第122話 売買契約

【1】

 下の喧騒に気を取られていると、いきなり乱暴に事務所のドアが開けられてどかどかと数人の男たちが入ってきた。

 私は慌てて伝声管の蓋を閉じると振り返った。商会の職員たちが警戒の体勢をとる。


 入ってきたのはフラミンゴ伯爵とシュトレーゼ伯爵、そしてその随行者であった。

「邪魔するぞ、小娘。久しいな、息災であったようだな」

「お久しぶりで御座います。宰相こそ御息災のご様子で、喜ばしい事です」

「ワハハ、変わらずに口の減らぬ小娘だな。先ずは茶を出せ。それからパルメザンで評判のカツレツが所望だ。それから酒もな。多くはとはいわんが一本くらいは良いだろう。茶もグラスも二人分だ」

 それだけ言うと勝手にソファーに腰を下ろす。

「貴公も座れ。遠慮はいらん」

 一緒に連れてきたシュトレーゼ伯爵に顎をしゃくって相席を促す。


 何が遠慮はいらんだ。私の商会だぞ。

 私は仕方なく横に控えていたルイーズに伝える。

「仰る通りに二人分ご用意をしてちょうだい。それからマデラ酒を一ビンね」

「おお良く分かっておるな。さすがは商人だ」

「宰相殿、この小娘はかなりの食わせ物ですぞ。信用しすぎると足を掬われる」

「ひどい仰りようですね、シュトレーゼ伯爵。ライトスミス商会はどこかの商人達の様に足元を見て暴利を貪るような事は致しませんよ」

「それは、ハスラーの者を指しておるのだろう。まさか東部の者ではあるまい」

「宰相殿、良くもこのような無礼を聞き流しておられるなあ。小娘いい加減にせんか、宰相殿が許しても私が黙っておらんぞ」

「御無礼が御座いましたなら謝罪いたしましょう。そして飲食が目的で御座いましたら下のセイラカフェに席を設えさせますが」


「この小娘が」

「まあ、それぐらいにしておけ。其方の教導派嫌いは聞き及んでおる。今日は商談で参ったのだ。サッサと済ませてしまおう」

 そのタイミングでルイーズがお茶を用意して戻ってきた。順番にお茶のカップを回して行く。


 フラミンゴ伯爵がお茶を一口飲むと話を切り出した。

「これから春までの間に織機を何台用意できる? 作れるだけ買うぞ」

「織機で御座いますか? 昨年お納めしたような物で宜しいのでしょうか?」

「それで良い。私の領で使う物は最低でも八台は欲しい用立てよ」

 シュトレーゼ伯爵割って入って来る。

「契約内容は昨年と同じで金貨三十五枚、輸送費はそちら持ち。組み立ても行うなら職人の派遣料も戴きます。部品は互換性が有るので使いまわしも利いて修理も容易です。今後のメンテナンスを習得する為に職人の派遣を推奨しますが無理にとは申しません」


「同じ織機でもハスラー製の物より丈夫で動きも滑らかじゃ。フラミンゴ領でも八台いや有るならば十台以上なら買いたい」

「そんなに必要なのですか?」

「何を寝ぼけた事を。其方らが仕掛けたことであろう。リネン布が一気にダブついておるのだ。どこかの領が余剰の糸を使ってリネン布を流しておるせいでな」

「其方、パルミジャーノ州で織機を入ておるのではないのか。それならば私たちの領にも納品して貰いたい。ああ、特許の件はリコッタ領で聞いている。我が領内だけで良いならその法令認めてやるから納品せよ」

「それはフラミンゴ領も同じだ。ハスラー聖公国の手前、パイにも限りがある。他領に振りまくほど聖人では無いわ」

 宰相がこれで良いのかとも思うが、納得は出来る。


「判りました。木工場に確認しなければ詳細は申せませんが、春までに二十台は都合をつけられるでしょう。余力が有ればさらに生産させましょう。少しぐらいなら在庫がだぶついても修理用のパーツに充てられますから」

「おおそれは助かるな。まあライトスミス商会がいくら儲けるかは知らぬが、顧客に損はさせぬことは理解しておる。それで契約を進めて貰おうか」

「其方、それだけで良いのか? 他に何か企んでおるのではないか。リコッタ領の折も何やら画策しておったであろう」

「なにも無いとは申しませんが、今回は特には。領内だけでも特許を認めて貰えるならばこれ以上の事は求めませんが?」


「流通や販売の権利をよこせとか言わんのか?」

「それはさすがに…。東部商人と競合して揉めるつもりはさらさら御座いません。そちらの貴族様の御用商人に手を出すつもりも、ましてや取って代わるつもりも御座いませんから」

「殊勝な事だ。それで本音はどうなんだ」

「お判りでしょう。東部や北部の貴族方とは出来れば関わり合いに成りたくないので御座います。特にハッスル神聖国の教皇に繋がる枢機卿や大司祭と王族には絶対に関わりたくありません」

「其方…、よくも私たち王宮貴族を前にして教皇猊下まで愚弄する様な事を」

「シュトレーゼ伯、それくらいにしておけ。コヤツはゴッダードの聖教会の重鎮で在野の幹部だ。清貧派のガチガチだからな」


「それが我々相手に金儲けかね」

「私は聖人ではありませんから。一介の商人にとって金に貴賤は御座いません。真っ当な取引を出来る方なら拒みませんわ」

「それでリコッタ伯爵か?」

「私共は正しい方向を何度もお示しいたしましたが聞く耳をお持ちでなかったようなのでペコリーノ様に委ねただけの話。シュトレーゼ伯爵のお陰でリコッタ領も領民たちも上手く回る事でしょう」


 そこにナデテが注文の皿を持って現れた。

「おお、丁度良い。酒が来た。良いマデラ酒だ。シュトレーゼ伯よ。貴公もハウザー王国の酒だと言って飲むのを躊躇う事はしまい」

「宰相殿…。ああ分かった分かった。酒にも金にも貴賤は無い。これで良いだろう。セイラ・ライトスミス、聖年式を過ぎておるのだろ其方も付き合え。祝杯だ。そこの獣人属のメイド、グラスをもう一個持ってこい」


「予備のグラスは準備しておりますぅ」

 ナデテは持ってきたグラスを私に手渡すとフラミンゴ伯爵から順にマデラ酒を注ぎ始めた。

 三個のグラスに赤いマデラ酒が注がれる。

「利害が一致する部分については納得しよう。商談の成立を神に感謝しようぞ」

「神にはともかく取引と契約には偽りは申しません。利益はお約束いたします」

「まあそんなところであろう。損の無い取引に感謝しよう」


「そう言えば今年はハウザーの綿花が不作の様だな。仲買商たちが品質が悪いとぼやいておった」

「そうなのですか。ゴッダードの商人はセリに参加致しませんので関心は薄いのですよ。リネン相場にしたところでライトスミス商会以外はあまり関心を示す商会は有りませんし」

「まあそう言うものだろう。しかし、綿花の質が下がれば我が国のリネンの価値は上がる。今年押さえたリネン紡糸は出来るだけ早くハスラー聖公国に売りたいものだな」

「お二方の領地でリネン布の競り市でも開けば如何です。ライトスミス商会も参加して売値を吊り上げても構いませんよ。ハスラー産を買うよりは安く買えれば利益は出ますから」

「その様な事教導派の信義に…」

「そう言ってハスラー商人に買い叩かれるのをお望みか、シュトレーゼ伯よ」

「…南部商人も交えた競り市は考えてみよう」


 やはり魔導理論をガチガチの教会真理で固めている魔導士は教導派聖教会の狂信者が多いようだ。困ったものだ。

 その点では宰相殿は清濁併せ呑む食わせ者ではあるが、発想が柔軟なで腹の内を窺わせない。

 この契約でこちらが食われないように細心の注意が必要なようだね。

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