第104話 計算機

【1】

「それでお前の目論見っていうのは何だ?」

 ライトスミス商会の事務所に帰ったとたんに父ちゃんが私に聞いてきた。

 余程気になっていたらしい。


「デモンストレーション用のサンプルを作るんだよ」

「サンプル? しかし今の表は二の累乗だけだぞ。桁数が少なすぎてインパクトに欠けるんじゃないか?」

「うん、だから三角関数から始める」

「出来るのか?」

「三角関数表はもうすでにあるからね。父ちゃんには三角関数尺を作って欲し。有効数字は四桁か五桁くらいで出来るかな?」

「お前誰にものを言ってるんだ。天下のライトスミス木工場の工房主様だぞ。その程度の事造作もねえさ」


 私(俺)が作ろうとしているのは計算尺。

 関数電卓が一般化するまで世界中の技術者の必需品だった。1970年代までは至る所にあった物が1980年代に入ると突如として姿を消して一気に世界中の人の記憶から忘れ去られた高度計算機である。


 有効数字三桁と目盛りの間を読むことで四桁の除算乗算の概算が計算できる。

 これは対数表の発表の十数年後に発明された。

 そしてその後三百年以上も技術計算で使われ続けたのである。


 私(俺)はその計算尺の機能の一つ三角関数尺の試作品を作る事を考えたのだ。

 対数尺は細かい数字計算が成されていないが、三角関数表は存在している。より緻密な三角関数尺を作成する事が出来るはずである。

 対数尺の桁数が少なくても、三角関数の計算結果は精密な数値が導き出せるはずだ。

 このデモンストレーションで出資者の興味をひければ、後は金を使って人海戦術で一気に計算を仕上げてしまえる。


「なあ父ちゃん。これで四桁の答えが出せたらインパクトはでかいだろう。まあ金が集まらなくても、ハウザー王国側で計算を進めて貰ってラスカル王国側で又聖教会のお墨付きを貰えば良いさ」

「考え出したのが聖導女で清貧派修道士たちが協力したんだ聖教会もお墨付きをくれるさ。無くてもそこまで精密な目盛りを打った尺は技術が無けりゃあ作れない。ライトスミス木工場の独占製造、ライトスミス商会の独占販売で決まりだな」

「父ちゃん、でも何でアヴァロン州にしたんだよ」

「聖教会頼みじゃあ、いつまでも制度化出来ねえ。ゴルゴンゾーラ公爵家の威光を使って法としてのお墨付きを整備出来ねえかと思ってな」


 ああ父ちゃんは聖教会のお墨付きのその先、特許の法制化を視野に入れている。

「知的財産権…、特許…」

「ああ、その発想は面白いな。知的財産権か…その名称は有りだな。特許? 特別許可の略称か?」

「まあそんなとこかな…単なる思い付きだから」

「でも良いぜ…その呼び名は。その名前で草案を考えておこう。レイラとも話は詰めるが、この際だゴルゴンゾーラ卿と話を詰めておこうと思ってな。先ずは新型アバカスからだな。リバーシやチョークは聖教会の慈善事業としてこの先も不可侵で良いだろうが、アバカスも今度の計算機も作ろうと思えば専門工房が絡む。それを抑えられるのは公権力だろう。ハスラーの織機の件を見ても分るだろう。この先紡績機についても構造がバレれば真似される。その前に手を打っておきたいんだ」


「それじゃあ計算機も呼び名は計算尺にしてよ。これなら他の道具と混同されないだろ。これが完成すれば、技術が一気に前進するよ。航海士の仕事にも海図の作成にも、暦の作成や測量にも革命を起こすんだ!」

「まあそう入れ込むな。専門家しか使わない物だから市場をある程度抑えれば他の工房も参入しにくいさ。実際に新型アバカスは良く売れているが真似る奴はまだ出て来ていない」

 まあ専門性の高いものだし、父ちゃんの言う通りだろう。


 まあメリージャでゴルゴンゾーラ卿と打ち合わせてておけばラスカル貴族への情報漏洩も起こらないだろうしメリットはあるなあ。

「そう言えば、ゴルゴンゾーラ卿たちは今日は何をしているのかしら?」

「ああそれならば市長と話があると言って第一城郭に行ったようだな」

「ああ、あそこは魑魅魍魎の住み家だからあまり行きたくないね。でもサロン・ド・ヨアンナを開店するならあの中しかないだろうね。気が重いや」

「そっちには、お前は一切かかわるな! ゴルゴンゾーラ卿とアヴァロン商事組合に任せておけ。しくじっても泥を被るのはゴルゴンゾーラ家だ」

「でも一つ間違えば外交案件に…」

「だからだよ。そうなれば一介の平民であるライトスミス商会の手に余る。それに聖教会関連も大聖堂の事はドミンゴ司祭に一任しろ。あの様子じゃあうちに不利になる事は絶対しないだろうしな」


 あそこまで一途な恋愛脳の持ち主だったのは意外だったけれど、それが判れば不信は無い。

 あの村とニワンゴ聖導女達に不利になる事は絶対しないと確信できる。

「わかった。セイラカフェに専念するよ」

「そこ迄縮こまらなくても良いぞ。第一城郭にさえ関わらなければな。こっちはニワンゴ達を人質に取ったみたいなもんだしな。第三城郭や村々の聖教会はドンドン取り込んで行こうぜ」

 人質って…、父ちゃんちょっと黒くないか。


「まあセイラカフェからサロン・ド・ヨアンナにメイドを送る事になるから、そこは力を入れて貰いたいが、ある程度はゴルゴンゾーラ家のエミリーメイド長に任せても良いんじゃねえか。しばらくサロン開設の準備もかねてこちらに残るようだしな」

 そうなるとますます私のやる事は無い。

「どうすんのよ、私は。セイラカフェのメイド指導や新人面接くらいしかやる事が無いんだけど」


「まあそう言うな。俺もメリージャにはたびたび来てるが、第三城郭じゃあお前の名前はかなり浸透してるんだ。セイラ・ライトスミスって言う名前はみんな知ってるし、分室設置のお陰で尊敬もされている」

「そうなんだ。開設の前後で数回言っただけなんだけどなあ~」

「修道士やヴォルフたちが名前を広めてるからな。それに第二城郭じゃあセイラカフェのお陰で、若い娘たちの憧れの対象なんだぜ」

「なんでよー」

「決まってるじゃねえか。アドルフィーナやナデタが広めてるからだろうが。フィリピーナやウルヴァもそれに加わってたな。今はナデタもウルヴァも居ないから少し落ち着いたが、シャルロットたちがコルデーから色々聞かされて違う話を広めだしてる」


 要約すると第三城郭では慈悲深い聖女扱いされている上に、ラスカルからの派遣メイドが頭の切れる完璧なお嬢様像を吹聴し、更にシャルロットたちがラスカル貴族をへこませる痛快譚を流し始めて伝説のヒロイン扱いらしい。

 …パルミジャーノ州でおこしてる暴力沙汰が広まらないように箝口令を引いておかねば。

「父ちゃん、それって実物の私が顔を出すと不味い事にならない?」

「ああなるだろうなあ。憧れの聖人令嬢がこんなガサツな腹黒やんちゃ娘だったって知れちゃあ不味いよなあ」

「即答すんなよ! 自分の娘なんだからチョットはフォローしろよ」


「まあ良いじゃねえか。だから今回は俺と一緒に村々の聖教会を回るっていうのはどうだ。ドミンゴ司祭には情報も貰っているし根回しも頼んでいるから」

 良くは無いけども、まあ仕方ないだろうな。

「何か考えがあるのか?」

「ああちょっとな、こっちでもやりたい商売が有るんでな。それでゴルゴンゾーラ卿とも話はつけてあるんだ」


「サロン・ド・ヨアンナ以外にもかい?」

「ああ、サンペドロ辺境伯ともどこかで話し合う予定になっているんだ。その根回しも併せてお願いしてる」

「それじゃあ、サンペドロ州全体の取引って事?」

「ああそうなるな」

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