第190話 審問会(3)

【3】

 議場は一時騒然となった。

「早く吐かせて! 毒を吐かせて!」

 ギボン司祭に駆け寄った私は光魔法の施術をこころみようと両手を伸ばしたが邪険に振り払われた。

 吐かせるにも歯を食いしばって受け付けない。その内力も弱まり、私が彼女の胸に手を当てて光魔法を流したが死を伸ばすだけで心臓の鼓動はまもなく止まってしまった。


「ギボン司祭は自死したようだな。これは罪科を認めたと同じと言う事ではないか」

 シェブリ大司祭が彼女の死体を一瞥するとそう告げた。

「言う事はそれだけ! 貴方はこの姿を見て何も感じないの?」

「すまぬ。慈悲深き光の聖女様の前で不調法であった。罪状はともかく我らには良く使えてくれた司祭だ。死に対しては冥福を祈ろう」

 白々しい上辺だけの言葉に心底吐き気がする。

 罵声を吐きそうになる私の肩をそっと支えたルーシーさんが私を席に誘う。


 少し冷静になって周りを見渡すと、大半の人々の視線は私に向いてる。大司祭や貴族たちの関心事はギボン司祭の死では無く私の属性に有る様だった。

「多分マリナーラ枢機卿とシェブリ大司祭が幕引を図るつもりだ。俺たちはシェブリ伯爵家の非をパーセル大司祭はマリナーラ枢機卿の落ち度を出来るだけ抉る。出来る限り引き延ばせ」

 ゴルゴンゾーラ卿が私の耳元で呟いた。


「被疑者が死亡したのでこれ以上の審問は…」

「なぜこうも簡単に毒を持ち込めたのですか! この大聖堂の、この領管理は杜撰すぎませんか。それとも何か企みが有るのですか」

 私はマリナーラ枢機卿の言葉をさえぎった。

「そんな物は無い! 偶然ではないか! 戯けた事を」

「証拠が無いとは言え、ギボン司祭はポワトー枢機卿様の死を望まれていた様にしか思われんのですがな。それも少しでも早く…枢機卿の任期切り替えまでに」

 ゴルゴンゾーラ卿の言葉にボッタルガ大司祭とポワトー大司祭がシェブリ大司祭の顔を見る。


「邪推ではないか! すべてヴァランセとか申し指導騎士団長の憶測から出た邪推ではないか。ギボンの目的がそうであっても我らの与り知らぬ事だ!」

 シェブリ大司祭の反論に他の大司祭たちは懐疑的な目を向ける。

「主人の言動はそうかも知れません。でも私どもはこの様な事件に巻き込まれて、容疑者のギボン司祭が無くなりましただけでは収まらないのです。ライオル伯爵はリール州の、ギボン司祭はロワール大聖堂の管理下に置かれる貴族や聖職者です。そしてその責任はシェブリ伯爵家にあると存じますが」

 ルーシーさんの言葉にシェブリ大司祭以外の聖職者たちは合意したようだ。

 所詮は足の引っ張り合いである。ポワトー枢機卿の下で権力を握っていたシェブリ伯爵家の追い落としにもってこいなのだから。


「言いがかりだ…。すべての責任はライオル伯爵家に有る。ライオル伯爵領こそが諸悪の権化で我らは被害者だ」

「シェブリ大司祭、その言い訳は通用せんだろう。百歩譲っても教区管轄の枢機卿であるポワトー枢機卿様は瀕死の重病であった。それとも代理のマリナーラ枢機卿様にその罪を問うか?」

「ふっふざけた事を申すな! わしは西部地域の管轄で今日だけの代理ではないか」

 マリナーラ枢機卿が慌てて口を挟む。

「されど今日のギボン司祭の服毒は失態でありましょうな」

「左様、ジャンヌ様の捕縛と言い少々失態が続いておられるようですな」

 フォン・ド・ブラン大司祭とカチョエペペ大司祭があてこする。

「まあお二人とも、今はその話は好しと致そうではないか」

 パーセル大司祭がマリナーラ枢機卿の顔を見ながら話を切り上げた。


「ライオル伯爵家とその領地については王法と貴族会議に委ねるとして、リール州の聖教会の運営管理についてはシェブリ伯爵家を査問の対象として司会の査定会議に委ねる事で宜しいかと存ずるが。マリナーラ枢機卿様如何ですかな?」

 パーセル大司祭の問いかけにムッとした顔でマリナーラ枢機卿が同意した。


「それで後は光の聖女様の扱いについてじゃ」

 マリナーラ枢機卿がいきなり話題を変えて来た。

「扱いって何ですか。私は物ではありません!」

 私の反論にマリナーラ枢機卿が慌てて取り繕う。

「そう言う心算では無かったのだ。聖女にはそれに相応しい処遇が必要だと、そう申し上げたかったのだ」


「私は魔力特性の審査も受けていませんし、成人の礼拝まで受けるつもりは有りません。ですから私は聖女の資格も証明する物もありません」

「その様な些末な事は良いのだ。ポワトー枢機卿を治療し、今もギボン司祭に癒しを掛けているのをこの目で見た。枢機卿のわしが認めるのだこれ以上の証明が有ろうか」

 ポワトー枢機卿もそうだったがマリナーラ枢機卿も自身が是と言えばすべてが通るとでも思っているのだろうか。

 しかしこの焦りようはどうだ。

 ここは大聖堂だ。審査の儀式をしようと思えばすぐに出来るはずなのに、それも無く余りに強引すぎるだろう。


「そうだ。ポワトー枢機卿の治療の褒美も兼ねてポワチエ州に聖堂を用意して司祭として赴任していただくつもりなのだ。いや、これは枢機卿の合意も得た事で、枢機卿自身も望まれておる」

「待ってくだされ。その様な事北部教区の管轄司祭会議の同意も無く勝手に決められては困る。我ら北部教区全体でしっかりとお守りして行かねばならん」

 北部の大司祭たちが一斉に騒ぎ始めた。


「うるさい! 黙れ!」

 そこに一言怒声が響き、机が叩かれる音がした。

 皆が一斉にそちらを振り返る。

 中年の貴族が立ち上がり周りを睥睨している。

「光の聖女セイラの出自は昨日聞いておる。ゴルゴンゾーラ卿の娘だそうだが、そもそも彼女は我がブリー州の住人だ。それをどうするかほざく権利が北部の人間に有るのか!」

 誰あろう我が州の筆頭領主ロックフォール侯爵である。


 姦しかった北部聖職者やマリナーラ枢機卿は口を開いたまま固まっている。

 ゴルゴンゾーラ卿も切れかけていたが、ロックフォール侯爵の剣幕に飲まれて口を噤んでしまった。

「今まで黙って聞いていたが、聖女ジャンヌも南部グレンフォード大聖堂の所属で我がロックフォール侯爵家の庇護する者だ。それを物扱いして愚弄しおって、そして挙句に領主にも親にも本人にも承諾も無く何を身勝手な事をほざいておるのだ!」


「お待ちくだされ。ロックフォール侯爵の言に同意する訳にはまいりませぬ。これは聖教会に係わる事。聖属性の聖別は聖教会の責務で世俗の者が口出しできる事では御座いまぬ」

「それ以前の問題だ。セイラもジャンヌも南部の住人だぞ。物事をすり替えるな。北部の者が好きにして良い訳が無かろう」

「ジャンヌ様の事は謝罪いたしましょう。今後枢機卿の査定会議で正式に謝罪を行います。しかしセイラ様については聖属性を御発現なされたのは北部で御座いますぞ」


「何を根拠にその様な事を仰っておられるのでしょうか。王国法でも聖教会聖典でも発現場所云々の記述は御座いませんよ」

 ルーシーさんの声が響いた。

「それは違う。特性検査で発現した聖教会教区がその庇護を行う事になっている」

「だから、それがどうしたと言うのです。北部で聖属性が発現したと言う証拠が何処にあると言うのですか」

「わからぬ事を! ポワトー枢機卿の下で、そしてこの場でも」

「それの何が証拠だと」

「ポワトー枢機卿が認めておる。わしも認めておる。さっきも言ったであろうこのマリナーラ枢機卿が認めておるのだ」

「王国法にも聖教会聖典にもそのような事は書かれておりません。発現は特性検査のみによると。そして私の娘は成人の礼拝まで受けさせる心算は有りません」

 ルーシーさんがそう言い切った。


「皆様、少々落ち着かれよ。少し頭を冷やして休憩にしようではないか」

 それ迄成り行きを見守っていたパーセル大司祭が提案した。

 改めて見渡すと皆めいめいに席を立って言い合っている。聖職者どうし、貴族どうし、そして聖職者と貴族で。

「当事者の言も聞かず、皆興奮し過ぎだ。腹も減ったし一刻ばかり休憩をとって次の鐘で再開としよう」

 もうすべてはパーセル大司祭が牛耳っている様だ。

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