第196話 カンボゾーラ子爵令嬢(1)

【1】

「王家はゴルゴンゾーラの名前をできる限り削りたいようだな」

「だからと言って公爵家の家名の上に男爵…子爵家の家名を宛てるなんて。カマンベール子爵家としても恐れ多いですよ」

 フィリップ・ゴルゴンゾーラ卿…ではないな。フィリップお父上とルーシーお母上がそんな話をしている。


 しかし生憎と私の耳には二人のそんな話など聞こえていなかった。

 家名を聞いた時点でパニックに陥って頭の中は真っ白になっていたのだ。

 カンボゾーラ子爵家って『ラスプリ』の主人公の家名じゃないか。一体どう言うわけだ?

「…カンボゾーラって言う家名は他にはないんですか? ラスカル王国やそれ以外の国でも同じ家名の貴族が居るとか」

「いや、ラスカル王国には無いな。ハウザー王国にも無い。北方系の家名だから或いはハスラー聖公国やハッスル神聖国に有る可能性は有るが、宮廷が聖公国や神聖国に繋がるような家名を下賜するとは考えにくい…多分無いだろう」


 それじゃあ、今までカンボゾーラ家は存在しなかったのか。だから予科の名簿を探しても色々調べてもカンボゾーラ家が分からなかったんだ。

 いくら探してもフユミ・カンボゾーラに出会わなかったことの意味が分かった。


 でもそれじゃあ主人公は一体どこに居るんだ?

 もう成人式まで二週間を切っている。成人式の後二十日後には王立学校の入学式だ。

 ひと月余りのこの期間で急に現れるようなことがあるだろうか、それとも私の身近にもうすでに居るのだろうか?


 想定される懸念事項は有る。

 廃嫡された旧ライオル伯爵家の救済措置として養子に捻じ込んでくるとか、或いはシェブリ伯爵家や周辺の教導派重鎮の貴族が実権を奪う為に娘を養子に押し付けて来ることも考えられる。

 いや、大いに有り得るだろう。


「もしかして、ライオル家の救済処置であの家の娘を養女にとか言われないかしら」

「ウーム、無いとは言えんませんね。ただライオル元伯爵の子供は男ばかり三人で、どれも独身。二番目のマルカム・ライオルもクロエと同級生、その弟は確か今年成人予定の魔道士見習いだったと思います。養子となれば跡継ぎ候補になるのですから到底受け入れられませんわ」

「でも姻戚で女子だったら…」

「それこそライオル家には養子に入れるメリットが無いでしょう。養女に入れても嫁に出す事になるのだし、婚姻の為の拍付や出自の隠匿の為ならば出来立ての子爵家よりも良い家が有ると思うわ」


「なら、教導派の支配を強める為に有力貴族の娘を養女に捻じ込んでくるとか」

「ああ、それなら有り得るな。有力貴族から行く行くはお前の婿にという事で次男坊か三男坊を捻じ込んでくるぐらいの事はやりかねんなあ」

「え? 婿? いやそんなのお断りだから。そもそも男なんて…」

「まあ安心しろ。そんな事はさせねえさ。そもそもお前をぎょせる男なんてそうそういるもんでも無し…」

「いや、違うくて、養女にとか言ってくることは無いかしら」

「そりゃあ無いだろう。さっきルーシーも言ったが養女じゃあ意味が無い。お前みたいな娘なら養家を乗っ取る事も出来るだろうが、そんな娘は先ずいないぞ。いたとしたら実家が手放さんだろう」

 それはそうかも知れないが、何が起こるかなどわかりようがない。


「でも可能性は…」

「ねえよ。そもそも何でそんなに養女にこだわるんだ。お前が娘で居る限り養女なんて取らねえよ。誰が何と言おうが。まあ妹か弟が出来るかも知れねえが、養子はいらねえ」

「フィリップ様…こんな所で、そんな事を」

「ハイハイ、そういう時は生姜とクローブとサフランが良いよ。オスカルが生まれたのもそれのおかげだからね」

「それは本当か! なら早速」

「フィリップ様! セイラさん!」


【2】

 長らくロワールに足止めを喰らっていた間に、クオーネのゴルゴンゾーラ公爵家やライトスミス商会の支店から人や物資が送られてきた。

 成人式までにカンボゾーラ子爵領に赴き関係者からの挨拶を受ける為である。

 その間にカマンベール子爵領の麻疹も沈静化し、聖女ジャンヌもグレンフォードに引き上げて行った。アナ聖導女はその後の事情を知ったジャンヌから、すべてを許すから戻って来いと手紙が来たようだが、合わせる顔が無いと言ってカマンベール子爵領で引き続き麻疹患者の治療と復興に尽力する旨返事を出して受諾された。


 ゴルゴンゾーラ公爵家からは騎士や官吏が移って来た。

 ライトスミス商会からもカンボゾーラ子爵家にやってこようとする者が多くいたが、全員を受け入れたなら商会の幹部が居なくなってしまう。

 官吏としてミゲルを、サーヴァントとしてフィリップお父上様のご指名でパブロを、筆頭メイドとしてハウザー王国からアドルフィーナを呼び戻す事にした。


 更にカマンベール子爵家は陞爵して人材不足で送り出す人材が居ない。ルイスとルイーズの兄妹とミシェルをカマンベール子爵領のライトスミス商会と掛け持ちでレンタルする事にした。


 そしてクオーネ大聖堂からニワンゴ聖導女が司祭に昇格して送られてきた

 さらにロワールの治癒士系の見習いや修道女や修道士たちの一部からも清貧派への転向とカンボゾーラ子爵領への赴任を打診されている。

 男爵家や騎士爵の継承権の低い子女たちで、教導派の北部聖教会では割を食っている聖職者たちが殆どだ。

 しかしその中にはポワトー枢機卿の治癒士であった修道女も二人混じっていた。子爵家の三女と伯爵家の庶子だそうだ。

 二人は治癒士としての道を究めたいと転籍を求めてきた。


「一つ確認したいことが有ります。カンボゾーラ子爵領の筆頭司祭は元々ハウザー王国の人で、平民出身の鳥獣人です。その下で働くことに不満を持つような人は受け入れられません。清貧派に移りカンボゾーラ子爵領に入るという事は、そういう事です」

「すべて納得の上です。良い待遇など求めません。治癒士として貴賎に関係なく人を救いたい」

「聖属性魔法と併せて行う事で治癒魔法がどれだけの事が出来るのか極めたい、救える命が有るなら救いたい」

 覚悟は本物のようだ。

 領内に入れば麻疹事件に関係した聖職者は一掃する事になるだろう。ロワール大聖堂所属だった聖職者なら大きな波風を立てずに交代が可能かもしれない。


 そして旧ライオル伯爵領、私たちが住むことになるカンボゾーラ子爵領に随員や聖職者を引き連れ入ったが、そこにある村々の惨状はひどい物であった。

 農地は広いが土地は痩せて収穫量も多くは無いようだ。

「連作障害ですね。以前カマンベール子爵領でジャンヌ様にご指導いただいた方法で農地の改良を進めなければ」

 ルーシーさんがまなじりを決して麦畑を見渡しながらそう言った。


 領主城に入った私たちは各農村の代官や官吏からの挨拶と報告を受けたが、酷いものだった。選民思想の塊のような官吏や代官の報告はうわべを取り繕ったものばかりでここに来る過程で見た事と整合性が付かない。

 更には保身の為か都合の悪い事は全てライオル伯爵一族の責任として押し付けられている。

 聖教会の聖職者たちも似たようなものだった。選民思想で言えば領主城よりたちが悪そうだ。

 学者肌のニワンゴ司祭の補佐としてアナ聖導女にはフォローをお願いしている。


「フィリップお父上様。私が王立学校に入ってからの領内の大掃除は大変な大仕事になるでしょうね」

「お前、そのお父上様はやめろ。お前の口ぶりを聞いているとバカにされているとしか感じられない」

「でも公の場では尊称で呼ばないと」

「陰でオヤジ呼ばわりしている奴が尊称など言えばおちょくられているとしか思えない。”様”はやめろ、”お”もつけるな」


「へいへい、父上。領内の大掃除は宜しくお願いしますね」

「ああ、少々荒療治になるが上から下まで塵一つ残さず綺麗にしてやるよ。お前は王立学校に行くまでにセイラカフェとライトスミス商会の支社を立ち上げて、聖教会教室と工房の準備を進めろ! 救貧院は全て解体して工房の組織に組み込むんだ」

 フィリップ父上に丸投げするつもりが、打ち返されてしまった。

 仕方がない王都からグリンダを呼びつけて、クオーネからはリオニーにエドを引き摺って来るように伝えよう。

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