第8話 教皇派諸州の惨状

【1】

 あれ程難航していた海軍設立法案がいきなりあっさりと成立した。宰相閣下は上手くやってくれたようだ。

 シャピを含めたポアチエ州の造船所だけでなく、アジアーゴや北海沿岸の領の造船所でも軍艦の建造が急ピッチで進んでいる。


 海軍官房長に指名されたエダム男爵は元国務官僚で外交に関しては辣腕を振るった実力者だ。

 王都騎士団の若手士官を海軍士官として引っ張って来た上、その士官の部下や同僚まで士官候補生として根こそぎ引きずってこさせたのだ。

 更に士官養成所を設立して十二歳以上の読み書きが出来て計算が出来る平民を募集し、その養成所の所長に元近衛大隊長だったクルクワ男爵を無理やりに招聘してきた。


 そしてその養成所に集まって来たのは南部や北西部そして早くから清貧派に鞍替えしている西部の聖教会教室出身の子供たちが大量に入って来た。

 十五才以上の船員経験のある者は士官養成所、そして十五才未満や船員経験のない者は幼年兵養成所に振り分けられ幼年兵に至ってはそのうちの半数以上は獣人属である。

 清貧派領地では平民の収入が上がり生活に余裕が出てきたので、聖教会教室を出て更に上の教育を望む獣人属が多いのだ。


 獣人属はいくら優秀でも王立学校には行けない。

 高等学問所は身分や種族に関係なく全ての人々に門戸を開いているが、如何せん子供が入るにはレベルが高すぎた。

 私もその受け皿として治癒院の一般開放を目指しているが、海軍に先を越されたようだ。


 何より今建造中の軍艦にはそれを操船する水兵が必要なのだ。

 兵としての基礎教育と並行して操船技術をシャピの商船で訓練をさせるつもりのようだ。

 たぶん軍艦が就航すればその船をそのまま操船学校として使用し寝泊まりから食事や授業まで一日二十四時間、週七日間訓練漬けにするのだろう。


 戦前の旧海軍と同じような糞ブラックな地獄の訓練で、数カ月の内に海軍の体裁を整えてしまうつもりなのだ。

 そもそもシャピの商船団には聖教会教室出身の獣人属の上級船員は多い。海図が読めて四分儀が使え星を読んで計算が出来る。

 おまけに公文書の読み書きが出来て基礎体力もある。


 水夫なんてものは体力だけの荒くれ者が多く、字が読めたり計算が出来る者など殆んどいないのだ。

 エダム男爵はその獣人属上級船員も狙っている様だ。

 シャピの商船団と悶着を起こさない様にお願いしたい。折角成立した海軍とシャピの商船団は良い関係でいて欲しいのだ。

 これから行動を共にするんだし出来れば船員の相互入れ替えなどで対処して欲しい旨エダム男爵とクルクワ男爵には申し入れを行った。


 そのおかげでシャピの商船団とは士官養成所の水兵との相互入れ替えで航海に出る事でお互いの技量向上を図るという事で話がついたようだ。

 まあ最終的には優秀な人員の取り合いになるのだろうけれど、海軍で訓練を受けた水兵が商船の上級船員に再就職というのが私の理想ではある。

 若い人材の民間派遣による柔軟性と技術力の向上も、リタイヤした人材の天下りも利権が絡まなければ優秀な人材の再活用になる。


 何よりシャピと海軍が一丸と成ってくれれば喜ばしい事だ。

 この先ペスカトーレ侯爵家の一族と争う事になれば海戦は避けられないからだ。

 別にカロリーヌが言ったようなアジアーゴを焼け野原にするような事は避けたいが、海上封鎖は絶対に避けられないであろうから。


【2】

 そのペスカトーレ侯爵家が支配するアジアーゴを擁するダッレーヴォ州自体はかなり混乱している様だ。

 綿花やリネンの値崩れや国内製品の流通量の増加によりアジアーゴでの貿易量は下降傾向にあったのが、シャピの交易量の増加で更に収益が落ち込み挙句の果てにノース連合王国の内戦である。

 交易先を失いハッスル神聖国との交易に頼るのみという状況で収益が大幅に落ち込んでいるのだ。


 ハッスル神聖国の一方的な輸出入に対して文句の一つも言えない状況が続いている。

 そしてその押し付け先の教導派聖教会や教導派領地も音を上げ始めて離反する下級貴族が出て来ている。


 これまで領内の農業生産を救貧院の労働力に頼っていたツケも出始めている。

 救貧院の収容者を小作農として雇い入れるなど対策を講じているが、人件費は増えている上、農場での労働を嫌って逃げる者も続出しており人手不足と賃金上昇で領地経営が危ない領地が増えている。


 そういう領地は出入りの商人に見返りを要求するのだが、最近はその商人たちもかつてのオーブラック商会の様に死活問題になってきており次年度の収穫を担保に金を貸す商会が増えている。


 こういった商会から証文を手形として期日を決めて買い上げる取引場をエマ姉がサン・ピエール侯爵領の州都ブリーニに開設してしまった。

 王都とシャピとアジアーゴに向かう河の分岐点に位置するブリーニは打って付けと言えば打って付けだ。

 何より困窮しているのは北部領の中央や東の国境辺、そして東部の反宰相派の教導派だという事だ。


 特にブリーニの先にあるダッレーヴォ州の状態が酷いのだ。

 サン・ピエール侯爵領のエマ姉の取引所は教導派諸州の来年の収穫まで搔っ攫って行くつもりのようだ。

 教導派各領地の商人たちから買い上げた手形を取引場で相場取引を憶えた北部や東部の貴族に現金化させている。

 結局は破綻した貴族家から金を取り立てるのも貴族、買い取った手形で損失を被るのも利益を得るのも貴族。


 未熟ではあるがとうとう先物相場の取引所まで開設してしまったのだ。

 たぶん早ければ一年を待たずにダッレーヴォ州の貴族連中は破綻するだろう。

 その対策なのだろう。

 貴族同士のマネーゲームで振り回される領民はたまったものではない。手形で腹は膨れないのだから。


 目先の金に駆られて転作を進めている領地も増えている。

 何に転作か?

 当然西部で収穫されなくなった亜麻である。

 ただこれまでと違うのは、並行して牧畜を併用しだした事だ。北西部や南部のノフォーク式農業に着想を得たのだろう。

 ただ輪作では無く休耕地にクローバーやカブを植えて亜麻畑以外はすべて牧畜地にして減った人員で全てを回すつもりなのだろう。

 最近は小作農の賃金もどんどん削られて、州外に逃げ出す者が増えているそうだ。


 私のカンボゾーラ子爵領は人手不足で幾らでも人手はいる。農共も紡績工場も人手不足で、それはカンボゾーラ子爵領に限らず北部の西部山脈沿いの各領地も同様だ。

 農共の考え方も浸透し牧羊を伴なうノフォーク農法が進んでいる上、河を使った交易で景気は良い。

 更に北部から南下して北西部を目指す者も多い。


 教導派領地も今は上手く回っている様だが、その実畜牛だけで領地経営が回せるわけでは無い。

 酪農も導入しない、屠殺も革鞣しのノウハウも持っていない。何より他にも古くから牧畜を行っている領地は多いのだ。

 そこに簡単に切り込んで行く事も難しければ、領民も高価な牛肉を食べ続ける訳には行かないのだ。

 領内で収穫する穀物が無ければ領民は生きてゆけない。

 その為に高い金を出して多量の穀物を購入しなければいけない事になる。

 結局は領地経営は破綻する事が目に見えている。領民から、教会信徒から、商人たちから搾取する事しか知らない教導派貴族は何より考えが甘いのだ。


 破綻を免れるためにどうするのだろう。

 州内の貴族の借金を踏み倒す教皇令でもハッスル神聖国に泣きついて出して貰うのか?

 でもそんな事をするとその先、資金を貸す商人は居なくなるだろ。

 そしてそのシワ寄せは領民に行く。


 そうなる前に教導派聖教会や全ての搾取の元凶のハッスル神聖国とは決着をつけなければならないのだろう。

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