第172話 ヘレナ・ギボン司祭(2)

【2】

「ハハハハ、何という事だ。これは、聖属性。それも光の聖属性ではないか。何という幸運」

 ヘレナ・ギボン司祭は愉悦に浸っていた。おのれの幸運に酔っていしれていた。

 新しい聖女を見つけたのだ。


「ワシを治せ! ワシの腕が…、痛い、痛い、痛い! ワシの腕を癒せー!」

 ライオル伯爵が何やら喚いているが、そんな事は聞こえない。もうこんな男等どうでも良い。

「おい死にぞこない。そこを退け。その娘を我に寄越せ」

「ふざけるな。セイラ殿は…この聖女は絶対守る。儂の命を救ってくれた恩人だ。一歩でも近寄れば、この男の命はないぞ!」

 ギボン司祭は顔色も変えずニヤニヤと笑い続けている。

「そうか、あの娘がこの聖堂騎士に取りすがっていた時聖魔法を流したのだな。もうジャンヌも用済みだ。こんな事なら領兵をジャンヌに回すのでは無かったな」

 ギボン司祭は一人で納得して頷いた。


 どうにか起き上がったルーシー・カマンベールが気を失っているセイラ・ライトスミスを両手で搔き抱き、しっかりと抱き締めて告げる。

「そうですとも。私たちの命に代えてもこの娘は渡しません。刃物を納めなさい」

「そうか、分かった」

 ギボン司祭は冷たい表情で頷くと、教導騎士に手で合図する。

 教導騎士は剣を持ったままギボン司祭の隣に立った。

「やれ」

 その言葉と同時に教導騎士はライオル伯爵の喉元に剣を突き立てたのだ。


「なっ…なに…グッ…グッハ」

 ライオル伯爵は状況を理解しないまま驚愕の表情を浮かべてそのまま事切れた。

「これで人質はおらん。さてどうするね」

「貴様は…それでも司祭か! 人を殺す事になぜ躊躇わない。お前はそれでも人か!」

「下らぬ。些細な人の情に拘って大義を見失ってどうする」


「私たち…いえこの娘をあなた達の好きにはさせません」

「お前たちはその状態で何が出来る? 怪我は癒えても体力が回復したわけではあるまい。二人とも顔が真っ青だぞフッ」

「それでもだ。この娘は聖女だ。儂等は聖女を守り抜く」

「分かった、分かった。今更手荒な真似はせんよ。部屋とベッドと食事を用意させよう。しばらくは、その娘の体調が戻るまでは三人で休んでおれ」

 そう言うと修道女たちを促して部屋の準備を命じた。


 しばらくして三人は別の部屋に案内された。意識の無いセイラをルーシーが抱きかかえ、騎士団長は抜き身の剣を持ったまま修道女に着いて行く。

 部屋にはベッドが二つの寝室と衝立を隔ててソファーが二客とテーブルとチェスト、北の壁の高い位置に明り取りの小さな窓が二つ。

 テーブルには湯気の立つシチューとパンとチーズが置かれピッチャーにはビールが入れられている。

 チェストの上には大きな水差しと盥。そしてタオルと婦人物の着替えの服が畳まれておかれている。


「さすがに儂の着替えは無い様だのう。まあこの革鎧を脱ぐつもりも無いがな」

 騎士団長はそう言うと陽気にワハハと笑う。

 ルーシーは団長に断り、セイラをベッドに寝かせると血まみれの衣服を脱がせて用意された服に着替えさせた。

 そして自分も着替え始める。服は血がこびりつき右脇腹からザックリと大きく切り裂かれている。

 自分の身体の同じ部分を触れてみると掌の半分ほどの長さで肉が盛り上がっているのが解る。

 体を捩じって傷口を見てみるとナイフで刺された跡にピンクの肉が盛り薄皮が張っているのが見えた。

 盥に入れた水でタオルを濡らして傷口の周りを拭う。

 余り無理をしては傷口が開きそうなので、急いで着物を着換えると衝立の向こう、騎士団長の所に向かう。


「私たちの怪我の事は眼中にないようですね。包帯の一つも有りませんもの。団長様もせめて身体を拭いて下さいまし」

 そう言って盥を置くと濡らしたタオルを持ってセイラのもとに行く。

 セイラの顔や手足を拭いながらルーシーは団長に問いかけた。

「ギボン司祭の意図は一体どこにあるのでしょうね。教導派の司祭とはあれ程血も涙も無い者なのでしょうか」

「さすがにあの女は特別だと思うぞ。躊躇いなく現役の伯爵を殺させるなど、肝が据わっていると言うより異常だと思うぞ」


「でもそこまでしてセイラさんをどうするつもりなんでしょう。こんな事をしてどう言い訳をしようと言うのでしょうか」

「それは解らんが、後ろに途轍もない黒幕が控えておるような気がする」

「教導派の聖教会に取り込むつもりなのでしょうか」

「枢機卿や教皇を巻き込めばライオル伯爵など消し飛んでしまうからな。だがそのお嬢さんは教導派の言う事など聞かんだろう」

「でも家族を人質に取られてしまえば話は別ですわ。特に身内への情の熱い娘ですから」

「その為にも儂らが人質代わりにならんようにせねばな。ルーシー殿もこちらに来て食事をされよ。今は少しでも体力を回復するのが対策じゃ」


【2】

 ヘレナ・ギボン司祭はソファーに座り、ライオル伯爵の遺体を見下ろしている。

「取り敢えず、この館の者はこの部屋の周りに近づけるな。この遺体は絨毯ごと包んで縛っておけ。それから壊れた窓は板を張って塞いでしまえ」

 この館はこの村の村長館である。

 聖教会の権力のゴリ押しで無理やりこの館に居座っているのだ。

 そもそも彼女がライオル伯爵領の統括司祭に就任する迄この周辺の地域の管理司祭であった。

 今でもこの村や周辺の聖教会は彼女の息の掛かった者で牛耳られている。ここの村長も色々と弱みを握っているので逆らう事は出来ないだろう。


「日が暮れたら修道士を二人ほど派遣して森に穴を掘らせろ。このゴミを埋めてしまう。コヤツが持ってきた物は全て集めて一緒に埋めるのだぞ」

 幸いにして今回はライオル伯爵は一人で領境を越えており、この館に来たのも関所を出てから迎えの教導騎士と二人で歩いてやって来た。

 この教導騎士はそのうち始末するとして、村人の目撃談などどうとでも握り潰せる。勝手にどこかに行って行方不明になった事にすればいい。

 息子のロアルド・ライオルは少しでも早く伯爵になる事を望んでいるので、行方不明と言えば喜んで伯爵に就任するだろう。

 貴族などそう言うものだ。

 この程度の事件なら、新しい聖女を手土産にすれば幾らでももみ消せる。ギボン司祭は一人でそう納得する。


 しかしあのセイラ・ライトスミスが光の聖属性持ちとは予想も出来なかった。

 聖女ジャンヌに言う事を聞かせるために色々と算段しセイラ・ライトスミス引っ張り出して脅しに使うつもりが、瓢箪から駒とはこの事だ。

 関所を抜けたジャンヌたちをこちらに連れてくる必要も無くなった。そもそもジャンヌはここに来た事さえ世間に知られればそれで良かったのだけれど。

 後はこの企みを指示した上司にセイラ・ライトスミスの事を報告するだけだ。

 上手く行きすぎて笑いがこみあげてくる。

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