第106話 オーブラック州の悪夢

【1】

 アルハズ州では州都騎士団が中心になってマンステールの街でかつてのアントワネット派の徴用市民を集めて州外に送り出す準備を進めている。

 領主家にも聖教会にも多大な怨みをかかえている徴用農民は領主家にとって不穏分子以外の何者でも無いので諸手を上げて歓迎している。


 そしてその徴用農民たちはその旅程で教導騎士団への恨みとペスカトーレ侯爵家への憎しみをしっかりと教育され、武装訓練を施されながら隣のダッレーヴォ州に輜重部隊と共に入り込み脱走農民と入れ替わって州兵志願所に赴くのであった。


 ダッレーヴォ州の沖合にはシャピの商船団がルーション砦の海軍軍船と共に停泊しアジアーゴに集められてくる主に獣人属を中心とした小作人や港湾作業員を半ば強制的に輸送船に詰め込んでいた。


 アジアーゴの港は一触即発状態ではあるがどうにか平穏が保たれていた。

 搾取され差別されていた獣人属は率先して船に乗り込んだ者が殆どで、海軍の士官たちが目を光らせているので雇用主たちも表立って抵抗は出来なかったからだ。


 何よりペスカトーレ侯爵家の反応が鈍かった。

 ジョバンニ・ペスカトーレとペスカトーレ教皇がいるというのにだ。

 やはり実質の支配者は領内に不在のアントワネットとペスカトーレ枢機卿なのだろう。

 その枢機卿は王都の大聖堂に鎮座しており、アントワネットはアルハズ州から帰ってきていないようなのだ。


【2】

 オーブラック州のデ・コース伯爵家がとうとう州都やその領域への獣人属の排除を撤廃した。

 これによって、これまで仲買人を通して何人もの手が入っていた商品は格安で州都や周辺都市に流れる事になった。

 市民は歓迎したが、それはこれまで中間搾取により儲けを貪っていた流通業者や卸業者、仲卸業者がはじき出される事となった。


 そして州都の中枢に力を持っているのもまたその弾き出された者たちだったのだ。

 当然デ・コース伯爵家は以前より卸業者のルーション砦への参入を望んでいた。

 海軍はそれを全て匿名入札であしらって来た為領内の業者はその要領すら理解できず賄賂と権力が通らない為食い込む事が出来なかったのだ。


 デ・コース伯爵家はそれが獣人属排除の報復であると勝手に判断していた。

 そしてこのたび獣人属の排除の撤廃を行い、双方の移動の自由を認めた結果がこれだった。

 海軍も物資の搬入は公開入札に切り替えて入札額を開示したところ、ルーション砦内と州都アリゴでの価格差が凄まじい事が知れ渡った。


 何よりこれまでルーション砦から商品を運んでアリゴで捌いていた商人たちが暴利を貪っていたことが知れてしまった。

 そして獣人属の商人たちが細々と荷馬車で持って来る商品は今までのアリゴで出回っている商品価格の半分以下で飛ぶように売れた。


 同じ様にアリゴの商人もルーション砦より仕入れたものをアリゴに搬入し売るのだが、彼らのやり方は違っていた。

 自分たちの商品価格を下げるのではなく獣人属の商人の販売を妨害しだしたのだ。

 店先で暴れる、商品に砂をかけるなどは日常茶飯事で露店をケンカに見せかけて壊したり、日中堂々と荷を運ぶ荷駄を襲撃したりといった行為が相次いだ。


 そして州都騎士団には州庁舎警備が命じられ市内は教導騎士団の監視に変えられてそういった行為は見逃されていた。

 その為海軍の海兵から数人の護衛がついて獣人属の商人が安全に露店を出せるようになったが、その数は知れていた。


 朝露店が開かれると同時に人が殺到し鐘一つも立たぬ間に売り切れてしまうのだ。

 飼い損ねた市民たちは不満をあらわにし、露天商にもっと品物を出せと詰め寄る者も多数いた。

 たいがいは海兵に追い払われて店じまいとなるのだが、獣人族に対する差別意識が強いこの街では中には投石をする者もいた。


 この価格差と供給不足は新たに火種を生む事になった。

「そもそもケダモノ共だけが安い麦を食っている事がおかしいじゃないか」

「海軍の力を笠に着てケダモノだけが利益を貪っているんじゃないのか?」

「見てみろ、奴らが持ってきた麦も自分たちの残り物を少し売って帰るだけだ。この街に何人の人属がいると思っているんだ! 奴らのおこぼれだけじゃあ足りねえんだよ!」

「自分たちは安い麦を食って、そのおこぼれを俺たちに売りつけてカネを取っている! ケダモノの分際でな! こんなこと許していいのか!」

 当然焚き付けているのは街の小売業者や仲買の連中の息のかかった者たちである。


 明確で簡単に踏み躙れる標的を提示された市民は不満のはけ口を、やって来る獣人属の露天商たちに向け始めた。

 露店が襲撃され略奪にあった為数人の海兵では守り切れず、露天商たちを連れて逃げる事しかできなかった。

 その結果これまで来ていた獣人属の露天商はまたルーション砦の前の柵の外の町に引きこもってしまった。


 これで事態は解放宣言前に戻るかと思えたがそうはならなかった。

 しばらくするとアリゴの街からやって来た反獣人属の市民がルーション砦の前の柵の内側に集まりだしたのだ。

 当然ルーション砦の柵の内側の町に住む者もそれに呼応して騒ぎ始めた。


 柵の内側では声高に獣人属排斥のアジテーションを行う者が多数出て、罵声が乱れ飛んだ。

 砦前の町を守るため警備に回る海兵にも石が投げられて、いつしか策の内側からの大量の投石が始まった。


 怯える作業員やその家族、そして商人たちを簡易宿舎に避難させてその日は凌いだが、夜になると数か所で放火が発生した。

 幸いどれも海兵が駆けつけてボヤで収まったが、危険を感じた海軍は砦の外の町の住民を砦の切通の内側に避難させた。


「おい! 見ろ! 奴ら荷物を持ち逃げしているぞ」

「そもそも俺たちが得るはずだった食料や物資をかすめ取ったくせにそれもまた持ち逃げしようとしていやがる!」

 まるで身勝手な理屈が策の内側の反獣人属暴徒から発せられると、あたかもそれが道理の様に群衆に流れ始めた。


 海兵に守られて非難する砦の住人達に対してしばらく投石や罵声が浴びせられていたが、とうとう柵の扉が開かれて暴徒たちが濁流の様に暴れこんできた。

 海兵は住民の避難を優先させ最後の住民が切通しの内側に逃げ込んだ頃には簡易宿舎は破壊され略奪が始まっていた。


 そして砦の前に出来た作業員たちの町はめぼしい家財は持ち出され家はつぶされて火がつけられ翌日の朝には焼け野原と化していた。

 これまで武力行使に出なかった海兵を舐めた暴徒は砦の切通しの前の崖下に集まり気勢を上げたいたが岩山をよじ登ろうとするものが現れ始めた。


 それまでは州兵や領主との軋轢を避けるため我慢していた海兵たちは槍を持って丘の上に並ぶと先頭に立つ初老の男が声を上げた。

「わしはこの砦を管轄するクルクワ男爵である! 聞け! この丘よりこちらは海軍の管轄地で治外法権である! これ以上の侵入を試みるものがあれば処分する! 命が惜しくば直ちに帰れ!」


 その声とともに海兵たちが手にした槍が足元の崖に向かって突き立てられ、崖上間近まで上がってきていた暴徒たちが突かれて落下して行く。

 それに気付いた暴徒たちは慌てて崖を下り始めた。

 崖下に墜落死した数人の遺体を放置したまま暴徒は切通の周辺で海兵とのにらみ合いが続いた。

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