第9話 革加工ギルド(1)

【1】

 ラスカル王国の東部や北部、そして西部からも陸路を通じてなめし革がエポワス伯爵領に次々と運び込まれている。買い付けと運送を行うのはオーブラック物流商会でその資金は近衛騎士団の輜重管理部署から出ている。

 それだけではない。

 ハッスル神聖国からスカウトした革職人以外にもラスカル王国の北部や東部の諸領から見習いや下請けの職人が集められている。


 そしてこれもラスカル王国内、東部や北部の革なめし職人も、不良在庫化しかけているハッスル神聖国の生皮と共にエポワス伯爵領に向けて移動を始めている。

 そもそも穴の開いた革を引き取らないと言ったのはハッスル神聖国だという論点で職人ごと搔き集めて来たようだ。


 そして、エポワス伯爵領を中心として、伯爵領が所属するヨンヌ州内に靴工房やなめし革の大型工房が設置し始められている。以前私が教えた事をエマ姉は実行に移し始めているのだ。

 工房が近場に集まっていれば大量輸送、大量保管が出来るので他州より有利に生産が出来る。

 又川上から川下までの生産工房が並んでいれば更に都合が良いと言う事だ。

 さすがに流通条件の悪いこの世界では、かんばん方式は無理だろうからね。


 エポワス伯爵領を中心にヨンヌ州を靴生産の中心地にする事がエマ姉の目的だと思っていた。

 新型の革靴はこれから主流になる。

 今までのただの袋の様な革靴はすぐに淘汰されてしまい、数年で無くなってしまうだろう。

 既存の靴工房が今の靴に方向転換しても技術面だけでなく、流通や生産の集約化により価格面でも太刀打ちできないからだ。


 しかし私の読みはエマ姉の目論見のほんの入り口しか見えていなかった事が後になって気づくのだ。


【2】

 秋が深まる頃になるとまずハッスル神聖国から詰問状を持った商人が王都のライトスミス商会に現れた。

 東部でハッスル神聖国から生皮を買わされた商人たちは、加工したなめし革の二割程度しかハッスル神聖国の商人に売却していなかったのだ。


 詰問状は仲買のオーブラック商会と購入元のシュナイダー商店の親会社扱いになるライトスミス商会代表、セイラ・ライトスミス宛である。

 セイラ・ライトスミスは表に出られないので、私はオブザーバーとして参加し、商会主代行として対応に出たのはオズマ達オーブラック商会の幹部を伴ったエマ姉だった。


「詰問状は読ませて頂きましたわ。ただ一体何が仰りたいのか理解が出来ないのです」

「理解できない? 何を! 我々が納品した生皮のうち二割しかなめし革として戻ってこなかったのですぞ!」

「それが何か問題でも? 生皮はちゃんと料金をお支払いしてなめし革工房が買い取った品物で御座いましょう」

「そんな事当然ではないか! 生皮の話などしておらん。なめし革の事を言っておるのです!」


「ですから、購入した生皮のうち二割はなめし革の製品としてそちらにお売りいたしたはずですが」

「そうだ。二割しか納められていない」

「なめし革職人は二割分の金額しかそちらに頂いておりませんが。それ以上の売買契約も結ばれていないようなのですが」


「それはそちらの商会が掠め取ったからであろう」

「これは異なことを仰いますね。腐って穴の開いた生皮を使ったなめし革は買い取らないと仰ったと聞いておりますが」

「当然だろう。穴の開いた不良品に金など払えるわけが無いではないか」

「ですから私どもはなめし革の質に応じて査定し、ラスカル王国での正規価格の二割高い価格で買い取っただけで御座いますよ。不良品でお金に成らないと言われたものを完成品よりも高い価格で購入しているのですから、何一つ問題は御座いませんよね」


「こ…この革は教皇庁に納めるべき革なのだぞ。解って申しておるのか?」

「ええ、ですから穴の開いた革など卸す事は出来ないので御座いましょう。それで私どもが不良品をお引き受けいたしましたが、何か問題でも?」

「何か問題がだと! 貴様! こんな真似をして教皇庁が黙っていると思っているのか!」


「黙るも何も法的にも契約的にも何一つ私たちに瑕疵はございませんが? もちろん適切な金額を頂けるのでしたら購入した不良品の革をお売りいたしても構いませんよ」

「それが本音か。穴の開いた革で高額の金銭を要求するつもりだろう」

「まさかまさか。ちゃんとラスカル王国の相場に即した金額で交渉を承りますよ。当然商人ですから損を出すつもりはございませんが、暴利を貪れば顧客をなくすことになりますからね」


「殊勝な言い分だな。しかし今後とも革を扱う商売をしたければ教皇庁や我々にたてつかぬ方が良いぞ。皮革工房ギルドが黙ってはいまい。この先皮革関係の商売を続けたければ我らの示した価格で売れ。別にタダとは言わん。色は付けてやるがどうせ穴の開いた革だ。大した価格にはなるまい」

「おお怖い! ブルブル…プルプルのほうが可愛いですかね? まあ革の品質は査定していただいて価格をご提示ください。その金額で折り合いがつけばお引渡し致しますよ」

「食えん奴め。素直に言うことを聞けば今回は寛大な処置で許してやろう。まあ今後欲張らんことだな」

 勝ち誇った表情でハッスル神聖国の商人はエマ姉や私たちにそう言い放つと倉庫へと向かった。


【3】

 そしてエマ姉がハッスル神聖国国境沿いの諸領から買い付けたなめし革がずらりと並んでいる。

「なんだこれは? 穴の開いたものばかりではないか!」

「それは当然でしょう。腐って痛んだ生皮を処理いたしましたから。まさか私どもが偽りを申していたとお思いなのでしょうか」

「こんなものに金など…、仕方がない三割だ! 状態の良いものについては我々の提示した一枚革の価格の五割まで出して買い取ってやる。これでも破格の取引だと思わんか?」


「お話になりませんわ。私どもはそちらの一枚の革価格に対してその買取価の倍の出費をしてますの。そんな価格では儲けは出ませんわ」

「貴様、今までの話の何を聞いていた。そもそも我らが買い取らなければこんな穴の開いた革など皮革工房ギルドは買い取らぬぞ。なによりわれらを怒らせれば一枚革でも買い取る工房はなくなるのだぞ」


「何か勘違いをなさっておられるようですが、私どもはこの革が入用なので購入しておるのです。端切れの革でも私どもは使い道がございますので穴が開いておろうが何一つ問題なく使えるのですわ」

「端切れを使おうが使うまいが関係ない! 皮革工房ギルドはハッスル神聖国の教皇庁との規約に従い一切の取引を停止することになるのだからな」


「別に私どもは皮革工房ギルドとたいした取引があるわけでもございません。服飾関係の加工で若干取引がございますが私どもの主力は靴加工なのでそちらに入用なのです」

「下賤な靴職人の需要などたかが知れているではないか。後で吠え面をかくなよ!」

 結局ろくに交渉もせずにハッスル神聖国の商人は席を蹴って帰っていった。


「エマ姉、良かったの? 当面靴加工で革の使用は見込めるけれど不良在庫にならないの?」

「皮革工房ギルドにとって捨てるはずの端切れの買い取り先は靴職人よ。その靴職人工房はオズマちゃんと私で抑えているもの。あちらが売り渋っても損をするだけよ」

「それはそうなんだろうけど…」

 昔ゴッダードで始めた卵の殻の売買と同じだ。本来捨てていた端切れを靴職人工房が買い取った事で、ハッスル神聖国の皮革職人やラスカル王国の皮革加工工房はかなりの余禄を得ていたのだから。


「今ね、エポワス伯爵領では畜牛が奨励されているの。伯爵が輜重隊の責任者になったから近衛騎士団の軍事物資は全部エポワス伯爵が管理するのよ。軍事機密に該当するから輜重隊で供給する製品はエポワス伯爵が認めた工房でしか作れないのよ」

 近衛騎士団だけでなく各州都騎士団の輜重部隊もエポワス伯爵が握る事になっている。

 その利権をエマ姉が全部握るつもりだ。

 それもオーブラック商会とエポワス伯爵家を隠れ蓑にして…。


「何よりもセイラちゃん、北部や東部の領地になめし皮職人はほとんど残っていないわ。みんなヨンヌ州に連れてきちゃったから」

「えっ?」

 …そう言う事だったのか。

 エマ姉は手織り工房の再編や靴職人の引き抜きを隠れ蓑にしてハッスル神聖国の生皮の引き取り先を根こそぎにしてしまったんだ。国境辺の教導派諸州は来年以降ハッスル神聖国からの生皮の受け入れを拒否するか、受け入れて逆ザヤを覚悟でヨンヌ州に皮なめしに出すかを迫られる。

 領地経営が破綻するか、ハッスル神聖国に逆らって清貧派につくかの二択を迫られる事になるのだ。

 いつもこの人はやる事がえげつない。

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