第123話 綿花貿易

【1】

 サンペドロ州の紡績工場が動き出した。

 冬の間は農閑期の村人たちを雇って運転を続ける。そして街道筋の倉庫は綿花が減り、綿糸が保管され始める。

 毎日一便、糸を積んだ荷馬車がゴッダードに向かい代わりに家具や木工品を乗せた荷馬車が帰って来る。

 馬車は四頭立ての大型になり糸以外にも交易品や人も載せて運航するようになった。

 一日一度やってくる交易馬車を目当てに倉庫の町に人が集まるようになってきて、居酒屋と簡易宿舎がまた店を開いた。

 周辺に旅客を相手にする店舗が立ちそこに住む人たちも増えだした。


 工場の村へ通う若者たちの為に街道の町と工場を繋ぐ職員馬車を走らせ始めた。

 近隣の村から聖教会教室を出た子供たちが工場に働きに出てきて、街道の町に住み始めたからだ。

 工場の周りの村人も買い物の為に町まで出てくるようになったので、職員馬車は銅貨一枚で乗れる乗合馬車になった。職員には定期券を支給している。

 そして町に下宿屋を建設中である。工場に働きに来た子らの寮にするのだ。福利厚生は事業主の義務だからね。


 この小さな名も無い町はすぐに大きくなるだろう。町の名前をライトスミスタウンと付けようかと考えていたら、町の入り口にヴェローニャと金色の字で書かれた大きな看板が上げられた。

 あのクソ女、なに勝手に自分の名前を付けてるんだ! ふざけんな!

「我が州内の町だ。私が名付けて何が悪い。戦の女神に由来する素晴らしい名だろう」

「ビタ一文投資もしないで、なにを厚かましい。道も倉庫も建物もライトスミス商会の金で作らせておいて、良くも言えたものですね」

「フン、たかだか町の名前ごときで器の小さい狭量者め。セイラタウンとか黄昏た名前を付ける心算だったのであろう。残念だったな」


「金も出さずに名前だけ付けた女って石碑に掘って町の広場に飾ってやる!」

「交易馬車を無税にしてやったでは無いか!」

「たった一便だけ。それも春までで偉そうにしないで! 交易馬車が来なくなれば直ぐに町は廃れるわよ。ただの工場の町になってしまうからね」

「判った。交易馬車はずっと無税にしてやる。それに本数も三便まで増やしてやろう。これで良いだろう」

 町の名前の代償は、それでで勘弁してやろう。

 ヴェローニャをハブにして街道筋の村や町を結ぶ定期馬車の運行も始めようかな。


「ヴェロニク様ちょっと相談なんだけど、この町の西の河に船着き場を設置して税関を設ける事は無理かしら」

「お前の様付けには敬意が微塵も無いなぁ。税関は設けるのは良いが、何のためにこんな場所に作るんだ?」

「ここから国境までは船で鐘二つ程度で着くわ。国境付近の岸辺は岩場が多いから船着き場はここより北には無いの。だからここで税を取ってそのままラスカル王国まで船を通してしまいましょう」

「待て、待て、待て。いったい何の船を通すんだ。ラスカル王国との通行は国境門に限られている。河船で税関など聞いたことが無い」

「別に法に謳われている訳では無いでしょう。国境税は法で定められていますけど国境門は管理がし易いからそう決めているだけでは無いですか」

「しかし上流のラスカル王国から来るのは良いが、ラスカルに行くのは逆なのだぞ」

「だから引き船で上がっても鐘二つと言ったでしょう。流れも緩やかだし風向きによっては帆を張っても進めるわ」

「しかし馬車よりずっと時間がかかる。ラスカル王国にも川沿いに大きな町は無いと聞いた」

「粋がっているくせに、出来ない言い訳を並べて。女として恥ずかしくないの! 時間はかかるけれど運べる量が違うの。馬車の二十倍近く運べるわ。それにブリー州でも船着き場の有る倉庫の町を作っているのよ。こちらはロックフォール侯爵家の主導でね。この儘じゃあファナ・ロックフォールに負けるわね」


「私を誰だと思っている、ヴェロニク・サンペドロ辺境伯令嬢だぞ。食う事しか興味の無いファナ・ロックフォールごときの後塵を拝するつもりはサラサラ無い!」

「なら後はお任せするわ。企画書類はコルデーから辺境伯家の文官を通して提出させるわね。のんびりしているとファナに負けるわよ」

「応よ! 武人たるこの私がラスカルの侯爵令嬢如きに後れを取ってなるものか」

 この人は単純で良い。勝ち負けで煽ったらすぐにのってきた。稟議書通りに事が進めば良いのだけれど…。


 ブリー州の話は嘘ではない。

 ロックフォール侯爵家が主導しゴッダードの西の国境近くに集積場を建設中なのだ。その集積場のある船着場かロックフォール公爵領ではあるが、ゴッダード迄馬車でなら鐘一つかからない。

 そして船便はさらに上流のレスター州、グレンフォードの街まで結ぶ計画が進んでいる。

 今でも綿糸を運ぶ荷馬車はロックフォール侯爵領の新しい町の倉庫に運ばれている。もちろん名前はファナタウン。

 まあ彼女が一枚かんでいて自分の名前を付けない道理が無い。その町からゴッダードを経由して荷物を満載にしてまたヴェローニャへ戻って行く。

 しばらくは綿糸をこの倉庫に保管して、年が明けるころまでに織物工場の設置の目途をつけてしまいたい。

 来年にはこの川を使って上流の街に作った織物工場に綿糸が運ばれるだろう。


 フラミンゴ伯爵とシュトレーゼ伯爵の契約の織機作りが終われば、引き続いて新設織物工場向けの織機の製作に入ってもらう。春から夏にかけてで稼働が出来れば、ハスラー商人が綿布を販売に入るころに併せてゴッダードとメリージャで販売を始めて行きたい。

 ハウザー商人への攪乱や目くらましはエマ姉とグリンダに動いて貰う。

 貴族階級にはサロン・ド・ヨアンナを通じて、こっそりと流してゆくという手も考えられる。


 ヨアンナとファナの暴走は無いとは思うが、ストッパーはゴルゴンゾーラ卿とファン様に頼んでおくべきか。

 まあこの国の悪役令嬢二人はエマ姉とグリンダに任せてあるから二人が手綱を引いてくれるだろう。

 ラスカル王国とハウザー王国の二国間をまたぐ紡績事業は順調な滑り出しを見せている。


「ヴェロニク様。サロン・ド・ヨアンナでハウザーの他州の貴族たちに呼びかけて酒精強化ワインを沢山仕入れて下さい。ラスカル王国では人気なのです。それからコーヒーや香辛料も欲しいのでお願いします」

「…私は其方の使い走りでは無いぞ。様を付ける限りは少しは敬意を払え」

「それから、生姜は手に入りませんかねえ」

「少しは人の話を聞けよ! 小娘の分際で生姜なんか手に入れてどうするんだ。色気づくなど十年早いわ」


「少し作りたい物が有るんですよ。冬の寒い頃は体が温まって良いんです。ヴェロニク様の様に婚期に焦っているわけではないですから」

「私のどこが焦っていると申すか! 武人に婚期など不要だ!」

「別に焦っていないなら構わないのですが、週明けにはクオーネに向かうのでワインの件は宜しくお願いしますね。うまく行けば独身の上位貴族の男性との縁が出来るように尽力致しますので」

「其方いい加減にしろよ。別に婚期など気にしていないからな! 私は武人だから弱い男は対象外だぞ。下位貴族でも武人でしっかりした男なら養子に入ってもらうからな。最低でも正規の騎士団員だぞ。隊長クラスなら特に良い。上級武官は人となりによるが政治に長けた様なヤカラは願い下げだからな」


 この女、婚期は気にしないと言いながらえらく注文が多い。やはり婚期を気にしてるんじゃないのか?

 私は春までに西部や北西部の諸州で織物工場の設立に向けて動かなくてはいけない。ヴェロニクの結婚相手探しはヨアンナに丸投げしても良いかしら?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る