第32話 新しい靴(1)
【1】
その日の午後、私は上級貴族寮に居た。
メアリー・エポワス伯爵令嬢の部屋に呼びつけられていたのだ。
いや、厳密には呼びつけられたエマ姉の付き添いで就いてきたのだ。
部屋ではエヴェレット王女とメアリー・エポワスが優雅にお茶を飲みながら語らっていた。
「あら、エマ・シュナイダーやっと来たのね。遅かったじゃないの…、ってセイラ・カンボゾーラ! あなた何しについてきたの」
「平民は上級貴族寮には入れ無いもので、身分保障の付き添いとして…」
上級貴族寮は原則、平民は入れ無い。
特例として御用商人などの鑑札を持つ者か聖職者が、上級貴族から呼び出し状を貰った場合にはその指定された部屋にのみ入室できる。
エマ姉の場合は前者、ジャンヌの場合は後者である。
まあジャンヌの場合は本当は聖職者では無いので、異例中の異例であるがそれを否定すると黙っていない人間が多すぎるので学校は聖職者扱いをしている。
そして今日の場合は急な話で呼び出し状も間に合わなかったので、下級貴族の私が保証人として付き添って入寮したのだが、エポワス伯爵令嬢はえらく不満のようだ。
「それであってもセイラ・カンボゾーラで無く、もっと他に下級貴族は居るでしょうに。よりによってなぜその女を」
メアリー・エポワスはここ最近エヴェレット王女と仲が良い事を回りに盛んにアピールしている。
もともとエヴェレット王女と懇意な私が煙たい様で、最近やたらと絡んでくるのだ。
女子同士のこう言う嫉妬は、扱いが分からなくて困惑する。
「まあ良いではないか。彼女も僕の乗馬仲間だし、色々と良くして貰っているのだから、メアリー嬢も機嫌を直してくれないか」
「ええ、王女殿下がそう仰るなら許しますわ」
おいメアリー、別にお前に勘弁して貰う様な事はしちゃいないぞ…っと言う言葉をグッと飲みこんで笑顔で挨拶する。
「ありがとうございます。私がご一緒したのは入寮の件も有りますが、お二人に新しい靴の事でもご提案が御座いまして罷り越させて頂きました」
「靴の提案? 僕はメアリー嬢にスカートをプレゼントしたいのだけれど?」
「ええそうですわ。私がエマ・シュナイダーを呼んだのも、エヴェレット王女殿下をお招きしたのも、スカートのデザインや採寸を行う為ですわ」
「ええ、それはそうなのですが、この度お父上のエポワス伯爵様からメアリー様に靴をプレゼントされるとご依頼を受けましたもので、それならばせっかくの乗馬スカートに合わせた乗馬靴の方が良いのではと思いまして。その矢先、セイラちゃんがイヴァン様達と騎士団で使う乗馬靴の改良の相談をしていると聞いたので同行して貰う事にしたんですよ」
「まあ、そうなの。それは嬉しいわ。靴のプレゼントは嬉しかったのだけれども、お父様のセンスはもう酷いのなんの、エマが間に入ってくれてホッとしていたの。それならばスカートに合わせた乗馬ブーツとモカシン靴の二足をお願しようかしら」
「ほう、革のスカートに合わせて靴を作るとは贅沢だねえ。衣装に合わせて靴を誂えるなど上級貴族にしか出来ないお洒落だよ。今までそこまでした人など見た事も聞いた事も無いね」
「まあそんな。でもそう仰って戴いてとても嬉しく存じますわ。ああ、そうだ! 私もスカートのお礼に王女殿下に靴をプレゼントいたしましょう。ねえエマ、お父様から頂いた予算でもう一足、いえ二足増やす事は出来て?」
「エポワス伯爵様の予算などお気になさらなくて構いませんわ。昨日のモン・ドール教導騎士団長達からしっかりと戴いておりますもの。そちらからご用立てい致しますわ。それにスカートと揃えるなら同じ鹿革から靴の生地も抜いたほうが美しいと思いますから」
よく言うね。エポワス伯爵からはメアリ-の靴代の名目で金貨十五枚せしめてるんだろう。靴四足で金貨十五枚ならば十分元が取れるだろう。
「あらそうなの。私はモン・ドール中隊長のあの顔が見れただけでも十分満足だったわ。本当にあの男の泣き面ときたら、今思い出しても笑いが止まらないわね」
「シュナイダー商店もおかげさまでシッカリ儲けさせていただきましたわ」
「金貨六十枚分の鹿革を鹿革一枚と交換よね。あの鹿革金貨二十枚くらいって言っていなかったかしら? もしかしてあの端切れの鹿革は靴の生地になるのではなくって? それであの小さな鹿革と交換ですの」
「それはメアリー様のお慈悲のおかげであの二人が救われるのですから当然の価格でしょう」
「オホホホ、口先だけで金貨四十枚も儲けるだなんて、あなたも本当にワルね」
「そう仰るメアリー様こそ、タイミングを計ってモン・ドール兄弟のプライドをへし折りに行くその手腕感服しましたわ」
「「オホホホホホ」」
ファナと言いメアリーと言い、底意地の悪い上級貴族とは本当に気が合うよねえ、エマ姉は。
【2】
「それで私の提案は底なのです」
いつまでも放って置くとこの二人の話が終わりそうも無いので割って入る事にした。
「そこ?」
「えっどこなの?」
「そうでは無くて、靴底です」
この世界にはとても靴屋が多い。
靴は高級品で、おいそれと買えるものでは無いのに靴屋は多いのだ。
それは何故か。
それは靴底が常に修理を伴なう消耗品だから。そう靴屋と言うより靴底の修理屋が非常に多いのだ。
それは何故かと言うと、靴底が一枚革や革を数枚張り合わせだけで出来ているので直ぐに擦り切れてしまうからだ。
この世界では靴は足を包み込むような革を靴ひもで縛るような形で、底に厚めの革を張り付けるだけだ。サイズもいい加減なら左右の区別もない。
そう、この世界の靴にはヒールが付いていないのだ。いや厳密にはソールが無いのだ。
「靴底が薄い革なので直ぐに擦り切れてしまうし、砂利道で石を踏むと痛いでしょう。だから靴底を分厚くして木の板を張り付けるのですよ」
「それは木靴の様な物かな。でもそれでは歩きにくいぞ」
「バカバカしい。足の裏が動くから革靴は歩きやすいのよ。木靴よりは履きやすいかも知れないけれど動き難ければ意味は無いわ。伯爵家の私や王女殿下に平民が履くような板靴を革靴に付けろと言うのと同じでは無くて」
革の靴底は直ぐにすり減ってしまう。だから平民や下級貴族でも靴底を長持させる為革靴の上から木製のサンダル様な板靴を履くのだ。
「セイラちゃん、上級貴族は革靴の張替えにお金を惜しむような貧乏くさい事はできないのよ」
「いやそういう意味では無いんだよ。革のままの方が動きやすいのだよ」
「ですが、足が痛くなるでしょう。板靴を履いている方があしが痛くならないでしょう」
「足の痛みより外聞が悪いでしょうが! あの人は伯爵令嬢のクセに板靴を履いてるって言われるのは」
「みんなに分からなければ良いじゃないですか。それに私が改良したものは履き心地も格段に向上しているのですよ」
私はそう言って試作の革靴を見せた。
「おや、中に柔らかい革が敷いてあるのだね。それにつま先と踵の高さも違うようだけれど」
私は先ずインナーソールを取り入れた。これなら今すぐにでも売り出して誰でも使えるからだ。
「この絵を見て下さい。足の形ってどうなっていますか? 右と左で左右対称ですが地面につく部分は決まっているでしょう。それに足の裏で動く箇所は指以外ではつま先とそれ以外に分かれますよね。足が地面につくところは限られているでしょう」
「あら、そう言えば踵と爪先側の前半分が地面について、土踏まずの部分は殆んど地面についていないわね」
「だから爪先側の部分を分厚い革で補強して踵には木で作ったこの補強を足したのです」
二人は試作靴を手に取って中を触ったり、靴底のヒールを叩いてみたりしている。
「ここ迄その新しい靴を履いて来てみましたが、とても履き心地が良くて快適でしたよ」
私は立ち上がって今履いている靴を指し示した。
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