第105話 サンペドロ州(1)

【1】

「ああ、サンペドロ州でも紡績機が売れないかなと思ってな」

「何でハウザー王国で売るのさ。まだ西部や北西部で需要は有るだろうにさあ」

「パルミジャーノ州とアヴァロン州ならまだ紡績機の秘密も隠せるが、増やせばいつまでも隠し続けられねえんだよ。ハスラー聖公国に盗まれちまう。それを防ぐ仕組みを作らなけりゃあ増やせねえ」

 ああ、その通りだ。ハッスル神聖国ベッタリの今の王宮がそう簡単に動いてはくれない。


「でも旦那様。先ほど仰ってたように市場を占有すればどうにかなるのではないですか」

 それまで黙って聞いていたルイーズが口を挟んだ。

「だがな紡績機は一台の儲けがでかい、今研究中の新型も出れば自作して使おうと思う奴が出てくる。それまでに市場を押さえて価格を下げる。部品を共通化して旧型機と互換性を持たせる。それである程度占有は出来るが、ハスラー聖公国内で作られた物は俺たちが手出しできない」


「でもラスカル王国内の亜麻繊維の紡績を出来ればわざわざハスラー聖公国から買う方は居ませんよね」

「ああ、亜麻ならな。そのうち亜麻繊維入札権の鑑札は意味が無くなるだろうが、リネン糸の流通やリネン布の専売割り当ては無くならない。自分たちで織った布をハスラー商人から買うような馬鹿な事はこれからも続くんだ」


「解ったよ。父ちゃんの企みは理解できた。明日からサンペドロ州を回ろうよ。でも特許についてはハウザーで可能かなあ?」

「それはコルデーにも相談してるんだがな。ここは技術革新を嫌う福音派のお膝元だ。どこまで認められるかはわからないがラスカル王国よりはましだと思うぞ」

 …いやどっちもどっちだろうと思うけど。

 この国だって別な意味で腐っているから利権のうまみが無ければ動かないんじゃないかなあ。


「なにより新規の技術革新を嫌うお国柄だから、南部では機械を買うより農奴を使うだろう。それに模倣できる工房も今のところ育っていない。技術漏洩についてはラスカルオ王国よりも何倍も安全だからよぅ」

「セイラお嬢様。でもこちらに紡績工場を作っても亜麻の繊維をどうやってここまで持ってくるんですか? それにハウザー王国まで持って来てまた入国すれば二重に税金を払う事になりますし」


「まあそうね。亜麻の紡績はラスカル国内でパルミジャーノ州とアヴァロン州に集約させることにしたいわね。特にパルミジャーノ州を紡績の中心地にって思ってるわ」

「それならなおさら…」

「なあ、ルイーズ。別に糸紡ぎは亜麻だけじゃあないんだぜ。お前は冬の寒い時にリネンの服を着るのか?」

「あっ! 毛糸! 羊毛も糸を紡いで作りますよねえ。北部や北西部では羊を沢山飼っていますものねエ。羊毛をハウザー王国に持って来てこちらで紡いで売れば紡績機は売れますね」

 ルイーズは嬉しそうに声を上げた。


「そうね。それも有りかもしれないわね。それにずっと南の方には羊の生る木があるって言う話なのよ」

「ええっ! そうなのですか?」

「ハハハ、ルイーズ。セイラに惑わされちゃあいけねえぜ。そんなのは大昔の人の言い伝えだよ。事実じゃねえさ」

「もう、セイラお嬢様」

「ウフフフ、ゴメンゴメン。でも似た様な物が有るんだよ。ルイーズなら知っているはずよ」


「…木に生る羊? 木から採れる羊毛と言う事なのかしら? 羊毛みたいなモコモコ…。あっ! 綿花ですね。毎年ゴッダードに市の立つ綿花を紡がせるのですね」

「正解だ。やっと気が付いたか。だがそう言う風にいろいろと考える事は大切だぞ。良く覚えておけよ」


「ルイーズは充分優秀だよ。鉈鎌ビルフクを振り回す事しか考えていない奴なんかよりもね」

「心外です。あんなリオニーさんに説教される以外のとりえもない奴と比べ無いで下さい。だいたい兄も従兄弟も男連中は考え無しで恥ずかしいですよ」

「おいおい、そう言ってやるなよ。ルイスはいつもお前の事を気にかけてくれてる良い奴じゃねえか」

「旦那様はそう仰いますが、兄は過保護過ぎます。私はもう来年は聖年の年です。一人前ですわ」


「よしそれじゃあ一人前になったルイーズに質問だ。サンペドロ州で紡績工場を立ち上げるとどんな利益が出る? 一つでも良いから考えてみろ」

 父ちゃんの質問にルイーズは眉間にしわを寄せて考え込んだ。

「エ~と…。パルミジャーノ州と同じで綿花よりも紡いだ糸の方が値段が高くなって利益が出ます」

 一般的な回答でまあ三十点と言うところかな。

 同い年だけれどミシェルだったらあと二つくらいは回答を出せたかしら。


「まあ充当な答えだな。それだけでもかなり利益は出る。それにな一台の馬車に乗る量は紡いだ糸の方がずっと多いんだ。綿花は軽いが嵩張るから馬車が沢山いる」

「それに国境の税金は馬車一台につき幾らって金額が決まっているから税金も安くなるわよ」

「ワア、すごいです。とても儲かりますね」


「でもね。これは紡績工場とそれを運ぶ輸入業者の儲けになるの。ライトスミス木工場の利益にはならないわ。それなのに父ちゃんは何故ここに紡績機を売ろうとしているのかしら」

 ここで父ちゃんの意図をルイーズに考えさせる。

「そっ…それは先ほど旦那様が仰っていたこと以外にと言う事ですよねえ。その…特許とか技術漏洩以外でと言う…」


「ええ、良く話を聞いていたわね。ただその話はよそでは絶対にしては駄目よ。大切な秘密だから。あなただから聞かせたんだから」

 ルイーズの顔に緊張と共に得意そうな表情も浮かぶ。

「ええ、もちろんですわセイラお嬢様」

 まあそんな心配はしていないんだけれどもね。ジャックにしろルイスにしろこの一族は義理堅い上に一本気だ、血が上りやすいのが玉に傷だけれど。

 さすがはジャクリーンさんの血縁だと思う。


「ああ、そうか、判った。マヨネーズと同じですね。パルミジャーノ州やアヴァロン州に機械を運ぶよりもずっと近いので運送代が少ないんだ。…それと…それと、あっそうだ馬車一台に税金がかかるから紡績機も綿花も国境の税金は同じ。絶対お得ですね」

「ほら父ちゃん、ルイーズは出来る娘なのよ」

「ああ、大正解だな。税金の話も良く覚えていたな。もう少し付け加えるならハウザー王国は人件費が安いので、サンペドロ州で人を雇って組み立てる方が得になるんだ」


「他にも色々とメリットは有るがそれはおいおい教えてやろう。今日は明日から州内を巡って何をするか説明してやる」

「紡績機を買ってくれる人を探すのですよねえ…?」

 ルイーズは不思議そうに父ちゃんの顔を見ている。

 ルイーズはミシェルのような商取引の場に出た経験が少ない。だから州内を回る意味をよく理解できていないようだ。


「その前に色々と準備がいるのよ。先ずサンペドロ州は綿花の産地じゃ無いの。綿花はずっと南の州で採れるの」

「それじゃあ綿花の採れる州まで行くのですか?」

「それは出来ないわね。だから他の州から来る綿花を買い付けて紡がなけりゃならないの。それには馬車の行き来が便利な場所が良いわ。国境にも近い方が良いし。それに何よりそこの住民が協力的な事が一番の条件ね」

「他にも紡績機を据える土地があるか、近くに綿花を洗える水場や川は有るかもよく見て置かなけりゃいけない。だから明日からの視察は周りの土地の条件や村人たちの噂話など何でもいいから良く見てよく聞いて、気付いたことは俺やセイラに教えてくれ。つまらない事でも良いから耳に入れてくれ。お前が御者をやるんだからな」

「はい!判りました旦那様」

 ルイーズは緊張した面持ちで大きく頷いた。

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