第131話 治癒の懇願
【1】
歩み出た武官から思いがけない言葉が紡がれた。
「頼みを聞いて欲しい」
「いったい何を…」
「セイラ様は教皇の治療でお疲れなのよ! あなたたちの恨みごとに付き合う筋合いは」
「待って、ルイーズ」
「それは重々承知している。我らも遺恨が無いと言えば嘘になるが、それはそちらも同じだということも理解している」
「それでなお、私に頼み事?」
「ああ、頼む。死にかけているものを救ってほしい。全てをもとにとは言わん。せめて命だけは、それも無理というなら苦しみだけでも取り除いて欲しい」
襲撃に来て返り討ちにされた騎士達や私がここに来てから手をかけた騎士達だろう。それを治癒してくれという頼みだろうが、あの指揮官たち襲撃犯の六人はすでに三日目だ。
「何人生き残っているの? それに私一人で完全に癒すなんて無理よ。命の保証なんて絶対できないからそれでも良いのなら」
「セイラ様! そんな事をして体が持ちません。魔力だって今でもかなり限界でしょう。お顔の色が優れません」
「それは私が判断するわ。何人?」
「セイラ様! カロライナのメイドやサーヴァントを殺した奴らですよ。一般人を殺しに来た奴らですよ! あそこで死んだ者たちだけじゃなくその子供や親や家族まで地獄に突き落としたんです。そんな事虫が良すぎます!」
ルイーズは騎士達の要求に我慢がならないようだ。
「謝罪したところでも何一つもとに帰る訳ではないが、それは我々が変わって謝罪する。ポワチエ州の使用人たちと同じようにあの騎士達にも家族が、肉親やその苦痛を嘆く者はいるのだ。伏して頼む。あの指揮官は同期で親友であった。この件の失態でその名誉は地に落ちたが、更に苦痛でのたうつさまは看過できぬのだ。治癒が無理でもせめて安らかに逝かせたのだ」
「分かったから人数を教えて、私も万全の状態ではないの。状況によっては見捨てなければいけない命も有るのよ」
「昨夜の副団長以外は未だ死者は出ておらん。治癒術士たちの治癒が間に合ったのは三人。治癒を願いたいのは十人だ」
「そんな人数無理です! いくらセイラ様でもムチャです。過度の魔力消耗は回復に何日も要するってアナ司祭様から伺っております」
「無理はしないわ。今日は最低限の延命治療を行って、明日から何度かに分ければどうにかなるでしょう」
「有難い。それでもかまわぬ。恩にきる」
「いや、それは容認できんな。瑣事に心を奪われ、本分を忘れられては困る」
頭を下げる武官の後ろから冷たい事務的な声が響いて来た。
【2】
「貴様との約定は教皇猊下の治癒だ。些末な事でそこのメイドが言うように魔力を使い切って回復に何日も要するなど論外だろう。先ずは教皇猊下の治癒が最優先だろうが」
ジョバンニ・ペスカトーレであった。
いつの間にか治癒術士団の司祭や司祭長を従えて騎士団員の後ろに立っていたのだ。
「些事? 些事と申されたか大司祭殿」
「些事であろう。アジアーゴ大聖堂教導騎士団に泥を塗った半端者ではないか。そんな者の治療に時間と魔力を裂くということこそ些事であろうが。無駄な事をするならさっさと英気を養って教皇猊下の治療に備えて貰いたいものだ」
「無駄とは余りの仰り方では御座いませんか。大司祭様のご命令通りあ奴らは命を賭してポワチエ州に向かったのですぞ。それを無駄とは…」
「結局、それも失敗したではないか。セイラ・カンボゾーラを連れて来れたのもこ奴本人の協力が有っての結果であろう。その上この大聖堂内でも醜態を重ねて挙句の果てに懇願か? 呆れてものも言えんわ」
「それでもその仰り様はあまりに無慈悲では御座らんか!」
教皇の孫に迂闊な事は言えないのだろうが、武官や一緒にやって来た騎士達は怒りで顔を赤く染めている。
「ジョバンニ・ペスカトーレ、いい加減にしてちょうだい。何を人の頭越しに勝手に話を進めているの」
「貴様! ペスカトーレ大司祭様を呼び捨てとは不敬であろう」
「人の事を呼び捨てにする相手に何を敬意を払う必要が有るの? それにここで気を使っても宮廷作法の単位の足しにはならないからね。そもそも治療するのは私で、私は私の考えで動く。少なくとも教導派の輩の指示に従うつもりなどさらさら無いのでね」
「ふん、それを言うなら王立学校でも貴様の様付けには羽一枚の重さも無いではないか。それにお爺様の治療は貴様との約定であると思うのだがな」
「その羽の重さ程度の様付けで去年は特待を取れましたのでね。もちろん約定は約定、それを履行すれば後は私の勝手よね。それならば今日は約定以上の事を済ませているわ。さあ、行きましょうか騎士さんたち」
そう言って歩き出した私の後ろに武官達騎士が付き従った。
私のその背中にジョバンニの腹立たしそうな怒鳴り声が響いた。
「口の減らぬ女めが! そいつらのせいで治療が滞るような事は許さんからな」
【3】
「かたじけない光の神子殿」
「仕方ないわ。あの指揮官以降の怪我人は私がやったんだからその埋め合わせ程度はしましょう。ルイーズ、その武官さんから食材をいっぱい貰って滋養の有るスープと消化の良い流動食を準備してちょうだい」
「セイラ様、あいつらはデルフィーナをあんな目に合わせた…。そうですよね。あいつらと同じことをするところでした。すぐに準備にかかります」
ルイーズはそう言い残すと厨房に駆けて行った。
「あの娘は、あの言葉はいったいどういう意味で」
「意味も無く人の命を奪う外道に落ちたくないと言う事よ。これ以上恨みを募らせたところで何も解決しないから」
「…くっ」
私の言葉に何か感じたのか騎士たちは私を先導しながら、廊下から地下への階段を下りて行った。
その私の後ろになぜか治癒術師たちも付き従ってくる。
「本当にここなの? 何故こんなところに」
「まず信じてくれ。今更貴様を拘束しても何一つ益は無い。そしてここは懲罰房だ。教導騎士団の幹部にとって任務をしくじったり、幹部騎士を守れなかったものは犯罪者同然なのだ」
武官が苦渋に満ちた声で言った。
そして開かれた半地下の懲罰房には粗末なベッドが並びうめき声が上がっている。
懲罰房内には三人の治癒術師が疲れた表情で治癒治療にあたっていた。
「たった三人でこの人数を回しているの?」
「教皇猊下の治療に人手がいるからと司祭様や大司祭様の命で、私どもの手が空いた折はこうして応援にはきてはおるのですが」
修道士ばかりの治癒術師では司祭やジョバンニに逆らえるはずもない。
「良いわ。これからトリアージを始めますから覚えてちょうだい。まずケガ人は四段階に……」
治癒術師たちはトリアージとカルテの記載の説明を聞いて真剣に患者の仕分けを始めた。
「白札(死亡に類する状態)は無いのね。情を優先すると助ける命も助からなくなるのよ」
「はい、毒の二人は小康状態です。一番危険なのは喉を焼かれた三人で、次は指揮官。続いて昨日の湯を被った騎士で全身やけどの将官です。骨折の三人はどうにか我らで最低限の治療を施しました」
私はそれを聞いて喉を焼かれた三人の気道と食道に光魔法を流して炎症を癒して行く。
三割ほど癒して気道を確保するとともに食道にも少しは物が通る道筋を確保できた。
「風属性! この三人の呼吸補助を。それから人肌に温めた食塩水に砂糖を足して少しずつ飲ませて。配合はこのメモの通りで。胃には定期的に水魔法で水の補給も」
これでかなり力を使った。
次は指揮官だ。こちらの治癒術士のお陰で体表面の火傷はかなり癒えているが、火傷跡のケロイド化が起こっている上にかなり発熱が有り悪寒で震えている。
心拍数も早く意識も朦朧としている様だ。
とにかく体表面の治療と肝臓や腎臓の免疫力を高めてゆく方法で今日は逃げる。
それでも見る間に熱傷が退いて行く様子を見て感嘆の声が上がる。
この四人は多臓器不全を起こしているので火傷が治癒しても、それだけでは無しは終わらない。
「わっわしらの治療はまだか?」
昨夜の将官が問いかける。
「聞いていたでしょう! あなた方は毒の二人と頭の火傷の後よ」
「わし等は貴族で…」
「だから何? あなた昨日なんて言ったの? おためごかしは効かんと言ったわよね。火傷跡も治癒術士に見て貰ったんでしょう。辛抱しなさい」
「しかし、このままではそやつの様になるのだろう」
「彼は三日我慢したわ。あなたたちはたった一晩で泣き言をいうのね」
そう言いながらリオニーの毒をくらった二人を調べる。
やはり肝臓に損傷が見られるが、どうにか命は長らえている様だ。少し肝臓に光魔法を流し、頭の熱傷患者に向かう。
熱傷の度数が高いのでケロイド跡が残るだろうが、火傷は癒されて行く。
「重症の四人は呼吸補助を続けてちょうだい。胃への水分補給も定期的に忘れずに」
そう指示を出しながら最後の二人に向かう。
昨晩から一日苦しんだのだろうかなり憔悴しているが、私の光魔法で火傷跡もひいて行く。
「重度の患者は栄養補給水を、赤札の患者にはスープと流動食を」
その言葉を最後に私の目の前が暗くなりそのまま倒れてしまった。
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