第59話 馬車
【1】
「リオニー様、ナデテ様! 大変です。ウルヴァから伝言でクロエ様が狙われているから応援をと言う事です」
平民寮に後輩のメイドが駆け込んできた。
クロエ様付きのチェルシーが襲われてセイラ様とナデタが向かったのでクロエ様の護衛が必要だとの事。
後輩メイドの説明に違和感を覚えながらも他のメイド達にも指示を出す。
チェルシーが襲撃されたならセイラとクロエの元だけでなくリオニー達にも連絡のメイドが駆けつけるはずだ。
連絡に来たのが不慣れなメイドであったとしても周囲にセイラカフェ出身のメイドは沢山いる。
クロエの下に一人だけが連絡などあり得ないのだ。ナデテも同じ結論に至っている様で”先に向かう”と言って平民寮から出て行った。
リオニーも急いで指示を済ませるとナデテの後を追う、指示と言っても要は各自、自分の主人に図って事態収拾の為に動けと言う事だ。
足の速いリオニーならすぐに追いつけるだろう。
「「「私どもはジャンヌ様の周辺の護衛を!!」」」
「「「私どもは襲撃の状況把握や負傷者が出た場合の対処を!!」」」
後輩メイド達は各自がそれぞれの判断で一斉に動き出した。
ナデテとリオニーはジャンヌに断りを入れて先にクロエの下に走る。
ジャンヌ派の令嬢付きのメイドがジャンヌを囲み医療道具を準備しだしたのを横目で見つつ下級貴族寮に向かった。
駆けつけるとウルヴァの治療に当たるセイラが見えた。
「セイラ様!」
「ここは任せて。リオニーはナデタの応援を! ナデテはこの偽メイドを拘束して!」
「「ハイ」」
セイラの指示に従ってリオニーは寮の裏に向かて走る。
ナデタがダガーを持った男と戦っていた。
ナデタの足元には右腕が有らぬ方向を向いた状態で気を失っている男と両腕をブラブラさせながら泣きわめいている男がいた。
リオニーはナデタに向かいダガーを振り上げた男の眼を目がけてフォークを投げる。
右眼にフォークを生やした男が悲鳴を上げてのけぞった所をナデタが右腕を掴んで捻じ曲げた。
「リオニー! 馬車にクロエ様が! 敵は中に一人と御者!」
その叫び声と同時にゴキリと言う鈍い音が響き渡る。
リオニーはそれに構わず動き出したヴァイザーの付いた箱馬車を追いかける。短距離のスピードなら誰にも負けるつもりは無い。
寮舎に沿った裏道を追いかけて箱馬車の背後に飛び乗ると後部のキャンバス地の風よけを蹴破り体を捻じ込んだ。
中の男はクロエを押さえつけているのでリオニーの邪魔をする事は出来ない。
「なんなんだお前らは! メイドだろうがよう! テメエ、この御令嬢がどうなっても良いのか! 動くな! 降りろ、こいつを殺すぞ! 本気だからな」
中の男はクロエを左手で押さえつけて右手のダガーをクロエの顔の前でチラつかせる。
揺れる馬車の中でリオニーはガーターベルトに仕込んである小振りのナイフを気付かれぬ様に右手で握る。
「あなたこそお嬢様にそれ以上傷をつけると命は無いわよ!」
左手で馬車のヴァイザーを掴み体を固定させて重心を安定させつつタイミングを計る。
「うるせえ! それ以上動くとブスリと行くぞ。ケガどころか大事なお嬢様の命も消し飛ぶ…グワッ!!」
男が振り上げた右掌をリオニーのナイフが貫いた。
ダガーが音を立てて馬車の床に転がると同時にリオニーの身体が宙を切り右足の膝頭が男の顎にめり込んだ。
声も無く崩れ落ちる男を尻目にリオニーはクロエを抱きかかえる。
「リオニーさん! ウルヴァちゃんが血だらけで…。 ナデタは? ナデタは無事なのですか」
リオニーは涙を流しながら問い掛けてくるクロエの頭を抱きしめる。
「クロエ様、ウルヴァはセイラ様が治療に当たっております。セイラ様に任せておけば安心です。それに直ぐにジャンヌ様も駆け付けくれますから」
「ナデタは、チェルシーは?」
「ナデタは暴漢を倒したところを見届けました。ケガはしておりません。チェルシーは…今のところわかりませんがきっと大丈夫ですよ」
「そうでしょうか。それなら良いのですけれど」
「ええ、連絡に来たメイドが偽物だったようですからチェルシーが襲われたというのも偽りでしょう。クロエ様を攫う為に邪魔なナデタやセイラ様を追い払うのが目的だったと思います。だから安心して下さい。…ねえ、そうでしょうあなた」
そう言ってリオニーは足元のダガーを拾うと御者席との仕切りの窓を開き御者の首筋にダガーを突き立てた。
「おっ…俺たちは頼まれただけだ。金で雇われただけで他の事は知らねえ」
御者は引きつった声で答える。
「ならさっさと馬車を止めなさい」
「ああ分かってる。今止める」
馬車の前方には近衛騎士団の制服を着た学生が十数人訓練用の模擬大刀や模擬槍を構えて集まっている。
その集団の前にゆっくりと停車した。
【2】
午後の授業を終えて近衛騎士団内の訓練場に行こうと考えていたイヴァン・ストロガノフに非常招集の連絡が入った。
近衛の学生は皆授業が終わり次第学校内の訓練場で待機との連絡だった。
二日ほど前から近衛騎士団はマルカム・ライオルの捜索で街に駆り出されている。
イヴァン達学生は近衛騎士団内での自主訓練だったのだが何故か急に指示が変わったようだ。
放課後の自主練でも近衛騎士団は学校の訓練場はあまり使わない。
近衛騎士団が王立学校から近い事も有るが、設備も古く控室や休憩所も騎士団の設備と比べて狭いのだ。
また学校から離れている王都騎士団の学生が良く使っているのでトラブルを避ける為でもある。
今年はそれでも近衛騎士団と王都騎士団の軋轢は少ないと聞いているが、それでも訓練場内は二つの大きなグループに分かれてしまっている。
こういう時は副寮長のウィキンズ・ヴァクーラとケイン・シェーブルが近衛騎士を取りまとめているのだが今日は二人共いなかった。
まあ王都騎士団のレオナルド・ギーとウォーレン・ランソンが彼方をまとめているし、あの二人がいる前で余計なちょっかいをかける奴も稀だ。
イヴァンは模擬刀を持って同じクラスのウラジミール・ランソンと軽く手合わせを始めた。
しばらくするとメイドがやってきてレオナルドとウォーレンに何やら告げた。すると二人は慌てて模擬刀を持って数人の学生を連れて出て行ってしまった。
何事かと思ってみていると今度は第七中隊所属の三年生の先輩騎士が近衛騎士全員を呼び集めた。
「近衛騎士団員は今から出動だ! 貴様ら全員得物を持って中隊毎に並べ! 点呼!」
ウィキンズやケインに比べてぎこちない号令だ。気合が足りないな等と考えながら並ぶ。
「いったい何なんだこれは? 緊急演習か何かか?」
イヴァンが不信を口にするとウラジミールがそれに答える。
「それにしたって何故あいつが指揮者なんだ? 気合が入らないぜ。第一王子の腰巾着で遊び歩いているからウィキンズ副寮長の居ないうちに箔付けでもしたいんじゃないか」
「そこ! 私語は禁止だ! 今から緊急事態の対処だ!」
指揮者の先輩が怒鳴り散らす。
「今から校内の不審な馬車の探索だ。不審な馬車を見かけたら停止させて捕獲しろ。学生以外の者が乗っていれば直ちに拘束して連絡しろ」
演習なのだろうか馬車など校内にそれほど走る事はない。
「第七中隊は学校出口方面を固める! ほかの中隊は独自の判断で警戒態勢に入れ!」
大雑把な指示を出すとその先輩は第七中隊のメンバーだけを連れて出て行った。
イヴァン達が校内を巡回しているとウラジミールが下級貴族寮の方を指さして言った。
「おい! あれじゃないか」
そこには後部のカンバスがちぎれて、ヴァイザーも半分吹き飛んだように揺れている馬車が疾走している。
そして壊れたヴァイザーから頭を出したメイドが仁王立ちで何か言っていた。
慌てて馬車を追いかけるとメイドは馬車の中に隠れてしまい、暫くすると馬車がゆっくりと停止した。
イヴァン達が追い付くと既に馬車の周りには第七中隊の生徒たちが馬車を遠巻きにして集まっていた。
そしてえらく不似合いな近衛騎士団の鎧を付けた男が一人、抜き身のロングソードを持って馬車に歩み出して乗り込もうとしていた。
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