第166話 経営会議

【1】

 ついさっきまでゴチャゴチャだった会議室はどうにか片付けられて、テーブルも椅子も整えられていた。

 ただ、掃除が追い付かず部屋の中はチョークの埃っぽいが、机と黒板はきれいに拭かれていた。


 オズマが部屋に入るともう父と番頭が昨夜作った財務書類を貪るように読んでいた。

 その横で二人の手代が、その内容を書き写して控え書類を作っている。

「問題が一目瞭然だな。もっと早くこれが解っていればなあ」

「ええ、このやり方を以前から知っていれば…いえ、半年前にこの書類が有ればどうにか成っていたかもしれませんな」


「お父様、なにを弱気な事を! まだこの商会は潰れたわけではありませんよ! その為にこうして来ていただいているのでしょう!」

「解っているが、どれほど支援を受けても取引相手が今のままではどうにもできん。この財務指標を読んで痛感した。傷口が大きくならないうちに店をたためる」


「何を弱気な事を仰っているのですか。そうならない為にオズマさんが奔走して、ジャンヌさんやセイラ・カンボゾーラさんに頭を下げて協力を仰いでいたのにそれを無駄にするつもりですか」

 おっとりした話しぶりにそぐわない苛烈な言葉を吐いてカロリーヌが部屋に入って来た。

 その後にオドオドとジャンヌが、続いてアドルフィーネとナデテが入って来た。


「大切なお話なので人数はこの五人とメイド二人に絞らせて頂いて宜しいでしょうか?」

 ジャンヌの提案にオーブラック商館主も頷いた。

「お父様、きっとジャンヌ様とカロリーヌ様が手助けをしてく下さいます。私たちも策を考えましょう」


 オズマの必死の訴えにも覇気のない返事をする商会長と番頭は、現実を突きつけられてどうも心が折れてしまっている様だ。

「今ご支援いただいても、この先取引状況が変わらなければもう利益を上げる事は出来ません。だからと言って付け届けを止めてしまえば取引は切られるでしょう。借金を重ねる前に気付かせて頂いたことを感謝しております」


「付け届けを要求されるならこちらから切っておしまいになられたら? 取引を止める心算ならば簡単な事ではありませんか。これから先一切の付け届は拒否して、価格も無理のない価格で折り合えなければ契約は解除すれば良いのですよ。商会をたたむ心算ならばそれくらい容易いでしょう」


 オズマの父も番頭も驚いたように顔を上げてカロリーヌの顔を見上げた。

「そうですな、旦那様。その通りですな。そう思って開き直れば悩むことなど御座いませんぞ」

「そうだな。急な出来事で動転していたがそう考えれば怖い物など無いかもしれん」


「お心が決まったようで御座いますね。そこで私からご提案が御座います。オーブラック商会の本店の機能を私どもポワトー伯爵領に移すおつもりは御座いませんか?」

「それが打開策になるのでしょうか?」

「オズマさんには話はしているのですが、同じ商品ならシャピの方がずっと安く購入できます。商品を購入できる商船団も多数入港しておりますから。今、ポワトー伯爵領では陸運業者が足りないのです。事務所や倉庫も融通致しましょう。特に商船団との事前契約が無いようならば直ぐにでも来て頂きたいのです」


「特に契約がある訳では御座いませんが、商船団はここの港での仕入れを予定していると思うので…」

「そんな不義理な値段をつけて商品を押し付けるような商船団も切っておしまいなさい。港に停泊しても商会が無ければ勝手に引き揚げ行きますよ。オーブラック商会が集めた荷もシャピの方が良い値で売れますよ」


 商会長は暫く逡巡してから口を開いた。

「…ご無礼を承知で申し上げます。今まで上流貴族の皆様方とは色々と取引をしてまいりましたが、うまい話を信じて損失を大きくしたことが幾たびも有りました。これ以上借金が増えれば店を畳んでも、働いてくれた商会員に功労金すら出せないのです」


「ああ、そういう…。商会長様は確証が欲しいとおしゃるのですね。美味しい話を信じてさらに傷を広げたく無いと」

「お父様! それは失礼です! カロリーヌ様はこうして我が家まで出向いて下さっているのに!」

 アドルフィーネの言葉を聞いてオズマが声を荒げた。


「疑っている訳では無い。ただ女伯爵カウンテス様の想いと、我々の想いが乖離しているかもしれないと…」

「いえ、商会主様のお考えはよく理解できますわ。お互い多くの者の生活を預かる身、うかつな事は出来ませんもの。宜しいでしょう、最悪の場合商会主様の仕入れ商品をハスラー聖公国商船団と同じ料金でお売りいたしましょう。もちろん買い入れも同じ条件で全てポワトー伯爵家が引き受けます。契約書は作成いたしましょう。でもそういう事には成らないと思いましてよ」


 要するにオーブラック商会の今四半期の売買契約は、仕入れ分の補償と引き換えにポワトー伯爵領に店を移せと言っているのだ。

「旦那様、このお若い女伯爵カウンテス様に賭けて見ましょう。女伯爵カウンテス様の仰る条件でならこれ以上悪くなることは御座いません。シャピで物資がもっと安く仕入れられれば損失は少しでも減ります」


「店も倉庫も手当てしてくれてその条件は破格ではありますが、それで終わりでは御座いますまい。条件が御有りなのでしょう? ご厚意だけでこの様な条件を提示いただけるとは考えられません」

「お父様! カロリーヌ様に…」

「もちろんですわ。好意だけでの提案など怖くて受け入れられないのは当然です。株式組合になりなさい。株式の過半数はランドック様が押さえてかまいません。残りの株をポワトー伯爵家を筆頭に王家やフラミンゴ宰相家などの教導派貴族家が投資致します。この投資金は今四半期を乗り切る資金であり、それ以降の事業再編の資金になります。それが一つ目の条件」


「…株式組合化は店を潰さぬ為には致し方ない条件ですが、後幾つ条件が有るのでしょう」

「安心してちょうだい。条件は二つ、そして二つ目は私の指定する者を一人副商会主の地位で雇用しなさい。これからの商売のオブザーバーで指導役となる人材ですから」

「それは、女伯爵カウンテス様からの監視役と言う事ですな」

「そうとらえても構いませんよ。けれど昨夜の財務書類の処理や手法はご覧になったでしょう。この者たちに並ぶ能力を持った実務の専門家ですからあなた方にも大きなメリットですよ」


「もしや、今日連れて来られた方々の中に居られるのでしょうか」

「いえ、少し違うわね。でもそう仰るところを見るとこの使用人や護衛の者達に何か感じるところが御有りになるようですね」

「ええ、なんと言うか聖年式直前の若いメイドや冒険者や聖堂騎士様が我々よりも財務について博識で経営についても良くご存じだと言う事が信じられないのです。長年番頭として勤めてきましたが、私の知らぬ事が多すぎて恥入るばかりです。もちろん獣人属のお二人のメイド様はまるで別格ですが」


「そう仰っていただけて嬉しいわ。今回私の方から推薦して経営に参加して貰うのは、今仰った聖堂騎士様の弟にあたる者です。昨年聖年式を迎えましたから私のメイドのルイーズやミシェルの一つ上になりますね。年は若いですが財務端ではとても優秀です」


「判りました。女伯爵カウンテス様のお申しではすべて呑ませていただきます。明日からでも店舗を片付けてポワトー伯爵領に移る準備を致しましょう」

「ならば、細かい話を詰めて明日にはシャピに引き上げて店舗と倉庫の手配を致しましょう。さあアドルフィーネ契約書の準備をお願いするわ」

 これで、セイラから指示された契約内容は吞ませる事が出来た。

 上から目線で知った風な事を言ったが全てセイラとアドルフィーネのシナリオが有っての事だ。

 緊張で服の中は汗だくなのだ。カロリーヌは心の中でホッと一息ついた。

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