閑話1 ジャンヌの不安(1)

 ★

 寝耳に水の話しだった。


 ポワチエ州での聖教会への清貧派聖職者の派遣や、救貧院廃止に向けての根回しや聖教会工房への説明に追われて、王都に帰ってきたのは新学年まで一週間を切った頃だった。


 平民寮の部屋に押しかけて来る新入生が、同室のエマや周辺の部屋の生徒たちの迷惑になるだろうと、日中は礼拝堂に籠って聖霊歌の指導をしたり講話をして過ごしているとリナ・マリボー男爵令嬢が訊ねて来たのだ。


 そもそもは南部の新入生を連れてジャンヌの下に音楽指導を受けに来たのだ。もちろんクラス分け試験のテコ入れだ。

 新入生たちがそれぞれに歌ったり演奏する聖霊歌を聞きながら、二人でお茶を味わっている時、リナから聞かされたのだ。


「ジャンヌさん、ハウザー王国から留学生が来たのよ。それも王族! 王子様と王女様だって! それがね、二人とも騎士だそうよ! その上二人とも凄いイケメン! いや、一人は王女様なんだけどね。女の子なのに凄くカッコいいの! ちょっと期待しちゃうね」

「えっ? どういう事です? 留学生?」

「ええ、交換留学だそうよ。王家が第四王女をハウザー王国の女子神学校に留学させたそうよ。それと交換で来たんだって。先週と昨日は貴族を対象にした歓迎会だったのよ。特に昨日は…ウププッ、ペスカトーレ枢機卿がけっさくで…。スープが塩辛すぎてね、毒殺だとか言ってアハアハアハハハハ」


 陽気に笑うリナとは裏腹に、ジャンヌはもうリナの話など聞こえたいなかった。

 交換留学生? どういう事だ? なぜ今?

 こんなシナリオの途中から、一体どうなってるんだ?

 いや、ここは痛みを伴う現実世界だ。だからこそみんな懸命に生きて、運命を変えてきているのに。

 救貧院も廃止されて、やっとこれからうまく行くと思っていたのに何故?


 それから後の事は自分でも良く覚えていない。

 心ここにあらずと言った雰囲気のジャンヌに気付いたナデテにとても心配されたが、獣人属の王族が入学する事で教導派との軋轢が大きくなることが心配だと答えると納得してくれた。

 リナは明後日の午後に女子下級貴族寮で、派閥のお茶会が有るのでそこで王女殿下と顔繫ぎが有るのではないかと言っていた。


 セイラカフェメイドやフットマンが増えたお陰で、今は王立学校内で獣人属が居る事に対して忌避感を持つ者は少ない。

 しかし今までも獣人属の学生を王立学校は受け入れて来なかった。

 それはこの国の基本方針が教導派教義に基づく人属至上主義だからだ。


 事実セイラカフェメイド達は王立学校生より優秀だと思われるものも多い。人属のセイラカフェメイドからは王立学校に入学している者も幾人もいるのだから。

 それでも頑なに獣人属の入学を拒んできた王立学校に、突然のハウザー王国からの留学生である。


 学生よりも講師や聖職者からの反発と、生徒の父兄やOBからの苦情やあからさまな嫌がらせが有るだろう。

 これでハウザー王国との関係に亀裂が入る可能性がある。

 何より王子、王女がラスカル王国に抱く印象がこれからの外交の大きな足枷になる可能性も大きいのだ。


 そう言って嘆くジャンヌの言葉に、ナデテも共感してくれる。

「それでもぉ、ヨアンナ様やファナ様がそんな事させないですよぉ」

「ええ、今の生徒たちにはあまり偏見は無いわ。でも理解があるわけでもないのですよ。何気ない一言が相手を傷つけることも有ります。私たちが当たり前と思っている事が、お互いに不信感を起こす元に成る事もあるんですよ」


「わかりますぅ。それはナデタにも良く言っておきますぅ」

「…ナデタ? なぜ?」

「ファナ様からの要請で王女殿下付きのメイドになったのですぅ。王子殿下にポールの弟のパブロがカンボゾーラ子爵家から派遣されてますぅ」

 ライトスミス商会が、いえセイラ・ライトスミス様が動いてくれた。

 たぶん間違いない。セイラ・ライトスミスは全てを知っているに違いない。


 それならばこれから起こるかもしれない事に気付いてるかもしれない。

 いや気付いているに違いないのだ。

 …そう思いたい。彼女は私と同じ人間だと思いたい。


 本来モブであるはずのセイラ・ライトスミスを通して、名も無い冒険者のジャックたちに助けられた。

 ライトスミス家の実家のカマンベール男爵家の人々と交流し、やはり名前も出てこないクロエ・カマンベールとの関わりを通して、名前しか出てこなかったカロリーヌ・ポワトーが庇護者になってくれた。


 もちろん名も無き人々にもそれぞれの人生が有り、人と人が関わり合って世の中が動いているのだから、セイラ・ライトスミスの力だけでない事は理解している。

 それでも彼女がこの未来を知る事無く動いていたとは到底思えない。だからこそジャンヌとの手紙を通して常に背中を押してくれていた。

 全てを知っていたからこそ顔を合わせる事を拒んでいたのだろう。


 これまでジャンヌが成してきたと言われる事は、全てセイラ・ライトスミスの支援によるところが大きい。

 たぶん彼女はセイラ・ライトスミスの名前が出る事でシナリオが破綻する事を恐れて陰に徹してくれていたのだ。


 それでもジャンヌが危機に陥った時、積極的に争いを回避して悲劇を防ごうとして動いた結果、多分シナリオの補正力で闇に葬られようとしたのだ。

 幸いにセイラ・カンボゾーラと言うヒロインと接触していた結果、一命をとりとめた上ヒロインを介して物語に介入する手段を得て、この一年シナリオは変化してきた。


 ヨアンナ失脚の発端であるケイン・シェーブル暗殺事件は回避され、カロリーヌ・ポワトーは女伯爵カウンテスに就任した。

 オズマ・ランドッグはオーブラック商会を潰さずに再生を果たし、その過程で救貧院は解体されて新しい職業訓練所が動き始めている。


 これでヨアンナもファナもそしてジャンヌの破滅も回避される目途が着いた。

 南部や北西部の貧困が、セイラ・ライトスミスの尽力によって解消されるのだ。

 虐待された仮想農奴と言うべき救貧院の収容者は解放され、農民暴動の元凶は取り除かれようとしている。


 ライトスミス商会やアヴァロン商事が北西部や西部に組合方式で紡績工場を新設し始めている。

 困窮した救貧院の収容者の受け皿を積極的に作っているのだ。

 その顔に大きな怪我を負い自身も死にかけたと言うのに、それでも踏み留まってこうして自分たちを陰から助けてくれているのだとジャンヌは感謝している。


 聞く話によるとセイラ・ライトスミスはセイラ・カンボゾーラに似た知的で美しい女性だったそうだ。

 それが顔に傷を負って表舞台に立てなくなったのだから、女として悔しい思いをしているだろう。


 それでも挫けずにこうやって立ち上がり、今でもこうして道を示してくれる。負けてはいられない。

 新しい運命が今までの努力を全てリセットしようとしている。

 それでも負けられない。


 ハウザー王国の二人の留学生は本来一年生の秋に編入されてくるはずなのだ。

 それが何故、二年の秋になって急に編入されるような事になったのか?

 シナリオの補正力が全てを捻じ曲げて、これまでの努力を灰燼に帰そうとしている。

 それでもセイラ・ライトスミスはこうして手駒を送り込んで来てくれている。

 ジャンヌは決意を新たにした。

 運命が圧し潰しにかかって来るなら最後まで抗ってやる。尊敬するセイラ・ライトスミスは諦めていないはずだから。


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