閑話15 ジャンヌのお料理教室
☆
脂の乗ったサバが次々に水揚げされている。
波止場の屋台では荷揚げされたサバがその場で三枚におろされる。
そして次々に油に放り込まれて揚げられて行くのだ。何故かこの街ではサバを素揚げにして塩をかけて食べている。
違う! そうじゃない! そうじゃないんだ。
そんな調理は神が許してもこのジャンヌ・スティルトンは許さない!
脂の乗ったサバを素揚げってなんだよ、ころもを付けろよ! せめて竜田揚げにしろよ。
ジャンヌの魂の叫びが響く。
「やっぱりぃ、サバは燻製ですねぇ。揚げ物はぁ、脂がきつくていけませんねぇ」
葉っぱでくるんだ揚げサバを齧りながらナデテが感想を述べる。
「えー、この港では人気の定番料理ですよ~♪ 港で働いている人はこのサバにたっぷり塩をふりかけてまる齧りするのが最高だって言ってますよ~♩」
案内のイブリンが反論している。
港湾労働者たちは力仕事だ。たっぷりの油と塩は彼らのエネルギーになるので、たくさん採れるサバは安価で格好のソウルフードなのだろうがジャンヌには邪道にしか思えない。
「お塩をふりかけて金網で焼きましょう。きっとおいしいですよ」
「それも美味しいでしょうけどお塩だけですか~、貧乏くさいですよ。胡椒やクローブやナツメグも沢山ふりかけて焼いちゃいましょう~♪」
「イブリン、ジャンヌ様は贅沢がお嫌いなのですぅ。清貧派の聖女様ですよぉ、質素倹約が常なのですぅ」
違う。サバの塩焼きにそんなに大量の香辛料を加えた料理をジャンヌの味覚が拒絶しているだけの話だ。
北部料理の様な香辛料まみれならともかく、適度な香辛料なら値段など気にせず使うし、サロン・ド・ヨアンナやハバリー亭の料理も大好きだ。
「でも、今はジャンヌ様はお客様ですからシェフに言って、塩や香辛料をタップリ使った焼きサバを作って頂きましょう~♬」
イブリンの言葉にナデテも”それもそうだ”と頷いている。
違う、違う、違う! でもこれは絶対断れないやつだ。
三枚におろしたサバを大量に買い込んだイブリンが鼻歌を歌いながらジャンヌたちを先導して領城に向かう。
その夜は中途半端にカレー粉をふったような焼きサバが、特に大司祭に好評だった。
ジャンヌは微笑みながらも悲しい気持ちでサバを食べていた。
☆☆
その夜、ポワトー伯爵家の邸宅の庭に蠢く影が有った。
城壁の陰に隠れて壊れた甕を引きずっている人影は、城壁にその甕を立てかけて割れた側面に薪を押し込んで、燭台から藁束に火を移すと薪の中に投げ込んだ。
板で扇ぎながら風を送り火種を薪に移して行く。
火が熾り始めると甕の口に金網を乗せるて、塩をふって金串に差したサバの切り身をその上にのせてまた板で扇ぐ。
もちろんそこに居るのはジャンヌである。
塩焼のサバを押し通す事は、接待してくれているカロリーヌの顔を潰す事になる。塩だけの味付けなど貴族料理として、それも客に饗する料理としてあり得ないのだ。
かと言って街中の屋台でもそんなシンプルな料理は売っていなかった。
この街ではサバは燻製にするか素揚げで食べているのだ。
それなら仕方ない。
意を決したジャンヌは夜に厨房に忍び込み、サバの切り身と金網を借りてきた。コッソリと…。
夕方見つけて目をつけていた割れた甕を竈代わりにして、サバの塩焼きを作る事にしたのだ。
落ちたサバの脂が食欲をそそるニオイを放つ。
金串を掴んで切り身をひっくり返す。
サバの皮目が焦げだして、銀色の皮が黄金色に輝きだす。
ゴクリと生唾を呑み込み金串を持ち上げた。
「ジャンヌ様、お腹がお空きでしたら遠慮なさらずに仰っていただければもっと良い物をお持ち致しましたのに」
いつの間にか足音も立てず背後に現れたベアトリスに金串を取り上げられた。
「ご存じない方も多いのですが、サバには寄生虫がいる事が有るのでしっかりと焼かなければいけないのですよ。それに時間の立ったサバは傷みやすいので、このサバは止められた方が宜しいですね」
ベアトリスがほほ笑んで金串を見る。
「ああ…そうですね。お仕事を終えられたみんなを煩わせるのは気の毒でしたので…。それに私は体も丈夫ですから少しくらい古くなっても魚で体を壊す事など有りませんよ」
「魚を舐めてはいけませんよ。魚に
ベアトリスが遠い目になって虚ろな表情で南のサン・ピエール侯爵領の方を見つめた。
アニサキスの怖さも食中毒の苦しさも聞き知っている。でも治癒魔術士で闇の聖女ジャンヌ様だぞ! …ジャンヌはそんな事でイキっても仕方がないとベアトリスについてスゴスゴと部屋に引き上げた。
部屋に戻ると燻製のサバやサーモンがタップリと乗ったオープンサンドがテーブルに並べられていた。
ジャンヌはサバのオープンサンドを食べながら思う。
”もう口が! サバの塩焼きの口になってしまっているのに!”
☆☆☆
昨日も今日もセイラとカロリーヌは一昨日の外洋船の助成金の案件で波止場の港湾事務所に入り浸っている。
ジャンヌはその間、枢機卿の身体をサンプルにして治癒魔術の講義をつづけていた。
癌に罹った死にかけの老人と言うとても便利な検体が存在するのだ。
実習で使わなければ意味がない。
「毎日こうして治療して貰い
「こうして私が帰った後も毎日治癒術士たちが回復治療を行います。私は今出来る限り病巣や細菌を殺して行く治療を施します。さあ皆さん先程の病巣を感じて下さい…」
ジャンヌは気付いた。そうだ、殺菌、消毒、寄生虫の駆除って私の得意分野じゃないか。それならサバで日持ちする料理も…。
そしてその日の午後はジャンヌの姿は厨房に合った。
「皆さん、今日は燻製以外のサバの保存方法の提案です。先ほど水揚げ場から買って帰って頂いたサバを三枚におろして下さい。中骨は捨てて、小骨も出来るだけ取り除いて下さい」
料理人達がサバのウロコを取って、三枚に捌いて綺麗な水で洗い、布で水気を拭き取り、下処理を行って行く。
「それでは、初めに全体に砂糖をふって摺り込むように馴染ませて置いておきます」
一般的には臭み取りに砂糖は使わないが、これはジャンヌのオリジナルレシピだ。始めに砂糖を使う事で贅沢感も出る。
鐘一つほど寝かして厨房に行く。
「皆さん、先ほどのサバをまた綺麗な水で良く洗って、布で綺麗に水気を拭き取って下さい」
「「「おお、砂糖を洗い流すのか?」」」
「「「これは贅沢は方法だな」」」
「次は同じ様に塩をタップリ振って砂糖の時と同じように摺り込んで下さい」
これも鐘一つ分ほど寝かしておいた。
「それではこれから最後の工程に移ります。塩も綺麗な水で洗って水気を拭き取って下さい」
そう指示を出し、つぎに平たいバットを用意させてそこに酢を注ぎ込んで行く。
「皆さん、最後の工程です。このバットの酢に切り身を並べて行って下さい。私が最後の処理を行います」
ジャンヌはそう言ってバットの切り身に向かって聖属性の闇魔法を注ぎ始めた。
闇魔法を始めてみたコックたちから驚きのどよめきが上がる。
「これで、全ての切り身の中の寄生虫と細菌は死滅しました。後は明日の朝までこのまま酢につけて酢締めにします。これで三日は日持ちいたします」
ジャンヌがにんまりと笑う。
「あのジャンヌ様。これは闇魔法が使えるジャンヌ様でなければ作れないと思うのですが…。それから細菌って何ですか?」
ベアトリスがオズオズと言った。
「あっ! …でも一日か二日は日持ちしますし、寄生虫も気を付ければ避けられるかも…」
翌朝ジャンヌは皮を引いて貰ったしめ鯖を朝食に出して貰い、数枚の切り身を持って嬉しそうに王都への帰路についた。
このしめ鯖も大司祭のお気に入りになったのだが、アニサキスにより痛めている胃を更に痛める事になったのは又別の話である。
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