第10話 革加工ギルド(2)

【4】

 エマ姉はかなりえげつないと思った。

 そう思ったのだけれど、それだけでは終わる事は無かった。

 まだこの続きがあったのだ。

 ハッスル神聖国の商人が帰るのと入れ違いにやってきた女がいたのだ。


「あら、なぜここにチビ助子爵令嬢がいるの? 領都の空気が濁るからさっさと帰って貰いたいものね」

 誰がチビだ! お前だって背は変わらないだろうがメアリー・エポワス!

「あら嵩上げ靴のお好きな伯爵令嬢様ではございませんか。こんな商人の集まる場からは足を挫く前にお引き取りいただきたいものですわね」

 ここはヨンヌ州の州都フェルミンだ。エポワス伯爵のお膝元で領都でもある。


 そう言えばなぜヨンヌ州だったのだろう。ヨンヌ州の貴族は近衛騎士団の軍属が多く、武闘派で国王派閥が多いはずなのだ。

 それが今回のエマ姉の策略に乗っている。

 当然皮なめし加工や靴工房を州内の貴族で握る事が出来るのは、領地収入が大きく伸びるのだからおいしいだろう。


 しかしその結果、ハッスル神聖国ひいては教皇庁と対立し国王陛下の不興を買うことになるのだ。

 国王派の軍属たちがそんな選択をするだろうか?

 何より軍人脳の筋肉野郎が多いこの州でそこまで領地経営に関心のある貴族自体が少ないのだから王宮との利害を優先しそうなものだろう。

 国王派がそんな事して良いのか?


「セイラ・カンボゾーラ、あなた宮廷で大暴れしたようね。王宮聖堂があなたの事を出入り禁止にしたようだわね」

「別に出禁になんてなってないわよ! あんな所に出向くのはこちらから願い下げよ!」

「まあそういう事にしておきましょう。それで本当の所、王太后殿下の事どこまで事実なの?」

「何処までと言われても私は王宮の内情には詳しくないから…」


「王宮の内情はともかく王妃様の離宮には詳しいと聞いたわよ。王太后殿下を返り討ちにして殺してから蘇らせたと聞いたけれど」

「そんな鬼畜な事はしないわよ! 王太后は持病で自爆しただけよ。返り討ちになんかしていないから」

「自爆!? じゃあ、やはり王妃殿下に毒を盛ったのは王太后殿下という事ね。なぜ王太后をそのまま殺さなかったの?」

「別に私は暗殺者ではないわよ。見殺しにするには後味が悪いから」


「それは甘いんじゃないのか? あの女が生きておれば後々厄介な事になるぞ。王妃殿下の命だけで終わらなくなるかもしれんのだぞ」

 野太い男の声がした。いつの間にかエポワス伯爵が入って来ていたのだ。


【5】

「教導派の重鎮がその様な事を仰ってもよろしいのですか、閣下」

「バカバカしい。やめてくれ。ワシは別に教導派聖教会にそこまで帰依している訳でも重鎮でも無いぞ。一介のラスカル王国の騎士だぞ」

 一介の騎士にしては山っ気が有り過ぎるぞオヤジ!


「その一介の騎士様が王族の死を望まれるのは如何なものかと思うのですが」

「別に望むこと自体に問題は無かろう。実際に手を下した訳でも無し。それに王太后などと言う存在は国政に口を挟む立場でもあるまい。勝手に口を噤んでくれるならそれに越した事は無い」

「それでも国王陛下のご母堂、教皇猊下の妹君、そして寵妃殿下の伯母上では有りませんか」

「だからどうした? その言い分は国王陛下でも無く教皇猊下でも無く寵妃ですらないただの老いぼれと同意語ではないか?」


 この伯爵、国王派に身を置きながらこの物言いは一体何を考えているのだろう。

「重ねて言うがワシはラスカル王国の近衛騎士だ。王国に仕えるものであって王太后に仕える者では無いぞ。ましてや教皇などと言う他国者に与するつもりは無い。何代遡っても何代進んでも国王陛下の臣である」

 ああ、このオヤジはいつの時代にあってもラスカル王国の国王の臣下だと言いたいのだ。すなわち先々代の王が清貧派であった時からこの国の王に忠誠を誓っていたという事だ。

 そして現国王の臣下であるなら次期国王の臣下でもあり続ける。それが誰であれ変わらないと言いたいのだろう。


「それでエポワス伯爵は次代の国王陛下はどなたが宜しいとお考えですか?」

「さあな? ワシはラスカル王国の決定に粛々と従うだけだ。次世代の王が他国からの干渉を払ってくれるならそれに越した事は無い。さらに国内はおろか他国にまでこの国の威光を示してくれるなら尚良いがな」

 国王派閥ではあるが次期国王にはジョン王子を推す事にするという事か。

 近衛騎士団はリチャード王子を見限ったようだな。


「伯爵のお考えはよく理解致しましたが、宜しいのですか? 教皇庁に睨まれれば皮革加工ギルドからの納品が途絶えてしまいますよ」

 当然近衛騎士団は靴以外にも革製品を使用している。革鎧や帯剣用のベルト、馬の鞍だってそうだ。

 この先皮革加工ギルドが仕事を請け負わなくなるぞ。


「これはおかしなことを申すな。なぜ我らラスカル王国近衛騎士団が、いや州騎士団も含めてラスカル王国の正規騎士団が他国の意向に従わねばならんのだ? 教皇庁の意向に従って近衛騎士団に盾突くという事は反逆者ではないのか?」

 まあもっともな言い分ではあるが、そうやって武力によって皮革加工ギルドに脅しをかけるという事なのか。

 理由はどうあれやり方としてはあまり好きになれないが。


「其方勘違いしておる様だな。騎士団の武力や近衛騎士団の権威で脅しをかけるとでも思っておったのであろう。ワシらはそんな野蛮人ではないぞ」

「そうよセイラちゃん。エポワス近衛輜重隊隊長はその相談と準備に見えられたのよ」

「そうだ。今後の軍務に係わる事だが其方は特別に同席を許してやろう。知らずにいらぬ事を企まれても困るのでな」


 国王派ながら王太子はジョン王子を擁立するという立場で私の信用を得る為だろうか。アバロン商事の力を考えれば判らぬでもない。

 自慢では無く自分の影響力も自覚している。私と敵対すればジョン王子派に鞍替えしてもその余禄にはありつけないと考えたのだろう。


「取り敢えず軍令を発布して靴に関しては軍事機密扱いだ。輜重隊指定の工房以外での製造は禁じる事とする」

 こいつ、靴の利権を独占するつもりか! ヨンヌ州の靴工房に製造を限定するつもりなのか。


「待って! 特許はジャンヌさんや私が持っているのよ。そんな事はさせないわよ」

「そう申すだろうと思っておった。輜重隊指定の条件は軍靴の製造を優先する事と軍靴を輜重隊が指定したものにしか販売しない事だ。軍事機密に託けて特許を取ったのだからそれくらいは飲め」

「それじゃあ民生品は…」

「軍の機密規制に抵触しなければ指定からは外す。ただし輸出は特許規定通り輜重隊の許可がいるぞ」

 まあそれなら仕方がない。特許取得の時の約束事だから。

 しかし輜重隊指定という方法で私に首輪を付けに来たか。侮れんな。どうせエマ姉が株式の三分の二は抑えて経営権を握っているのだろうからどうにでもなるだろうけれど。


「それと近衛騎士団及び州都騎士団に納品する革製武具も全てこの対象に入れるぞ。武具も軍事物資であるから国内産に限る。それも軍事機密が含まれる可能性があるのだからどこにでも発注する訳に行かん。信用が第一だからな」

 驚いて私がエマ姉の顔を見ると悪い笑みが顔一面を覆っている。オズマは気まずそうに顔を伏せている。

 そう言えばエマ姉が買い取ったなめし皮も大半が同じ場所に穴が開いてた。使用目的が決まっているから型紙で廃棄になる場所に穴を開けやがったな。


 それでオーブラック商会を送り込んで軍需物資の名目を付けて、なめし革市場を独占しやがったんだな。

 皮革ギルドが泣こうが喚こうが指定が取れなければ軍需品には手を出せない。ハッスル神聖国産は革から製品まで一切軍では受け入れないという事だ。


「あの…それで昨年までの革靴や乗馬靴の製作費用に関しては軍需物資の開発費として輜重隊の支出に計上致します。ただこれからはあの様な御出費は私どもにご相談くださいませ。値段交渉や諸手続きは致しますが、内容によってはこちらで判断してお断りする事も有るとお心おきください」

 オズマがもじもじとしながらも言うべきことはハッキリと言い切った。


「仕方がない。我が領の財務管理を一任したのだ。其方の言葉に従おう。州全体の貴族領の財務調査も早急に頼むぞ。靴工房の設置に関わるのでな」

 このオヤジ領地経営をオズマに丸投げしたな。おまけに州の産業育成もオーブラック商会に委ねているようだし。

 経済に暗い軍人や貴族が経営することを思えばやり方は正解なのだろうが…、これはもうすぐにヨンヌ州全体の経済はエマ姉に握られてしまうだろうな。

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