閑話15 福音派総主教(1)

 ★

 ハウザー王国の王都政教会には留学生とその付き人が全員で向かった。

 四人の留学生と引率の聖導女、そして二人の護衛騎士と四人のメイドという陣容である。

 テンプルトン子爵令嬢の言う通りお茶菓子の差し入れについては大変歓迎された。

 メイドたちのお手製のマフィンやスコーンやドーナツなどの定番だけでなく、カスタードクリームのどら焼き風パンケーキと言うオリジナルのスウィーツも持ち込んだ。


 聖教会の正面に着いた馬車の出迎えには総主教自らが先頭に立ち迎えてくれるという、思った以上の歓迎ぶりであった。

 メイドの四人が持参の茶菓を下ろして厨房に向かう間に、他の七人はテレーズ聖導女を先頭に貴賓用の食堂に向かった。


 開かれた扉から中に入るとテーブルの上には果実やオードブルや肉料理など、テンプルトン子爵令嬢の言葉とは裏腹な豪華な食事が並べられていた。

 そしてテーブルのホスト席にはすでに若い男性が腰を下ろしており、その左にも中年の男性と数人の付き人が座っている。

 そのどれもが聖職者ではなく高位貴族の様であった。


 ホスト席の右に腰を下ろしながら総主教が留学生たちに着席を促した。

 少々意表を突かれたがテレーズは何もない風を装い上座からエレノア王女、ルクレッア、アマトリーチェ、シモネッタの順に座らせて自分は一番下座についた。

 護衛の二人はエレノア王女の後ろに立つ。


「本日はお招きいただき又過分なる饗応の席をも擁して頂き有難く存じます。留学背を代表いたしましてラスカル王国第四王女エレノア・ラップランドが御礼申し上げます」

 エレノア王女たちはあまり状況を理解していないようだが、それでも緊張しながらも上座のホスト席にいる男性に招待に対する感謝の謝辞を述べた。


「おお、ラスカル王国の王女君からお言葉を賜るとは光栄の至りだな。こうしてお招きした甲斐があったというものだ」

 若い学生だと言っても一国の王女殿下が自ら挨拶をしたと言うのに挨拶を返さぬどころか名乗りもしないとはいったい何者なのか。


 どこかの公爵家の子息なのだろうか。

 それにしても二十歳は過ぎていそうな年で宮廷作法も知らぬとは言わせない。

 さすがにテレーズの顔に怒りが差しかけたがその肩に手を置く者がいる。

 ケインがその表情でよく考えろと促している。


 そういえばラスカル王国にも、いやもっと身近の王立学校の同級生にも同じ匂いを持つ者が居た事を思い出したのだ。

 一緒に居たのは一年余りであったがその無作法で身勝手な性格はよく知っている。

 そういう事か、そう言えばハウザー王国の第一王子も粗野で粗暴だと聞いていた、どこの国も第一王子と言うものはこういう者なのだろうか。


 お茶を注ぎに来たシャルロットに耳打ちしこの事を四人の留学生に伝えさせた。

 思った以上にエレノア王女は向かいの男性、多分ジョージ・ディッケルク王子相手に卒無くあしらっている様だ。


 多分側に座っている上位貴族と思しき男性二人も王子が挨拶すらしないので自己紹介がし辛いのだろう。

 若干戸惑った顔でエレノア王女殿下とジョージ王子(と思われる男性)のやり取りを見ている。

 テンプルトン総主教は業を煮やしたようで、立ち上がると全員に向かって頭を下げて口を開いた。


「本日はエレノア王女殿下及びジョージ王子殿下の二人の貴賓をお招きで来た事を誇りに思いまする。特にエレノア王女殿下に置かれては母国の目が厳しい中我が福音派神学校で学ばれるという高き志を讃えたいとこの聖餐会を催した次第で御座います」

 上手くあいさつの中で王子の名前を紹介したものだ。

 何よりラスカル王国の上位聖職者のような尊大さが無いのは聖職者の身分が低いからなのだろうか。


 しかしジョージ王子が自己紹介をしなかった事で他の者の紹介も出来なくなってしまった。

 他の者が添え物であるとは言え名前も身分も判らない者の相手をするのは難しい。迂闊な事も言えずお座なりな会話になってしまうだろう。

 それはそれで聖餐会の意味が失われるが一平民であるテレーズが出しゃばる訳にも行かず、年若いエレノア王女やルクレッアに負担をかける訳にも行かない。


「私どもラスカル王国と違ってここは身分の差も無い福音派の聖教会。ならは身分など関係なく歓談を致す事は福音派の教義に反する事では御座いませんでしょう。如何でしょうジョージ王子様」

 驚いた事にエレノア王女が涼しい顔でジョージ王子に親しげに話しかけた。


 席に着く全員が驚いた様にエレノア王女の顔を見た。

 テレーズはエレノアから視線を映し、隣で給仕をするシャルロットを見る。

 彼女はテレーズに向かい微笑むと唇に立てた指をあてた。


 ★★

「ははは、これは…そうで御座いますなエレノア王女殿下。ここは差別なきハウザー王国の福音派聖教会。感服仕った」

 初老の男性貴族がそう言うと言葉を続けた。


「娘からもエレノア王女殿下は利発でお優しいと聞いておりますぞ。娘と懇意にして頂いてこのプラットヴァレー感謝いたしておるのです。ジョージアムーン侯爵殿、今の女子神学校を纏めておられるのはエレノア王女殿下…おっと、身分の話は無しでしたな。エレノア様が新学校の生徒を纏めていらっしゃるのだよ」

 ジョージアムーン侯爵はプラットヴァレー公爵の子飼いで腹心だと聞いている。

 プラットヴァレー公爵とテンプルトン総主教が揃踏みという事か。絵を描いたのはこの二人のどちらかかな? 


 しかし聖餐会の真の目的が判らない。

 留学生たちを第一王子派閥に引き込むことが目的なのだろうがそれがただの顔合わせの聖餐会なのだろうか。

 それならば派閥の重鎮全員が勢揃いする必要もましてやジョージ王子を引っ張り出す事も無いはずだ。


「其方がテレーズ先生なのかな。娘が大変世話になっている様で感謝しておるよ。まさかこんなに若い聖導女様とは思わなかった。噂には聞いておるよ。若いがその技術は素晴らしいと。何より治癒施術にかける情熱は誰にも負けぬと」

 突然プラッドヴァレー公爵が話しかけてきた。


「いえ、私など。私を導いてくれた聖女ジャンヌ様やアナ司祭様の情熱に比べればまだまだで御座います」

「何を御謙遜を。テンプルトン総主教とも語らっておったのだが、これからも生徒を導いていただきたいものだと話しておったのだ。教義や宗派に関係なく治癒魔術は遍く命を救うもの。その気があるならば我らが後ろ盾になってこの国にも治癒院の設立を考えても良いのだよ」


 搦め手で私から取り込みに来るのかとテレーズは思った。

 秋には帰国予定の留学生と違いテレーズは随行員で特に在留期限の縛りも無い。

 自負する訳では無く生徒たちの支持も得ているし信頼も高い。

 神学校で専任で授業を持っても誰も文句は言わないだろうし、彼女だけが講師として残ると言われれば歓迎する者はいても反対する者はいないだろう。


 しかし影響力と言っても聖教会内の権力争いや派閥争い程度なら影響もするが、王位継承争いとなるとどうだろう。

 貴族と言っても未成年の少女たちの言葉など影響力は持たない。

 庶民の声が高まっても貴族は歯牙にもかけない。

 そう考えてもジョージ王子を引っ張り出す意味が無い。


「如何で御座います。エレノア様、ジョージ殿下の気さくなお人柄もご理解いただけたと思うのですが」

「ええ、まるで上の兄上とお話している様で気遣い無くお話致せました。もう会う事も御座いませんでしょう貴賓の方々とこうして語らえて感謝しております」

 横でルクレッアとアマトリーチェが笑っている。

 判る者にはよくわかる嫌味が含まれた言葉であるが、総主教はそうはとらなかったようだ。


「それは勿体ない。折角友誼を結べたのですからこれからも末永く結び続けて頂きたいものですな」

「ああ、気に入った。年若いものの度胸も知恵もある。其方とはこれからも永遠に友誼を結び続けたいものだと思うぞ。この秋までなどど申さずこの国に留まる気は無いか」


 言葉の意味を理解した留学生たちの顔色が変わる。

 …あっ! そういう事なのか。

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