第52話 メリージャ大聖堂(2)
【3】
一夜明けてオスカーとレイラはヴォルフ商会が回してくれた馬車に乗り込んだ。
奉納するリバーシ盤を治めた化粧箱をグリンダが、リオニーはフルーツとクリームのタップリ挟んだ特別仕様のファナセイラを入れたバスケットを持って供として乗り込んでいる。
そして御者はミゲルが務めている。
聖教会に着くとドミンゴ司祭が数人の聖導師を連れて待っていた。
馬車からはオスカーとレイラに続いて、グリンダとリオニーが後ろに従う。
ミゲルは馬車を車寄せに回して、そこで待機する。
馬車を降りた四人はドミンゴ達清貧派聖職者に
ごみごみとした第一城郭の外の建物と違い、聖堂は古めかしいが巨大で重厚な造りであった。美しいステンドグラスに照らされた聖堂内は、何世紀もの風雪に耐えたようで、柱や壁の彫刻やレリーフは硬い大理石がすり減っているのが分かる。
四人は聖堂の奥の謁見の間を通り過ぎ、外れに位置する執務室に通された。
重厚で冷え冷えとした聖堂と異なり、執務室は非常に豪華であった。扉を開くと毛足の長い絨毯が敷き詰められ、更にその上に立派なソファーとテーブルが置かれていた。
昼だというのに部屋にはいくつもの燭台が灯され、部屋のあちこちに凝った彫刻を施されたチェストが並んでいる。
そしてソファーの真ん中には真っ白い大司祭の袈裟を着た中年の女性が座っていた。
「バトリー大司祭猊下様。お目通りのお約束を賜ったライトスミス商会の者を連れ参りました」
ドミンゴ司祭が二人を中へと招き入れる。
オスカーとレイラは大司祭の前で絨毯に膝をついて頭を垂れた。
「大司祭猊下におかれては、ご機嫌麗しき事をお喜び申し上げます。この度は謁見の許可を賜り恐悦至極に存じます。オスカー・ライトスミスと申します」
オスカーの挨拶の声が響く。
「妻のレイラ・ライトスミスと申します」
レイラも続いて名乗りを上げる。
「メリージャ統括大聖堂の大司祭であるダリア・バトリーと申す。顔を上げよ。即答を許す」
「ご拝謁の栄を賜り有難うございます。これはわたくし共のお店で提供いたします、ラスカルの王都でも評判のファナセイラと申す甘味で御座います。お口汚しとは思いますがご賞味頂ければ幸いでございます」
レイラの口上に合わせてリオニーが進み出てバスケットを捧げる。
バトリー大司祭は横に立つ修道女に、顎をシャクって合図をする。修道女は一歩、歩みでてバスケットを受け取ると後ろに下がった。
リオニーも同じく腰を屈めて後ろに下がると、膝をつき平伏の姿勢に戻る。
大司祭は少し関心した風でその所作を見つめていたが、
「ほう、獣人にしてはちゃんと礼儀を弁えておるようだ」
その言い方にオスカーがムッとしたことを感じ取ったレイラが、オスカーの肩を抑えて話始める。
「はい、この様にして平民の娘たちにメイドとしての教育を施すためにこの店を開いております。一人前になればメイドとしての勤務先も斡旋できればと考えております」
「ほほう、なるほど只の商人ではないようじゃのう」
「大司祭猊下。この者たちはラスカルでも聖教会に多く喜捨を行い信者のために働いておる者達に御座います。このドミンゴめが口利きを行いメリージャに店舗を手配させ申した」
ここぞとばかりにドミンゴ司祭が大司祭へアピールする。
「そのかごの中のものをこれへ」
大司祭がバスケットを持って来させる。
「紙に包んであるがこのまま食べるのか?」
「手が汚れぬように紙を持ってお召し上がりください」
「白パンでは無く、何やら黄色く焼き目が着いておるなア」
「はい。白パンをもとにして甘く調理しております」
セイラのアイディアで白パンに玉子とミルクと砂糖を混ぜた卵液を滲み込ませて焼いた物にフルーツとクリームを挟んだ特製品だ。
「おお、これは甘くて旨い。気に入ったぞ」
「高価な玉子やクリームをふんだんに使っております。とても高価の物なので今までは店で出したことは御座いませんでした」
オスカーが説明を行う。
「それをわらわに饗したと申すのか」
「はい。お味の判る方にでなければ勿体のう御座いますので」
「なかなかに申すわなあ。その方何か望みでもあるのか?」
「その前にこれを、お納めしとう御座います」
オスカーの言葉に合わせて、グリンダが一礼して立ち上がると恭しく化粧箱を掲げて歩み寄る。
修道女が受けてると大司祭の前のテーブルに置き蓋を取った。
「なんと。美しいものではあるなあ」
そう言うと駒を手に取って弄びながら話を続ける。
「我が家の家紋と聖教会紋が裏表に刻印してあるな。象牙と黒檀の張り合わせか中々に見事な物じゃ」
「はい。光と闇の聖属性を表す駒で御座います」
「して、これは何に使う物じゃ?」
「遊戯盤に御座います。ルールはごく単純で御座いますが奥の深い物で御座います」
「盤双六のようなものか? 博打ではないのか」
「いえ。純粋に知恵比べのゲームで御座います」
「そこな女。相手して説明いたせ」
大司祭はレイラを指さして向かいに座らせた。
レイラの説明を受けながらゲームを進める。盤面はレイラの打つ黒札が全体の2/3を占めて優勢に展開している。
大司祭の機嫌が少々悪くなってきた。
そのタイミングを計ったかのようにレイラの後ろに立つグリンダが口をはさむ。
「僭越でございますが宜しいでしょうか。大司祭猊下、右下の角に駒を置くのが有利かと存じます」
「なぜじゃ? 一枚しか返らぬではないか」
「されど角の駒は返す事ができません。まずは動かぬ駒を抑える事が肝要かと」
「まあ良いわ。そなたの言に従ってみよう」
大司祭は右下角に駒を置く。そして二手ばかり駒の配置が進むと、左下角を残して下部列がレイラの黒で埋まった。
「大司祭猊下。チャンスで御座います。左下角を」
「おお、そうじゃ。一気に裏返った上にこの一列は返すことができぬぞ、ほほほこれは面白い」
レイラが優勢に進めて、グリンダがうまく四隅の角を大司祭に取らせて逆転させる。
「なかなかに楽しい遊戯ではあるが、そなたらの思惑はどこにあるのじゃ」
「この遊戯盤に聖教会のお墨付きを頂きとう存じます」
「…? それはどういうことじゃ?」
「この遊戯盤の中央四マスに正教会の刻印を頂き、それ以外の物の販売を禁止して頂きたいので御座います」
「その礼がこの遊戯盤ということなのか? この程度では認められぬなあ」
「いえ聖教会で下層の民たちに毎日文字と算術を教えて頂きとう御座います。聖教会の教義を通して、この遊戯盤を賭け事に使わぬ様にご指導頂き下さればそのお礼として遊戯盤の売り上げを御喜捨出来ると考えております」
「仔細は解ったがケモノの農奴上がりに文字や数字を教えて何になる。いくら教えたところでケダモノはケダモノよ。芸でも仕込んで命令さえ守れればそれで良いのではないのか」
反論しようとするオスカーの肩にレイラの手が掛かる。
「わたくしどもは商人でございます。このメリージャで仕事をするならば少しでも優秀な店員が必要です。聖教会の教室で優秀な成績を収めたものはその判断の目安にもなりますし、信用も置けます」
「まあ良いわ。ドミンゴ司祭とは話もできているのであろう。わらわに利が有るなら認めてやろう。面倒事はドミンゴと詰めるが良い」
大司祭はそれ以上の交渉事には興味を失ったようで、二人を手で払う合図をすると、お付の修道女を相手にリバーシの再戦を始めた。
一礼して退出しようとするオスカーたち一行の背中に大司祭の声がした。
「この甘味も気に入った。必要な時は取りに行かせるので準備しておけ」
大聖堂の通路を歩きながらレイラはドミンゴ司祭に質問する。
「福音派の聖職者とは皆あのような方なのでしょうか?」
「皆とは申せんがあのようなお方も多いとは存ずる。人族の聖職者は特に世俗の民とは違うと言う選民意識が強いものが多いようじゃからな。ただその中でもバトリー大司祭は、特別といえば特別でな。何よりも南方の貴族の出じゃから農奴は家畜程度にしか思っておられない」
「まるで教導派の司祭と話している様だったぜ。信徒を見下しているところも貪欲なところも」
「あなた、声が大きいですわ」
「福音派も教導派も結局は同じ様な物なのか。ラスカルの事情は存ぜぬが、ハウザーでは聖職者と貴族の仲は余り良くない。福音派総主教猊下は国王陛下の下に就く事を良しと思ておらぬからな」
「ではバトリー大司祭猊下は?」
「あの方は人族至上主義で貴族至上主義だな。福音派のくせにまるで教導派の聖職者のようなお方だ。だがこれ以上出世する気もなければ実家に恨みもあるようで貴族に寄せる思いも無い。己が利益があればそれ以外は興味がない。着るものや装飾品に贅沢ができないので執務品や食事には金に糸目をつけないお方だ。今回の贈答は良きところに目を付けたと思っておる」
ドミンゴ司祭たち清貧派の聖職者に見送られて大聖堂を退去した一行はミゲルの馬車に乗り込んだ。
リオニーは馬車に入るなり怒気を含んだ声で呟いた。
「わたしはあの司祭様も信用なりません。旦那様や奥様にあの口の利き方。ゴッダードの時とはまるで違う。あの大司祭様も気に入りませんが教導派の司祭も似たようなもの。でもドミンゴ司祭は裏表がある」
グリンダは満足げに頷いた。
「リオニーよく我慢しました」
「はい。お嬢様のお役に立つなら何でも耐えて見せます」
「リオニー。セイラに尽くしてくれて心強いですわ。これからもよろしくお願いいたしますわ」
レイラは心の底からリオニーたち感謝のねぎらいの言葉をかけた。
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