閑話10 ベアトリスのメイド修行(1)

 ☆☆☆☆☆

 これまで王立学校でカロリーヌ付きをしていたベアトリスは朝起きると、いきなりセイラカフェに短期修行に行けと命ぜられた。

 訳の分からないまま部屋付きメイドのイブリンと共にライトスミス商会の馬車に乗せられて運ばれて行った。


「ある晴れた昼下がり~♪ 市場へと続く道~♪ 」

「止めてよねイヴリン! そんな歌を歌うのは!」

「だって、ポワトー大司祭様は引退されるって噂を聞いたわ。きっと私はセイラカフェに売られるのよ」

「カロリーヌお嬢様は短期研修だって言っていたじゃない。修行してまた帰ってくるのよ」

「甘いよ~、ベアトリスは。教導派の上級貴族なんて私たち下級貴族の末孫なんてゴミ同然だもの。可愛そうなメイド~♪ 売られて行くよ~♪」


 イヴリンはポワトー大司祭の長娘の嫁ぎ先の先代男爵の三男の四女だ。

 予科までは男爵家の係累で通ったが、代替わりした事で係累から離れ主家筋のカロリーヌの部屋付きメイドになった。

 上の三人は王立学校に進めたが、末っ子の自分だけは予科までしか進めなかったことで悲観的になっている。


 ベアトリスもあまり事情は変わらない。

 サン・ピエール侯爵家の陪臣であった父は準男爵で三女のベアトリスは予科にも行けなかった。

 それでも聖年式の後はサン・ピエール侯爵家に行儀見習いに出され、しっかりとメイド教育を受ける事が出来た。

 賢くて気が付く娘だと認められて、二年目で同い年のカロリーヌ付きメイドとしてポワトー伯爵家に雇われる事になった。

 イブリンよりは一年先輩であるが同い年なので気心は知れている。


 そう思いつつ王都のセイラカフェの裏口の門を馬車でくぐる。

 門の上に掲げられた銘板は風雨で傷んで文字も霞んでいるが辛うじて読み取れた文面は『この門をくぐる…一切の…を捨てよ』


 ☆☆☆☆★

「あなたたち二人がポワトー伯爵家から来たメイドですね。カロリーヌ様からもセイラ様からも事情は伺っております。年下の者も多いですが負けぬように頑張って下さい。本来テキストは五人で一冊ですが、あなた方には特別に二人で一冊づつ渡しておきます。精進してくださいね」

 威圧感の塊のようなグリンダメイド長が二人に告げると、分厚い本を三冊二人に手渡した。

「礼儀作法や給仕などの基礎は出来ていると言うので省いてあります。法学、経営学、そして一般教養の三冊に絞っていますから」


「一般教養ですか?」

「安心なさい。文法学・論理学・修辞学の三学に数学を加えただけです。全部は学びませんから」

 グリンダはそう言って微笑んで去って行った。


「あの…この一般教養、カロリーヌ様の教科書の三倍以上あるんですけど~♪」

「それに法学に経営学って、何故メイドの修業に必要なの?」

 呆然としたままベアトリスとイブリンはメイドの宿舎へ連れられて行った。


 部屋は五人部屋で、すでに三人のメイドが居た。

 二人は今年十歳になった平民の子供で、もう一人は聖年式を終えた騎子爵の次女だと言う。

 ここの新人メイドは五人一組で行動し、彼女たち三人とあとの二人は通いの商家の娘二人だそうだ。


 十歳の二人はそれぞれ一般教養と礼儀作法のテキストを読んでいる。騎子爵の娘は最近流行りの新型アバカスを弾いて、何やら紙に書かれた物の計算をしていた。

 指導役のメイドがベアトリスとイヴリンは短期の研修の為しばらく同室になると告げて、今日は休んで明日は三の鐘で起床し仕事にかかる様にと言って部屋を出ていった。


 二人が指定されたクローゼットに支給されたメイド服や荷物を片付け始めると、騎士爵家の出身の少女がおずおずと声をかけてきた。

「あの…、もし宜しければテキストを一冊…、出来れば経営学のテキストを見せて貰えないでしょうか」

「良いけれど、あなたは持ってないの?」

「五人で四冊なんです。通いの二人が経営学と法学を持って帰っているので、今日はテキストが足り無くて、簿記の勉強をしていたんだけれど」


「簿記…簿記の勉強を。そいえばあなたの使っていたそれって、最近流行ってるアバカスね」

「ええ、ここでは全員使ってますよ。会計場に置いてあるんで使えないと仕事でも困るんです」

 どうも新型アバカスが使える事は必須らしい。


「私たちそのアバカスの使い方が判らないのよ。テキストは私たちが使っていないものなら自由に使って良いから、その新型アバカスの使い方を教えてくれないかしら」

「わかりました。わたしセイラカフェで修行を積んだらライトスミス商会に移りたいんですよ。行く行くはリオニーお姉様のように貴族相手に経営相談や株式組合のアドバイザーとして働きたいんです」


「…ええっと。アドバイザーですか? リッ…リオニーさんやナデテさんなら王立学校でよく知っているわ」

 リオニーと言えば平民寮のメイド達をほぼ取り仕切っているエマ・シュナイダーの部屋付きメイドだったと記憶している。下級貴族寮でファッションショーが開催された時、カロリーヌに同行して見に行ったがその時に初めて目にした。

 その後二度ほどドレスの見立て会にカロリーヌの使いで行って、ナデテと話したことは有る。

 気さくな感じのメイドだったが、クロエの事件の時に二人が誘拐犯を征圧したと聞いて絡まなくてよかったと安堵したものだ。


「リオニーお姉様とお仕事をしていらっしゃるんですか? 凄い」

「アドルフィーネさんやナデタさんには親切にしていただいているわね。リオニーさんやナデテさんにも色々と教わることが多いわ」


 ナデタとアドルフィーネには上級貴族寮のメイド達に誘われて、一度デニッシュの作り方を教わった事が有る。

 二人とも威圧感の塊のようなタイプで、殆んどの上級貴族寮の若手メイドは二人の圧力で押さえつけられてしまった。

 上級下級問わず貴族寮の若手のメイドであの二人に逆らうものは誰もいないと断言できる。


 取り敢えずクロエの事件で活躍したセイラカフェ出身のメイド達の名前を上げておけば無難だろう。

 その程度の気持ちで口に出した言葉で、ベアトリスは後悔する事になった。

 他の二人も食いついて来たのだ。


 その後は王立学校の四人について質問攻めにあってしまった。想像を交えてごまかしつつ、クロエの誘拐事件に話を持って行った。

 食いついてきた三人に有る事無い事尾ひれがついた噂話の集大成を聞かせてどうにか解放されたが、その頃には夕食の集合がかかっていて荷物の片付けもままならない状態だった。

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