第11話 オーブラック州の旧商館(1)

【1】

 エポワス伯爵領から帰って来て直ぐにオズマが泣きついて来た。

「あの…セイラ様。セイラ様はセイラカフェのグリンダ様とはお親しいのですよね」

「…ええ、良く知っているけれど何かあったの?」

「はあ、そのグリンダ様がオーブラック州の以前商館の有った屋敷を買い取りたいと。それで出来れば案内して貰えないかと打診がありまして。それでカロリーヌ様やジャンヌ様のライトスミス商会の関係者の方にお話を聞こうとしたのですが」


「誰も話してくれなかったの?」

「いえ、とても仕事の出来る方でライトスミス商会の実質的な経営者でライトスミス家の家令だという事はお聞きしたのですが…。皆さん怯えられてそれ以上突っ込んだお話は」

「…まあそうね。アドルフィーネやリオニー達でもグリンダには逆らえないものね」

「アドルフィーネさんでも!」

「ええ、アドルフィーネを仕込んだのもグリンダだもの。対等に話が出来るのはエマ姉か私くらいのものかしら。ああ、でもライトスミス家の筆頭メイドのアンには頭が上がらないわね」

 後はお母様かな? 父ちゃんでもグリンダには口答えできないものね。


「お願いですセイラ様、ご一緒していただけないでしょうか。パウロでも怯えてうまく話も出来なかったのです。アドルフィーネさんが逆らえない方のお相手など自信が御座いません」

 ポールならともかくパウロには無理だろうね。

 今回は私が後ろに控えてグリンダにパウロを鍛えて貰おうか。


「良いですよ。御同行いたしましょう。ただエマ姉は同行させないようにしてちょうだい。意見が合わなければ揉めるし、意見が合えばとんでもない事をし始めてブレーキが効かなくなるから」

 あの二人は揉めればどちらも絶対退かない曲げない独走する。意見が合えば禄でも無い事を企んで私がブレーキをかける役になるのだから。


【2】

 しかしグリンダは何を考えてオーブラック商会の旧商館などを購入するつもりになったのだろう。

 無駄金を使う様な事をするわけが無い上、オーブラック州は教導派聖教会の力がまだまだ強い地域だ。

 まあ会って話せば目的や真意は判るだろうし、何かあってもこちらが不利になる様な失策は絶対に起こさないのがグリンダだからそこは安心できる。


 どちらかと言えば迷惑をこうむらない様に色々とブレーキをかける必要はある。グリンダは(私には)優しいし、(怒らせれば怖いけど)私の意向は汲んでくれる。

 こういった話が私の耳に入ってくる頃にはレールが敷かれていて、私はスピードは落とせても止めることのできない状況に追い込まれているのだけれど。


 私はオズマとパウロと今回はリオニーとナデテを伴ってオーブラック州の州都アリゴに向かった。旧オーブラック商会の商館は州都のアリゴの北に少し行った港町に有るからだ。

 一端アリゴに宿を取って、先行してパウロとナデテに旧商館に向かって貰った。商会がシャピに移転してから屋敷に手が入っていないので、掃除と宿泊の準備のためだ。


「この街は久しぶりで感慨深いのではないかしら」

「いえ、それほどでもありませんよ。この領地のデ・コース伯爵家も取引ではかなり無理難題を押し付けられたり致しましたから。どちらかと言えばこの領には良い思い出はあまり有りませんね」

 オズマはそうポツリと言った。


「父も商会員たちも取引貴族や領主の身勝手に振り回されておりましたので…。父も私には優しくて、商会員は亡くなった母には恩が有ると言って私を大切にしてくれましたから、猶更みんなが困っている姿を見るのは辛くてたまりませんでした」

「ご家族や商会員には恵まれたようですね」


「家族と言っても父と二人だけですから商会員も家族のようなものでしたし。何しろ母は早くに亡くなって顔も知りませんし、親族が居るのかも知りませんから」

 色々と教導派貴族相手で辛い事はあったのだろうが立ち入った事を聞くのもはばかられる。

 この話はここで切り上げてしまおう。


「それじゃあ商館の売却については構わないのね。多分グリンダはオーブラック商会がこの州内に抱えている不動産を全部購入するつもりだと思うのよ」

「それは全然かまいません。ライトスミス商会ならば不当な安値で買い叩いたりしないでしょうし、それにオーブラック商会が移転してからはこの領内の資産なんてほとんど価値が無くなっていますから」


「そうなの? でもなぜ?」

「もともと港もオーブラック商会があそこに桟橋を設けたのが始まりで、それを収益が上がり出した途端に領主家が一銭の整備費用も出さないのに港の使用権を振りかざしてきたのです。結局港の取引での税金と港の維持管理費用も私たち商会も持ち出しの上、使用権料迄払わされて…」

 と言うことはこれまで港の管理は全てオーブラック商会がやっていたと言うことだ。


「なら今はあの港は誰が管理しているの?」

「どこも管理していないでしょうね。うちが管理しているときは勝手に好き放題していたのに、今は誰も使っていないようですから」


「大型船が着ける港の桟橋を誰も使っていないの?」

「大型船の荷揚げや荷降ろしはオーブラック商会しかやっていませんでした。あの入り江一帯の土地を領主から買い取った時、オーブラック商会の持ち物にする事で多額の使用権料を払わないで済むのと引き換えに荷受け作業を押し付けられたのです。ですからオーブラック商会が移転してからは船が着く事も無いただの荒れた波止場でしかありません。資産としての価値なんて無い上に、なによりあのデ・コース伯爵家を黙らせなければ収益は望めませんよ」


 たぶんグリンダの事だからそういった事情も把握した上での買い取り交渉だろう。

 屋敷も含めて港を有する入江全部を購入の対象にしていると考えて間違い無いと思う。

 ただ購入目的がシャピの貿易に関する事では無いのも明らかだろう。もしそうならカロリーヌに根回しが入っている筈で、カロリーヌなら私に一番に相談に来るだろうからだ。

 何よりグリンダがカロリーヌに口止めをするような事は絶対しない。相手がそう判断して口を噤む事があっても、グリンダからあれこれと要求はしないのだ。

 グリンダの意図はどうあれ資産購入は既定事項だろう。


 オズマの話を聞く限りオーブラック商会がデ・コース伯爵領内に持つ資産は不良資産である。

 このまま寝かしておいても維持費や税金がかかるだけでその回収も見込めないのだから、売却してスッキリした方が良いだろう。

 オーブラック商会は商館の周辺から入り江に至る地域にかなり広い土地を持っている様だ。


 ただこの辺りは花崗岩質の岩地で北海からの潮風もきついため農業には向かず、切り立った岩場が多い海岸線は深く小さな漁村が有るだけの小さな村だったそうだ。

 オーブラック商会がある間はそれでも流通で少しは賑わったそうだが、流通業者ごとシャピに移ったので今は本当に何もない。

 土地の値打ちも無くなり領主への土地の返納を申し出たが、拒否された代わりに大幅に税額は下げて貰えたそうだ。


 この土地の購入がポワトー伯爵家絡みで無いならばグリンダの人脈から考えて、フラミンゴ伯爵家かストロガノフ子爵家関係だろうか。

 しかし北海の入り江の購入となるとどちらもピンとこないのだ。

 確実なのは購入の交渉になれば契約時にはオズマの言う通り領主家の横やりが入りそうだという事だけだ。

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