第35話 事故

【1】

「ランプの炎が消えそうになればすぐに出て来てくださいよ! それから少しでも異臭を感じたら息を止めて戻って下さい」

 調査員が坑内にもぐりこんだ管理官に幾度も繰り返しているがちゃんと聞いているのだろうか。


 シェブリ伯爵家の文官が定期的に風を送っているが押し出されてくる中の空気は微かに腐った玉子のような臭いがする。

「微かに臭うがこの臭いが危険なのか」

「経験則ですが多分危険な臭いだと思います。火山の近くでの採掘では良く死者が出るような事故の時にこのような臭いがすることが有るのです」


 調査員の言葉に不安を感じたルークは坑道内に声をかけた。

「おーい、体調は大丈夫か? なにか危険は感じないか」

「ワザワザ不安を煽るような物言いは止めていただけませんか。邪魔なんです」

 風を送っている文官が不機嫌に文句を言う。


「事故の発生を気遣っておるのだ。安全を担保する責任は我がカマンベール子爵領にあるのだ」

「それこそ大きなお世話だと申しておるのです。その責任は管理官の上司である私が全て追っているのです。いらぬ口を挟まないで頂きたい」

「もしも事故が起これば貴君は告発される事になるのだぞ。理解しておいるのか」

「そうやって我々の邪魔をしようとしても無駄です。この事はシェブリ伯爵にも御報告致します。少なくともシェブリ伯爵家の家臣が合意の上で作業しているのですからお口出し無きように次期子爵様にもお願い致します」

 無礼な物言いにムッと来たがルークはそれを押し留めて言った。

「ならば貴君の責任において安全な作業をお願いしよう」


【2】

 夜明け過ぎから作業にかかり鐘一つほどの時間が経過した。

「鐘一つ、二刻が経過した。無理をせず休憩に入り給え」

 ルークが文官に告げる。

「余計なお世話です。時間が限られているんだ。そんな暇は無い」

「なら作業員には四半刻の休憩を交代で取らせる。これは我が領の規定だ」

「ご勝手に! 我々は作業を続ける」


 ルークは休憩に出てきた作業員にそれとなく状況を聞いて見る。

「熱い茶もソーセージも有りがてぇ。運河の仕事と比べるとここは地獄だったんでね」

「それで中の状況はどうだ。異常は感じられないか」

「風が送られてるんでそうでも無いが、風が止まるとくせぇかな。それと他の坑道よりも中は温かいんで…岩盤が少なくて柔らかいので掘りやすいんですがね。掘るほどに温かくなって来やすんで、まあ良いんですが少しずつ臭いもしてきてますぜ」


「調査員殿。どう考える?」

「あまり良くない徴候かと思われます」

「交代で作業に戻ったら穴を掘っている管理官の様子を気にかけてくれ。少しでもおかしいと思ったなら直ぐに声を上げてくれ。頼んだぞ」

「なんでご領主様はあんな奴らを気にかけるんですか? 坑道が潰れて死んでも自業自得ですぜ」

「そんな訳にもいかんのだ。俺は領主代行として一人も欠ける事無く下山させるのが領主の役目だと思っているのでな」

「カマンベールの御領主様の意向なら仕方ねえ。あんな奴らでも死なせない様に致しやしょう」


 三人の作業員が交代で休憩を取り終わった頃に村の救援隊が上がって来た。何と指揮をとっているのはカンボゾーラ子爵家の騎士団長だ。

「ヴァランセ団長! よくぞ来てくださった。団長が来たと言う事はもしかして」

「ご察しの通りだ。儂が止めなければここ迄付いて来ただろうが、あのお嬢さまには麓の村で待機して貰っているがね。ところでこれは一体何をやっておるのですかな?」

 ルークはこれまでの状況を搔い摘んで説明した。


「そんな奴ら放っておけばよいでは無いか。どうせシェブリ伯爵家の家臣では無いか」

 色々とシェブリ伯爵家には恨みが有るヴァランセ騎士団長は忌々しげに言う。

「そう言うが我が領としてはそう言う訳にはゆかんのだよ。信義にもとる事は出来んのでな」

 そんな話をしていると調査員の一人がこちらに走ってきた。


「ルーク様、坑内より運び出した土が湿ってきているのです。坑道の土も脆くなってきているようで水が湧き出るかも知れません。ガスの噴出もあり得るので危険です」

 ルークと騎士団長は調査員について坑道へ向かった。

 走りながら昼食の準備にかかっていた護衛兵たちや作業員にも声をかける。


「おい、一旦中止にして中の状況を確認しろ! 危険度が上がっているそうだ」

「ふざけるな! 調子よく掘り進められているのに危険などない! なにも送らない!」

「一端休止させろ! おーい作業員は上がって来い。管理官たちも一旦作業を止めろ!」

「何かで出たぞ。この鉱石はきっと…出たぞ! 出たぞ!」

「手を止めるな! 掘り続けろ! 私も行く!」

「馬鹿者! 落ち着け。何が出たか知らんが、一旦上がって状況を確認しろ」

「離せ! 私の手柄だ。これはシェブリ伯爵家の物だ。お前たちには触れさせない!」


「おーい、ご領主さま。てえへんだ! 奥で管理官の野郎が一人倒れてやがる!」

 坑道から出てきた作業員がルークに報告する。

「みんな! 命綱を引いてくれ! 毒の空気が出ているかもしれん」

「止めろ。作業を妨害するな! 作業を続けさせろ!」

「馬鹿者が! 風を送る術を止めるな! 貴君の仕事は風を送る事だろう!」

「うるさい! 出たんだ! あれが…金が出たんだ! 私が今すぐ中に入る! 私がこの目で確かめる!」


 坑道の外にいた者たちのほぼ全員によって坑内の監理官三人は坑道の中ほどまで

 引きずり出されて来ている。

 それを見た文官は作業員たちを押しのけて坑内に躍りこんだ。

「危険だ! その男を止めろ! 誰でも良いから」

 ルークは管理官の一人の命綱を引きながら叫んだ。

「ご領主さま、俺が行く! おれの命綱頼むぜてめえら」

 オトマールと言う作業員が出てきた坑道に帰って行く。


 それに続いて数人の作業員と護衛官や武官が命綱を腰に結び始めている。

「他の者は管理官たちを運び出せ!」

 騎士団長と次席武官の二人がいち早くオトマールの後に続いた。


「放せ、下郎が。私は準貴族だぞ、触るな下等民が。私の手柄を奪うな!」

 文官の叫び声が聞こえる。

「ご領主様の指示だ! ここは危ねえんだ」

「たかだか子爵家の代理領主だろう。貴様の主は私とシェブリ伯爵様だ! 

 その利益になるんだ離せ」

「ウワー!」

 オトマールの悲鳴が聞こえる。


「作業員が刺された! 其の方はこの作業員を連れて出ろ。儂があのバカを連れ戻す」

 騎士団長の声が響いた。

「あったぞ! この岩は他の物と違う。これが証拠だ! 金が出たぞ」

「いかん! 崩落しかかっとる。このバカ者が! さっさと出てこい!」

「離せ! これは私の物だ! 私の手柄だ! 離さんか!」


 暴れまわる文官を無理に引き摺って来る騎士団長の姿が坑道の奥から現れた。

「もう少しだ! 大人しくしろ」

 待機していた作業員の一人が騎士団長に駆け寄る。

「うるさい! 金が! シェブリ伯爵家の金だぞ! マイルズ次席武官、こいつを切り捨てろ! 伯爵家に仇なすつもりか!」

 次席武官は首を振りながら文官を捕まえようと手を伸ばす。


「裏切り者が!」

 文官はそう叫ぶと次席武官を突き飛ばし騎士団長の手を振り払って坑道の奥に這い戻った。

 作業員の一人が慌ててそれを追いかけた。騎士団長もそれに続く。それと同時に轟音がして騎士団長の目の前で岩盤が崩落し追いかけた作業員の上に落ちてくる。

 文官は崩落に呑み込まれ岩盤の向こうに見えなくなった。

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