第7話 エマ姉の狙い

【1】

「お姉様、見てくれたかい。私の演武決まってただろう」

「本当にイヴァナさんは困ったものです。あんなに足を上げて靴が脱げて飛んで行っていたら大変な事になっていましたわよ」

 …エレーナも心配するところはそこなのか?


「安心しなエレーナ。あの靴は編上げた革紐を足首の所でボタン止めしてるんだぜ。アジモフ先輩たちが私が演武で蹴りを入れるって言ったら考えてくれたのさ」

「そうなのですか。それなら大丈夫ですね」

 あの踝の白い牙のようなのって飾りじゃなくてトグルボタンだったんだ…ってそんな事する前に蹴りを止めさせろよゴッドフリート! 全然大丈夫じゃねえからエレーナ!


「イヴァナ! スカートで蹴りを入れるなんて何を考えているのよ。若い女の子が足を上げるなんて」

「ダメ…かなあ?」

「当然でしょう。片足立ちなんて重心が不安定になるから敵が複数の時は隙が出来るのよ。重心がブレる様な姿勢は剣技でも徒手格闘でも悪手よ!」


「セイラ様、そのお話も論点がズレております。そもそもドレスを見せるショーに武器を持ち込む必要など御座いませんし演武や蹴りなど以ての外です。イヴァナ様、宮廷作法に秀でたセイラカフェメイドを紹介いたします。お父上にはグリンダメイド長を通してご了解を戴けるように手配致しますから」


「まあそれは良かったですわイヴァナさん。セイラカフェのトップメイドが雇えるなんて憧れてしまいますわ」

「なにか違うような気もするけど、アドルフィーネの言う通りかもね」

「セイラ様ももう一度一から宮廷作法を学び直さねば卒業時に特待が取れなくなりそうですね」

 イヴァナのせいで私にまで火の粉が降りかかって来たじゃないか。この娘許すまじ…。


【2】

 ファッションショー以降夏用の革メッシュのスリッポンが大人気となった。

 革紐を編み上げて靴底に合わせた造りのサンダルや編上靴風の乗馬靴も出品されたが、やはり簡単に脱ぎ履き出来るスリッポンは平民や下級貴族女子の目を引いたようだ。

 正装のドレスには合わないが普段使いならば手軽で楽だ。夏向けで革紐を編んでいるので布靴よりも丈夫で、普通の革靴よりは格段に安い。

 全体が革紐の物から足の甲だけがメッシュの物まで色々とデザイン違いがあって静かなブームになっている。


 お陰で皮革製品を取り扱っているオーブラック商会は各靴工房の代理店としてとても潤っている。

 昨年から私達が始めた新しい靴はこの一年で定着し始めている。

 それに触発されたのかジャンヌが色々と靴のアイディアを出して、それをもとに靴工房が色々と独自のデザインを施しているのだ。


 その高まった需要を満たすためにオズマがエポワス伯爵の伝手を使ってハッスル神聖国や北部国境辺から革工房の職人を集めている様だ。

 当然有名工房や名工と言われる細工職人では無い。

 日用の革製品の製作や修繕などを行う末端の職人や若手の下働き職人などを集めて来ているのだ。


 ハッスル神聖国の平民職人などそれこそ使い捨て扱いで大した収入も無いので、オーブラック商会の提示する給金で大喜びでラスカル王国に流れて来ている。

 その職人たちが靴工房でこの靴を作っているのだ。

 これまでの靴職人は足を覆う袋に靴底を張るのが仕事のような職業だったが、新しい靴はそれなりの技量がいる。


 とはいうものの家具や服と同じ様に既製品の靴である。

 余分な細工や装飾を求めるものでもない。基本の足型に合わせて革を切り、縫い合わせる技量が有れば事足りるのだ。

 これまでハッスル神聖国で武具や馬具や日用品の革工房に居た職人にとっては極端に難しい仕事ではない。

 かと言ってこれまでの靴職人にはそこまでの革製品製造技術は無かった。


 揉めている工房もある様だが、相乗効果で革職人と靴職人がうまくかみ合っている工房も多い。

 その成果が革紐細工のスリッポンやサンダルのような夏靴に現れているのだろう。


【3】

「考えたわねオズマ。ハッスル神聖国から革職人を集めて来るなんてよく思いついたわ。これで靴職人の業界も大きく変わるよ」

 私が褒めるとオズマは当惑した様に答えた。

「これはエマさんがエポワス伯爵にわたりをつけて職人を集められたので…。私はエマさんの指示で革職人を傘下の靴工房に割り振って、工房をまとめて組合化しただけで」

 やはりエマ姉が裏で動いていたんだ。

 高級服飾商会の再編の為の手織り職人の確保を隠れ蓑にしてハッスル神聖国から皮革職人を集めていたという事なのだ。

 これからは靴職人を使って教導派貴族が牛耳っている皮革工房ギルドにケンカを吹っ掛ける気なのだろうか。


 少なくともエマ姉が皮革工房ギルドと靴工房組合で仲良く住み分けを図るような人では無い事は私が一番よく知っている。

 何より皮革工房ギルドは教導派貴族の資金源の一つだ。特に上層部を牛耳っている工房はハッスル神聖国の紐付き職人たちで、教皇庁から招聘された教導派枢機卿たちの子飼いだ。

 やっている事はハッスル神聖国から輸入した革細工のメンテと修理だけ。それで法外な金をとる。


 その上加盟料や会費などの高額の金をギルド加盟工房から吸い上げて、価格カルテルも結んでいる。

 民生品以外はハッスル神聖国からの輸入革しか使わせない。

 その革もラスカル王国内で飼育された牛をラスカル王国内で屠殺して、皮鞣しまでしてハッスル神聖国に安値で買い叩かれている革だ。


 ハッスル神聖国は国境を二回くぐらせるだけで数倍の価格にして皮革工房ギルドに卸しているのだ。

 この仕組みに対してエマ姉が住み分けなど考えるわけが無い。


 その仕組みはすぐに判明した。

 オズマが靴工房組合の本拠地をエポワス伯爵領に置いたのだ。もちろんエマ姉の指示である。


「エマ姉! どう言うつもり。いくら親しいと言っても相手は教導派の、それも国王派の重鎮の一人よ! 教皇庁に利権を譲るつもりなの!」

「もう、セイラちゃんは教皇絡みになると直ぐに頭に血が上るんだから。私だって教皇庁にシッポを振るつもりはないわ」

「それならどうして」


「エポワス伯爵は国王派閥よ。でもね、あの人が忠誠を誓うのはラスカル王国の国王で王族で何よりラスカル王国である事に忠誠を誓っているの。じゃあ今の国王が退位すればだれに忠誠を誓うのかしら? この国を引っ張って行く王太子は誰が相応しいかまで考えているのよ」

「国王陛下の臣下ではあるけれどリチャード王子は支持しないという事?」

「多分ね。自分の利権が守れるならという但し書き付きだけれど」


 何となく読めてきた。

 ジョン王子の下に就く限りエマ姉がその利権を保証してやるという事だ。

「それでも…、メアリー・エポワスを見る限りあの一族は獣人属にわだかまりは無いようだけれど、だからと言ってあの金遣いの荒さは教導派の権威主義の固まりじゃない。結局領民から搾り取っているんじゃないの。私は気に入らないわ」


「それはね、あの伯爵家が軍人の家系だからお金儲けの大変さに気付かないのよ。領地経営がきちんと出来て自分で資産運用をする様になればすぐに気づくわ。領地のお財布をオーブラック商会に握らせれば済む事だもの」

 やはりこの人はエポワス伯爵領を領地ごと乗っ取るつもりだ。経済という足かせで雁字搦めにするつもりなんだ。


「そう言えばハッスル神聖国の生皮を買い取るとか言っていたよね。あれもその一環なの?」

「あれはボランティアよ。東部や北部の国境の革鞣し職人が困っているんだもの。酷いのよ。ハッスル神聖国の商人は鞣した一枚革しか買い取らないのよ。ちょっと穴が開いてても買取の対象にしないって。だからね、タダで引き渡すぐらいならと思って。そうしたら生皮が腐って穴が開いた革が八割以上で。暑い季節に生皮を保管するなんて無理なのよね」


 さすがにそんな筈は無いだろう。

 ハッスル神聖国の商人は金を払わずになめし革を手に入れる為に難癖をつけているのだろうが、それを逆手にとって多分エマ姉はまともな革にも穴をあけて引き取っているに違い無いのだ。

 エマ姉に対してボランティアなんて一番縁遠い言葉じゃないの。

 しかしそんなに革を集めてどうするつもりだろう。もちろんこれから靴市場は大きくなるだろうが今の市場規模ではラスカル王国内の加工皮革で十分間に合うはずなのだが。

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