう少しこちらに来られよ」
サンペドロ辺境伯が両手を広げて三人を迎える。
「ご来賓の皆へ伝えたいことが有る。こうしてラスカル王国よりお呼びしたお三人はブリー州の重鎮である。ブリー州を治める侯爵家令嬢と州都ゴッダードの商工会の重鎮シュナイダー家の当主殿、そしてこのメリージャでも有名なライトスイス商会の幹部エマ嬢だ」
サンペドロ辺境伯の言葉に金の匂いを感じ取った領主貴族や商人達の目が一斉に三人に注がれる。
「ご存知のようにブリー州は国境を挟んで我がサンペドロ州と隣同士。商人の往来も活発な州じゃ。国同士のことはともかく我が州とは友好的な州で、これからも更に密接な友好関係を結んでゆきたい」
会場から賛同の拍手が起こる。
「そこでこの度、ブリー州のロックフォール侯爵家やゴッダードのゴーダー子爵家と計らって新たな試みを行う事とした」
他国の貴族との協業という言葉に来賓の特に貴族達の目つきが変わる。
「これまでゴッダードでのみ行われていた綿花の競り市を一部このサンペドロ州でも行うという試みである」
会場全体からどよめきが上がる。
「このサンペドロ州で競り市? 事実ならば大きな利益になる」
「本当に可能なのか? ゴッダードでの競り市はどうなるのだ?」
「よくブリー州が承諾したものだ」
「買い付け商人は? どこから商人が来るのだ?」
驚愕と困惑の声が収まるまでサンペドロ辺境伯は静かに待っている。
「国境に続く中央街道に競り市の会場が出来ておる。倉庫も仮設の宿舎も有る。まずは試みであるためあまり立派なものではないが、うまく行けばこれから立派な施設に発展してゆくであろう」
すでに投資がなされ倉庫まで作られているという言葉にサンペドロ辺境伯の本気度が伝わったようだ。
会場からため息と期待の視線が向けられた。
「今回サンペドロ州で買い付けられる綿花はゴッダードの取引量の一割を見込んでおる。但しうまく行けばゆくゆくは全体の半分は我が州内で買い付けを行いたい」
商人の中からおずおずと質問の声があがった。
「あの…辺境伯様。本当にそれでゴッダードは了承されたのですか。どう考えてもラスカル王国に不利益になると思われるのですが…」
サンペドロ辺境伯を制してファナ・ロックフォールが答える。
「それには私が答えるのだわ。もちろんゴッダードでの取引量が減れば商人がゴッダードへ落とすお金は減るのだわ。でもあなたも商人ならば知ってると思うのだけれど、綿花の競りにブリー州の商人は誰一人参加していないのだわ」
「それは存じておりますが…?」
「今回サンペドロ州で買い付けに参加するのはゴッダードの商人なのだわ。この意味はお判り?」
貴族達の一部からつぶやき声が上がる。商人間の取引がわからないのでファナの説明が理解できない者がいる。
「ああ、そう言うことで御座いますね。教導派ガチガチのハスラー聖公国やラスカル東部州の者は絶対にハウザー王国の国境は越えない。やつらの上前をはねるのですな」
「そのような大それた事は考えておりませんわ。私どもは慎ましい商人で御座いますわ。ハウザー王国の皆様方へ少しでもご助力が出来ればと微力ながらお手伝い致したいだけですわ。ゴッダードと同じ価格でも税金や旅費を考えるとずっと利益になるのではありませんか」
「どの口がそんな殊勝な言葉を吐くかしらね。慎ましいではなくて、浅ましい商人の間違えなのだわ」
エマの耳元でファナが小声で嫌味を言う。
「我が父のシュナイダー商会はゴッダードで綿布やリネン生地を手広く扱っている目利きの商人ですの。直接競りには参加していませんが競り市のノウハウや知識、相場は良く心得ておりますの。皆様方に損はさせませんわ。ハスラー聖公国の商人よりはずっと良い条件で引き取らせていただきますわ」
「みなさまよろしくお願い申し上げます…」
ドゥアルテ・シュナイダーが最後に一言だけ口を開いて挨拶が終わった。
サンペドロ辺境伯の爆弾発言に会場の熱気は覚めやらず、あちらこちらで招待された商人や来賓の綿花産地の貴族や農場主の話し声が続いた。
ドゥアルテ・シュナイダーは緊張で汗だくに成りながら挨拶だけを延々と繰り返している。
エマに探りを入れてくる商人や農場主も大勢集まってきている。
勿論エマは隙など見せず、父のシュナイダー商会長を連れて関係者の攻勢を掻い潜り情報だけを収集して行く。
「はあ、南と言えばやはり冬は暖かいのですね」
「まあとても雨が多い地域なのですね」
「近くでは米が取れるのですか、商会主が米を所望しておりまして。ああ、そちらは台地で水捌けが良いので稲作はやって無いのですか」
反対にファナは王子とヴェロニカの間に座り美食談義に終始していた。
「このファナセイラは、初めて私の名を冠した食べ物なのだわ。そしてファナクレープは私の自慢の一品ののだわ」
「ほう、それは賞味したいものだ。私はたっぷりのグラナデンのソースをかけて味わいたいぞ」
「余も食べてみたいとは思うが、なかなか王都からは出られぬ」
「ここに我が家のザコがいればセイラフランの実演も可能なのだわ。機会が有ればぜひ王子殿下にもご賞味頂きたいのだわ」
「其方のように自由に旅が出来る身が羨ましい限りだ」
「王子殿下は私と同い年であられるのだわ。ならば交流と後学の為にラスカル王国の王立学校に留学をなされば良いのだわ」
「おお、それは名案だな。それならばサンペドロ辺境伯家も大いに後押ししようではないか。我が家とも縁の深い王子の将来の為ならば幾らでも骨折りを惜しみませんぞ」
サンペドロ辺境伯が乗り気で会話に割って入って来る。
それらの声を何一つ聞き逃す事無く、グリンダは全身を耳にしながら会場を影のように回っている。
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