第33話 新しい靴(2)
【3】
「あら! あなたいったいどういう事? 背が伸びているじゃない!」
メアリー・エポワスが思わぬところに食いついた。
「ああ、それはかかと部分が上がっているので…靴底も少し分厚くなっていますし」
「ちょっと! その試作品をお貸しなさい! あら、ほんとだわ踵がこれだけ上がれば背が高く見えるわ」
「中敷きを厚くすれば更に高く見えるかも知れませんね」
「あなた! ちょっとそれをお寄越しなさい」
「あー、履き心地を試すなら僕も一度履いてみたいのだけれどね」
「あっ、王女殿下。もちろんですわ。どうぞお履きに成って下さいませ。私ったら殿下を差し置いて無作法をするところでしたわ」
「良いさ、履き心地を一度試すだけで」
「いえ、それはいけませんわ。その試作靴は殿下にお譲りいたします。さあ、セイラ・カンボゾーラ今履いている靴をお脱ぎなさい。私が履いて帰るのだから」
いや、何を勝手に人の靴を取り上げようとしてるのさ。
「えっ、いえこれは私の」
「帰る靴が無ければ私の今履いているものと交換よ。試作品なのでしょう金貨五枚で足りるわよね。試作靴二足分はこれで払うから。履き心地が良ければ踵も中敷きももっと厚くした物を誂えるわ」
「それはもう、メアリー様のお望みの通りに致しますわ。セイラちゃんにはサンダルを履いて帰らせますから。オーダーの靴は踵部分も音がしない様に厚手の革を底に張り付けましょう」
エマ姉何を勝手に私の靴を売っているの!
金貨五枚に目が眩んで私の靴を売りやがったな。私サンダルなんて履いて帰らないからね。
そうこう言っている内に私はエマ姉に無理やり靴をはぎ取られて、メアリーの靴と履き替える羽目に成ってしまった。
「本当にセイラ嬢が言う通り履き心地が良いね。靴底が柔らかいのにしっかりしている」
「ええ、セイラ・カンボゾーラを遥か下に見下ろす事が出来てとても満足だわ」
この副団長の娘は一々と癇に障る事を! いつかその口を縫い付けてやりたい。
「エヴェレット王女殿下。エポワス伯爵令嬢様。しばらくその靴を履いてみて不満点や改良点が有ればそれを教えてください。それを踏まえてオーダーを頂き誂える事に致します」
「ああそれで結構だよ」
「私も異存有りませんわ」
そういう事でエポワス伯爵令嬢からはオーダーは取れそうだ。
後はイヴァン達への靴の提案だ。
【3】
翌日は朝からエヴェレット王女が少し興奮気味に話しかけてきた。
「セイラ嬢、エマ嬢。昨日の靴は履き心地上々だったよ。乗馬にも向いていると思うね」
最近ではエヴェレット王女の取り巻き筆頭でいつもついて回っているメアリー・エポワス伯爵令嬢が、その横で優雅に立って周りを睥睨している。
…こいつ昨日からずっとあの靴を履いたままだな。身長が高くなったことがよほど嬉しいみたいだ。
「そうだね。鐙を踏むときにそれでは踏ん張りがきくのだよ」
「それに踵が付いているので鐙から足が離れにくいわね。ちょうど踵の内側が鐙に引っかかってくれるのよ。ねえ、殿下」
「鐙に引っかかるとはどういうことだ。乗馬に向いている靴というのは」
メアリー・エポワスの話を聞きつけたイヴァンが話に入ってこようとする。
「あなたは一介の騎士の分際で何を王女殿下に気安く話しかけようとしているの。本当に無礼な男ね。さあ、殿下参りましょう。エマ・シュナイダー、今日一日様子を見て明日の午後にでもオーダー靴のお話を致しましょう」
メアリー・エポワスはそう告げるとエヴェレット王女を伴ってさっさとファナ・ロックフォールたちの所に行ってしまった。
「それで、乗馬に適した靴というのは何なのだ」
「私の考案した靴が思っていた以上に乗馬に都合が良かったの。この間相談した騎士団の靴の話しだけれど案が有るので聞いてちょうだい。他の二人も呼んで」
私が手招きしたのでウラジミール・ランソンとヨセフ・エンゲルスやってきた。
「それからエマ姉、オズマさんを連れて来て。彼女にも入って貰って動いて貰いたいの」
私たちが集まって話しているのをマルコ・モン・ドール侯爵令息が忌々しそうに見ていた。
私は昨日エヴェレット王女たちに説明したことと同じことをもう一度話した。
「それで、王女殿下に靴を履いて貰ったら、踵の部分が鐙に引っかかって足が滑っても鐙から外れ難いし、つま先が固いから踏ん張りやすいと言う利点があったのよ」
「それを近衛騎士団でも正式採用しないかという事だな」
「ええ、その時この間言っていたつま先の保護カバーも入れて試作を作ってみる事にするわ。今日の午後にでも採寸に行きましょう」
「それでセイラ様、私は何故呼ばれたのでしょう」
「オズマさんには同行して貰って、この靴の製造と流通をオーブラック商会に取り仕切って貰おうと思っているの。エマ姉には鹿革の件で当面、教皇派閥の貴族の対処をしてもらわなければいけないし、最悪ハッスル神聖国が出て来ることも視野に入れてね。だからこちらはオズマさんにお願いしたいわ」
その言葉にオズマが驚いた顔で聞き返してくる。
「だっ大丈夫なのでしょうか? 近衛騎士団に関係する革製品なんて」
「だからなのよ。今回のイヴァンたちの話しでは鹿革は使用しないわ。どちらかと言えば牛革か豚革の製品が適しているのよ。値の張る鹿革は使う事は無いからモン・ドール侯爵家の企みとは近いようで相容れないの。オーブラック商会はこれまで通りチャップスと靴の取引を牛革や豚革でやれば良い。一個の価格は安くても発注される数は凄く多いのだから、私が特許を取るから、オーブラック商会はそれで新しい販路を開くのよ」
「セイラ様有り難うございます。私みたいなものの為に…」
「仕方ないわね。騎士団関係の販路開拓はオズマちゃんに任せるわ。それでセイラちゃんは特許は譲る気は無いのね。しっかり儲けは押さえてるわね」
「ゲフン…、そういう事でオズマさんにはマルコ・モン・ドールやモン・ドール中隊長たち第七中隊から嫌がらせが入ると思うの、だから」
「全部言わなくても分かってるさ。俺たちに任せろよ。このイヴァン・ストロガノフが名誉にかけてオズマ・ランドックを守る」
「ああ、その代わり爪先カバーの話は秘密だぞ。第七中隊には知られたくないからな。悪いが特許も暫く控えてくれ」
「おいおい、第七中隊は兎も角、俺たちにも靴を回さずに第一中隊だけ独占は無しだぞ」
ウラジミール・ランソンの言葉に第五中隊のヨセフ・エンゲルスが釘をさす。
近衛騎士団は全部で十二中隊ある。一大隊が三中隊編成で、東西南北の四つの大隊が近衛騎士団の編成である。
第一から三までが王都正面を担当する東大隊、第四から六が王都裏門を守る西大隊、第七から九が王宮周辺を守備する南大隊。
第十から十二は王宮内を警護する北大隊でこの大隊は近衛騎士団の連隊本部に居ない。
国王が指揮権を持ち、人数も構成員の名前もほとんど知られていない。
因みに東大隊の大隊長はストロガノフ団長が、南大隊の大隊長はエポワス副団長が兼ねている。
要するにこの三人は南大隊に安全靴の秘密を隠しておけと言っているのだ。
まあ、私としてもそこ迄エポワス団長に義理立てする謂れも無いし、メアリー・エポワスは嫌いだし。
「エポワス副団長は兎も角、メアリーちゃんはそんなこと気にもかけないと思うわ。そもそも鹿革靴はオシャレ靴だもの、そんな鉄入りの靴はオシャレじゃ無いから売れないわ。それなら確実に売れるあなた達に任せるわ」
取り敢えずエマ姉にも言質を取ったし上手く運ぶだろう。
そう思っていた。
この時はまさかこの靴が後々面倒を引き起こすとは思っても居なかった。
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