第106話 サンペドロ州(2)

【2】

 その夜はコルデー氏と奥さんのカロラインさんを迎えて打ち合わせを行った。

 コルデー氏には特許の法制化について素案を聞いて貰った。

「今、聖教会で行っている刻印のようなものを国で法制化すると言う事なのだろう。ハウザー王家や有力貴族の目の前に利権をぶら下げてやればうまく進むんだろうがな」

 やはりバトリー大司祭と同じような手合いか。

「先ずは法律案をしっかりと作ってしまいましょうか。法案を通すのはその後でしょうな」


「それからカロラインさんにハスラー貴族のメイド作法を、ラスカル王国から来るメイドに教育して欲しいのです。今計画中のラスカル貴族向けのサロンに上がる技量を持った娘達です。ハスラー貴族の接客も考えてこちらで習得させる予定です。是非ご助力をお願い致します」

「娘も主人もお世話になっております。給仕や接客ならば私でもお役に立てると思いますので是非手伝わせてください」

 これでセイラカフェもサロン・ド・ヨアンナもメイド教育の目途はつきそうだ。


【3】

 翌日は朝早くに州内を回る為に馬車でメリージャを出発した。

 二日かけてサンペドロ州を回る予定だ。

 ドミンゴ司祭の口利きで、聖教会分室からガブリエラ修道女が案内の為同行してくれた。

 商工組合のカルネイロ商会長は護衛を二人付けてくれている。もちろん見返りを期待しての事だろうが。


 ブリー州とよく似た麦畑が広がる景色が続いている。ただこちらの麦はブリー州より生育が悪そうだ。

 連作障害が出ているのだろう。

 ここ数年ラスカル王国の南部諸州では聖教会の指導で、クローバーやレンゲを植えるて好き込むことが奨励されて連作障害が減っている。

 これも闇の聖女ジャンヌ・スティルトンの功績だ。聖女様は頑張っている様で着々と名声を上げている。

 そう言えば主人公は子爵令嬢なのに聖年式の式典は開かなかったのか、それともまだ光属性が発現していないのか噂を聞かない。

 今の状況では私と敵対する可能性が高い相手なので情報収集はしているつもりなのだが…。


 メリージャ近郊の聖教会を二つ回って得た印象はあまり芳しいものでは無かった。工房は歓迎されているが教室への関心は薄い。

 それでもメリージャへの出稼ぎのチャンスが増えるので村人たちもそこそこ力を入れて教育に当たっているようには感じる。

 特にこの辺りの村はのうちも狭く収穫も少ない上、メリージャへ通える距離なので第三城郭内で日雇い仕事に赴くものが多い。

 それが聖教会教室を経て木工所で働く方が何倍も稼げるとわかり、農家の三男四男は力が入っている者もいた。


 昼を過ぎて街道筋をかなり進んだ頃に村が見えてきた。

「ああ、あちらに聖教会が見えてきました。この教区は近隣の四つの村を統括しています。代官所は隣の教区に有りますので、この村で話をお聞きになった方が良いでしょう。代官の耳に入りにくいですから」

 ハウザー王国は各州の貴族領主がラスカル王国よりも力を持って居る。その為州ごとの統治は領主に任されているのだ。

 例えばサンペドロ州の領主であるサンペドロ辺境伯は各地域に代官を派遣し統治をおこなわせている。


 そしてその代官は定期的に任地を移動させられる。もちろん代官が力を持つ事を防ぐためだ。

 その為野心家の代官は権力強化に直結する話に敏感であるが、その介入も半端ではない。

 そして代官の独断を主家のサンペドロ辺境伯家はとても嫌う。逆鱗に触れればライトスミス家は商会諸共吹き飛んでしまう。

 まだ初期段階の情報収集なので貴族や官吏の介入は出来るだけ避けて通りたいのだ。


「ライトスミス商会の事は伺っております。聖教会工房にご尽力していただいている様でとても感謝しております」

 柔和なウサ耳の聖導師がこの聖教会の教区長だそうだ。真っ先に工房の事について感謝を述べるられた。

「子供たちが工房で仕事をさせて頂けるのでわし達も助かっております。朝と昼に飯を食わせていただけるので子供らも喜んでおります」

 その隣に座るこの村の村長と言う初老の痩せたネコ耳の男性も礼を述べる。


「それで教室の方は如何でしょう。読み書きや計算は…」

「それはもう、子供達も教室に参加すれば昼飯がもらえるので皆参加しております」

 村長が答える。やはり村人の意識は教育よりも食事と賃金なのだろう。

「お嬢さま。子供達も基本文字と足し算引き算は習得しております。十二分に成果は出ておりますよ」

 教区長がフォローに入るが、余りフォローになっていない。


「それで旦那様。工房の年齢制限をどうにかならんだろうか。十二歳までと言わず大人も…せめて十五迄」

 これが本音なのだろう。わずかでも日銭が稼げる仕事が欲しいのだ。

「それは難しゅうございます。十二歳になればメリージャのヴォルフ商会の工房で雇って貰えるますし」

 採用条件のハードルはそんなに高くない。読み書きが出来て二桁の割り算が出来れば採用される。


 村長は私を一瞬睨むと父ちゃんに向かってボソリと言った。

「それはそうなのじゃが…。食事も出るしなあ…」

「掛け算や割り算、読み書きの出来ない人ならば聖教会教室に参加して学習していただければ昼食が…」

「パン粥一杯の為に鐘二つの時間は…」

 村長の発言にため息が出る。やはり教育に対する意識が全然違う。


「セイラ様。このような農村では農場の働き手を取られるのも痛手なのです。それに読み書きや算術に必要性を感じないのです」

 ガブリエラ修道女が耳元でそっと囁いた。

 安価な働き手である子供達を手放して街には出したくないが、かと言って村に残してもあまり利益にならない。

 工房の仕事での儲けは農家にとって割の良い本当にうれしい現金収入なのだろう。だから少しでも多く工房で稼ぎたいのだ。


「すみません。この聖教会工房は算術と読み書きを習得するために有るのです。この条件は聖教会と私がお約束した事なので変える事は出来ません」

「旦那様。旦那様のお力でどうにかならんものでしょうか」

「村長さん。ライトスミス商会の商会主はセイラだ。すべての権限はセイラが持っているし俺は一切口出しはしていないんだ」

「そうなのですよ。聖教会への要望も全てセイラ様を通さなければ通す事は出来ないのですよ」


「しかしセイラ様は旦那様のお嬢様で…」

「くどい様だがチョークも黒板もアバカスもそれにここで作っているリバーシも権利は全部セイラの物だ。考え出したのも売り先を作ったのもセイラだからな。だからセイラがダメだと言ったら誰も口を挟めない」


 教区長がおずおずと口を開いた。

「わたしもお聞きしたいのですが、ブリー州の聖教会で大司祭を追い詰めて教導派を全て追い払ったと噂に聞いたのですが」

「それは清貧派のボードレール大司祭様でございます。私はその一助を成しただけで」

「やはりそうで御座いましたか。わたしも清貧派の聖導師で色々聞いております。ラスカル王国の聖女様を陰ながらお助けしている市井の聖女様がいると」

 村長が黙ると今度は聖導師だよ。それもヤバい方向で噂が先行しているようだ。


「私は市井の一商人ですからお間違いなきように」

 一言断りを入れておく。

「それは良く存じております。ただお嬢様のお耳に一言入れておきたい事があるのです。最近一部の福音派の聖教会になにやらキナ臭い動きが御座いまして」

 …何か厄介事が飛び込んできそうだ。

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