第165話 朝のカロリーヌ

【1】

 朝の会議室…と言うよりは商館の一階は死屍累々の有様だった。

 ソファーや椅子はもとより帳場の陰や机の下で眠っている商会員もいる。

 ジャックやポールは廊下に転がって鼾をかいていた。

 厨房の隅で仮眠をとっていたアドルフィーネは、商館のメイドが起き始めるころにはすでに厨房に立ち湯を沸かし始めていた。


「差し出がましいようですが、皆さま徹夜で疲れていらっしゃいます。なるべくギリギリまで寝かせてあげて下さいまし」

 やってきたメイドにそう伝えるとジャンヌとカロリーヌの朝食の準備を始めた。


 恐縮する商館のメイド達を押しとどめると更に指示をする。

「それでしたら、オズマ様や商館主様そして商館員の方々に消化の良い朝食を準備してあげていただけないでしょうか。出来れば私どもの連れてきた護衛の三人にも同じものをお願い致します」


「消化の良い朝食と言うのは一体どう言うものでしょうか…?」

 消化や吸収、栄養などの概念はセイラカフェ系の店舗や南部や北西部では常識になりつつあるが、一般的に知られている訳では無い。

 特に北部や東部では煮汁を捨ててから焼いたり根菜類を下等なものとして毛嫌いしたりしている。


「それでしたらぁ、消化に良くて滋養の有る美味しいスープをお教えしますぅ」

 いつの間にか野菜類を大量に抱えたナデテがやって来て指導を始めた。

「これはぁ南部では普通に行われている調理方法でぇ、お味が格段にぃ良くなるのですぅ」

 そう言いながらクズ野菜から出汁を取り始めた。

 人参、玉ねぎ、キャベツ、ポロ葱、アスパラガスにアーティチョークそれらの芯やヘタや皮などの野菜くずを大鍋で煮立てて行く美味しそうな香りが広がって来る。

 懐疑的だった商館のメイド達も匂いにつられて集まって来た。


 ナデテは出来たスープストックを深皿に移すと手早く塩と胡椒を振りかけて皆に回す。言外に味見をしろと言っているのだ。

 メイド達が一口ずつ口をつけて皿を回しながら驚嘆の声を上げる。

 それからは消化や滋養と言った食に関する知識を交えたナデテの指導を熱心に聞きながら料理教室が始まって行った。

 それを見ながらアドルフィーネは一人分の朝食を持って二階に上がって行った。


【2】

 カロリーヌはノックの音で目を覚ました。

「カロリーヌ様、おはようございます。お眠りになっていらっしゃいましたか」

 驚いた事にアドルフィーネの声が聞こえた。

「いいえ、今起きたところよ。丁度良い時間の様ね。ありがとう、ぐっすりと眠れたわ」


 ドアが開いてアドルフィーネが入って来た。

 部屋中に持ち込まれた朝食のワゴンからコーヒーの良い香りが広がる。

「ルイーズから朝のコーヒーがお好きだと伺いましたので」

 朝食のトレイにはアスパラとアーティチョークとベーコンのソテー。バターを塗られた白パンのトーストとサニーサイドアップ。


 いつの間にか水差しの水は取り換えられて澄んだ水が満たされており、洗面器には寮で流行りのジャンヌ織りのタオルが副えられている。

 カロリーヌはアドルフィーネが洗面器に移した水で顔を洗うと、タオルで顔を拭きながら椅子に腰を掛ける。


 いつの間にか後ろに立ったアドルフィーネがカロリーヌの長い髪をブラシで整えてゆき、三つ編みに編んで行く。

「資料が有るのなら見せて下さるかしら。少しでもしっかり確認をしておきたいの」

「はい此処に御座います」

 一瞬も間を置かずに分厚い紙束から十枚程の紙が抜かれて手渡された。

「概要となっております」


 ルイーズやミシェルも感心するくらいに良く出来たメイドだと思っていたが、アドルフィーネはあの二人を合わせても到底及ばない程に卒無く完璧に仕事をこなしている。

 勝手も分からない様な初めての屋敷でまるで住み慣れた屋敷のように全てを整えられるものだ。

 何よりあの財務指標を作るために昨晩はほとんど寝ていないはずなのにいつの間に食事から洗面具迄用意したのだろう。


 カロリーヌはガウンを羽織るとテーブルに設えられた朝食を食べながら概要書類に目を通して行く。

 気になる点を聞くと、直ぐに付箋を入れられた書類束から資料のページを渡されて説明が入る。

 朝食が終わる頃には概要も読み終わり、説明を受けて内容もほぼ頭に入った。


「この取引先の貴族たちの名前は分かっているの?」

「こちらに一覧表が御座います。取引先と取引金額や支払い状況、それに使途不明金の額も併記しております」

 一覧表には関係する見知った貴族の名前が列記されている。


 横棒が引かれたライオル伯爵家、そしてシェブリ伯爵家。それ以外の取引先貴族は…?

「シェーム伯爵家、それにエポワス子爵家とマンスール男爵家?」

「夏至祭でドレスにインクをかけたあの三年生の…」

「ああ、あの方たちね」

「マンスール伯爵令嬢様のお従姉にあたられるそうです」

「三年と言えばモン・ドール侯爵家も入っているわね。他にもマリナーラ伯爵家と言えば昨年の秋に枢機卿の座を奪われた…どちらもクラスメイトの男子生徒の実家じゃないの」


「オズマ様が頑なにクラスでご実家の屋号を伏せていらしたのはこの為でしょうね。教導派を避けていらしたのも意味が有ったのでしょう。知れれば厄介ですから」

 アドルフィーネの言葉に一々納得がゆく。

 教導派の大貴族で実家の取引先の子弟だ。

 バレれば当然のように金蔓代わりに絞られて小間使いのように使われるだけで、いやな事は全て押し付けられた事だろう。


 早急にこの関係を断ち切ってやらねば、これから先のオズマの学校生活は悲惨なものになるだろう。

「会議を始めるまでにまだ時間は有るのでしょう。さあ、着替えの前に私の役割を聞かせて貰おうかしら。セイラさんから色々と指示を受けているんでしょう。あの方の目論見どうりに行きそうなの?」


 出発前にセイラからある程度の目論見は聞いているが、あのセイラの事だ。ただオズマに投資するだけのはずはない。

 何より本店機能をシャピに移す協力を要請されている。事務所の土地や倉庫を投資の形でオーブラック商会に貸す算段は付けている。

 しかしそれだけのはずが無い。


「さあ、アドルフィーネ。これから始まる会議で私はオーブラック商会に何を提示して話の主導権を握れば良いのかしら。それに、この名簿の教導派の取引先との関係を断ち切る方法も考えているのでしょう。ポワトー伯爵家の名を使う以上私が前に立たないと侮られてしまうわ」


「もちろん、セイラ様から幾つか提案事項を受けを承っております。財務指標をもとに実施可能な案件をご提示できる準備は出来ておりますので、今からカロリーヌ様にご報告いたします。私が出来る限りフォローいたしますがこれから説明する内容は頭の中にお納めくださいませ」

 そうしてアドルフィーネの早朝スパルタ講義が始まった。

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