第167話 教導派貴族との取引(1)
【1】
七月の初日にオーブラック州に入港したハスラー聖公国の商船二隻は荷受場に人が居ない事に気付き、店の前まで来て看板が下ろさせている事を知り、悪態を尽きながら帰って行ったと 引越し後の片付けをしていた商会員から聞いた。
あの商船団がシャピに廻ってこなかったという事は、東のアジアーゴの港に向かったのだろう。
シャピに廻ってこられたら少々厄介な事になっていたかもしれない。
ランドック商会長はそんな事を思いながら、河船からの荷馬車に荷物を積みかえ作業を仕切っている。
それもシャピの街では無く、カロライナと言う内陸側の新興都市である。
南部と北方の外洋商船の積み荷を繋ぐ集積基地として賑わいを見せている町だ。
オーブラック商会はここに倉庫と本店を移動しシャピに小さな出張所を開設している。
カロリーヌの依頼はカロライナで荷揚げされた南部からの商品を、中央街道に向けて運ぶ流通路を作る事だ。
今までシャピの港からの荷は全て王都に向かい、そこから中央街道を通して各地に運ばれていた。
その為中央街道から外れた弱小領地は交易から取り残されいた。
カロリーヌから聞かされた案は、それら弱小領地からの産物と流通をカロライナに集めて取り仕切ると言う案だ。
それをオーブラック商会に任されたのだ。
傑物と言う者はいるものだとつくづく思う。
以前煮え湯を飲まされたセイラ・ライトスミスもそうだが、カロリーヌ・ポワトーも娘のオズマと同い年だ。
そして今現場で船主と商談を進めているあのパウロと言う少年は成人前だそうだが、番頭も舌を巻く商才の塊の様な少年だ。
例のカンボゾーラ子爵領のアヴァロン商事からの派遣だそうだが、オズマやあのアドルフィーネと言うメイドによると全てを仕切っているのは同級生の子爵令嬢だと言う。
アヴァロン商事やライトスミス商会は商売敵では有るが、取り引き相手として見れば誠実で信用のおける相手でもある。
今回はアヴァロン商事にも助けられた。
香辛料や茶葉などの南部からの仕入れ商品の信用取引を承諾してくれたからだ。
南部産で代用の利く物はカロライナでそちらに切り替えた。お陰で三割近く安値で調達できた。
ハスラー聖公国産の物品もシャピの港で一割以上安い値段で仕入れる事が出来た。
これでどうにか借金をしなくても…これから納品に行く貴族たちから無茶な要求が無い限りは無様な事にならずに秋まで持ちこたえる事が出来る。
ただし取引先より不当な要求が有れば信用取引分の支払いが滞る事になる。そうなれば破産も有りうる。
パウロの話だとそうなった場合はアヴァロン商事の傘下に組み込まれる可能性もあると沈痛な面持ちで言ってきた。
そうなっても商会員たちの就業は確実に保証されるのだから悪い話では無いと思っている。
その考えを伝えるとパウロは怒り出した。
自分は送り出された時にここの職員として使命を果たすように言われたのだから、商会主がそんな気概では困る。
傘下になると言う事はオーブラック商会は無くなってランドック家の家族を巻き込む事になるのだから絶対そんな事はさせないつもりでいるべきだと。
パウロは商会員の皆の前で、オズマがここ迄奔走して立て直しの目途までつけてくれたのに取引先の大貴族に迎合して店を潰して良いのかと檄を飛ばしてくれた。
「今成すべきことは御令嬢のオズマ様のご苦労に報いる事。ランドック家を犠牲にしてでも商会員を守ってくれている商会主様を支える事です。今まで虚仮にされた上級貴族たちに膝を屈してはいけません。一切の妥協も付け届けも無く、契約書の内容を履行させてください」
その言葉を後に商会員たちは荷駄と共に各取引先に散って行った。
【2】
パウロは厄介な取引先はシェブリ伯爵家とモン・ドール侯爵家が筆頭だと考えている。シェーム伯爵家が落ちればエポワス子爵家もマンスール男爵家も追随するだろう。
後は落ち目のマリナーラ伯爵家だ。
セイラはシェブリ伯爵家はあっさり手を引くだろうと言っていたが、そう上手く行くとも思えない。
最悪アヴァロン商事向けの手形が落ちなくて吸収されたとしてもオーブラック商会の名も商会主としてのランドック家も残るのだが…。
オーナー店主が雇われ店主になるだけの事なのだが、一丸となっている今はそれは言わない方が良いだろう。
取り敢えずは手代たちとシェーム伯爵家に回る。
ここの取りこぼしは追随する貴族が多いので失敗が響いてくるからだ。
先ず取次の執事から賄賂を要求された。
これを拒否すると執事からしばらく面会できないと告げられた。
食い下がっている商会員を尻目に、パウロは荷駄の側迄行って荷下ろしを止めさせるた。
「伯爵さまは金が払えねえようだ! 積み荷を引き揚げろ! 直ぐに次の領地に向かうからな。侯爵様がお待ちかねなんだよ!」
慌てて飛んできた執事や使用人が割って入って来た。
「貴様! 何を致しておる。さっさと荷下ろしをせんか!」
「なあ、手代さんよう。金、貰えねえんだろう。そんなら、さっさと次に行こうや。支払いが滞るような領地は後回しだろう。ここで支払われる金から俺たちの給金が出るのなら、金が貰える時に又来ようや」
「おい、下郎の分際で口の利き方も知らんのか! 金は後で取りに来い! 荷物は直ぐに降ろせ!」
「下郎だから口の利き方なんて知らねえよ! この先の保証なんて馬借にはねえんだよ。今貰えないなら荷は降ろさねえ。時間の無駄ださっさと行こうぜ」
その間にも積み下ろされた荷物が荷馬車に戻されて行く。
「おい! オーブラック商会! なんとか致せ! こんな不埒な真似が通ると思っておるのか」
「通るも何も、我が商会も余剰の金は持ち合わせておりません。別に伯爵様のお目通りをお願いしなくても今回契約分の支払いさえしていただければ構いません」
「くっ、半金だ! 半金だけ払ってやるからとっとと荷物を…」
「それは契約不履行で御座います。支払いはこの価格で全額いただけないでしょうか。そうでなければ荷を下ろす事は出来ません」
「ふざけるな。わしの温情でこう申してやっておるのだぞ」
「温情はいりませんので全額のお支払いを」
「伯爵様に取り次いでやるから待っておれ」
「おや、伯爵さまは御不在では無かったのですか。御帰宅まで待つのも難しいので先に料金のお支払いをお願い致します」
「…、判った。金を渡してやれ」
執事の命令で使用人が金の入った革袋を持って来る。
手代は直ぐに袋を開いてみんなの目の前で金額の確認を始めた。
「貴様! ぶっ無礼ではないか! 目の前で金子を並べるなど!」
「いえ、伯爵様がおられない今間違いが有っては伯爵家の面子に関わると思いまして…おや、金貨が一枚足りぬようですが?」
顔色の悪い執事はしばらく周辺を見回して一度屈むと立ち上がった。
「このような所で袋を開くから落としたのであろう足元に落ちておったわ!」
そう言って袋に金貨を一枚放り込んだ。
パウロは手代が頷いたのを見て荷下ろしを再開させる。
「しばし待っておれ。伯爵様に取り次いでやる。我が領の特産の豚肉のベーコンや腸詰は人気でなあ。昨年の倍の値段でも引く手数多よ。わしが口を利いてやればその価格よりも安く、精々五割増しで買い取る事も可能だぞ」
「いえ、昨年より買取価格が上がるなら不要で御座います。先ほど申した通り余剰の予算も御座いません。これにて失礼いたします」
「おい、待て。ご領主様に談判すればさらに下げる事も可能なのだぞ」
「ご領主様が御不在なら帰りに御寄り致します。急ぎますので直ぐに出立致します」
「えっ? オイ、我が領地の産物を持って帰らんのか? 買取の交渉が有ろう」
「それは帰りにでもお伺いいたします。それでは失礼いたします」
執事と使用人たちは走り去る荷駄を見ながら呆然と立ち尽くしていた。
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