第79話 崩壊(1)
【1】
綿花市に集まった商人たちは、開いた市場の様子に戦慄した。
まるで閑散としているのだ。
昨年、一昨年と運ばれて来る綿花は大幅に減っていたが、今年は昨年の半分もあるか無いかである。
その上綿花の質も最悪であった。
「ハウザー王国で綿花は不作だと聞いていたがここ迄とは。飢饉でも起こっているでしょうか」
「しかし南部との穀物取引は好調と聞いているぞ。ロックフォール侯爵家は南部貿易で多大な利益を上げていると聞いておるが」
「それに荷を運んできたあのケダモノどもは皆良く肥えて血色も良いではないか」
「それでは綿花のみが不作なのか? 病気や害虫の類かもしれんな。それならばこの先、綿花回復は見込めんぞ」
そんな話が出始めていたが、綿花市はこの先一週間位は続く。
遅れて入荷する綿花に期待して交渉は持ち越されたが、三日目なっても荷駄が増える事は無かった。
「こんな綿花に金など払えるか! この品質ではろくに紡ぐこともできん」
「おい! ケダモノども、よくこんな綿花を持って来れたな。こんな品質では金を払う訳に行かんぞ! 引き取ってやるだけありがたいと思え!」
ハスラー聖公国や東部の商人たちの怒声が響く。
「ふざけるな! こっちは運賃も税金も払ってるんだ! タダでくれてやるくらいなら、広場で焼き払った方がスッキリすらあ」
「こんな事なら持ってくるんじゃなかった。もう二度とこの市には来ないぞ」
ハウザー商人もいくら粗悪な綿花でもタダで渡すつもりは無いようだ。
綿花市の商人たちも言い過ぎたと思ったのだろう慌てて押しとどめる。
「まあ待て。運送料や税金に見合う額は払ってやる。だからそれで引き渡せ。少しくらいなら色を付けてやっても構わない」
ハスラー商人たちも綿花を持って帰ることが出来なければ、これから一年紡績機や織機を遊ばせることになるので譲歩案を出してきた。持ち帰る綿花は必要だと考えたのだろう。
「それならば…。まあどれだけ色を付けてくれるかによるが」
ハウザー商人が折れかけたところに見た事のある、眠そうな目をした少女が入ってきた。
「皆さん! ゴッダードのシュナイダー商店はクッションやマットレスの製造の為綿を購入したいのですよ。綿花市で売れ残った綿花が有れば買い取りますわ。羊毛用の梳綿機も持っておりますのでカーディング加工まで私ども商会で行いますから、綿花そのままでも買い取りますよー」
…エマ姉、勝手な事を。ハウザー商人たちに綿花を買わせないつもりだな。
「おい小娘! 鑑札も持たずに買い付けは出来ないぞ! 勝手な事をすれば…」
「あら、私は売れ残りを買い取るだけですよ。それに紡績加工に関わらないのだから鑑札は不要でしょう」
「詭弁じゃないか! そうやってワシらの上前を撥ねる心算じゃあないだろうな」
「あら、あくまで契約がされなかった売れ残りを購入すると言うだけですわよ。それは今迄でも同じじゃないですか」
「状況が違う。…今までと今年とではな」
今迄は買い手市場だった。
十把ひとからげの価格で設定された買取価格で、鑑札を持つ商人たちが品質の上から順に購入して行く。
当然売れ残った綿は買取価格を大きく下回る品質のものだ。
だが今年は違う。
その低品質の綿ばかりでハスラー商人たちが買い叩けば、契約は成立せず売れ残りとしてエマ姉に買い取られるのだ。
渋々ながらハスラー商人たちは買取価格を上げるが、それでも売買契約が成立したのは全体の半分しかなかった。
管理事務所で私と一緒にその様子を見ていたアーチボルト・オーヴェルニュは嘆息してポツリとこぼす。
「また、えげつない事を…。あれはセイラ様のお仲間でしょう」
「あの方はライトスミス商会の関係者ですよ。私が仕組んだ事じゃありません。それよりもオーヴェルニュ商会の方はどうなっているのですか」
「ウチは売れ行きは順調ですな。品質は落ちるが安い値段でそこそこの物が揃うと評判でね」
「その分、今回綿花市に併せて持ち込まれたハスラー製品が売れ残る事になっているのではなくって?」
「さあ、どうでしょう? しかしこれで多くの商人が、この先一年紡績も機織りも出来なくなる事でしょうな」
「そうなれば職人の首が飛びますよ。直ぐに本国で優秀な職人たちの囲い込みを始めた方が良いですよ」
「…それはどういう」
「当然、これから始まる絹織物製造にかかる熟練工を確保する為ですよ。糸が有ってもそれを折る職人がいなければそれ迄ですよ。特に手織りの職人は大切にしないと…。国境を越えて逃げてきたならアヴァロン商事が高給で雇い入れますからね」
【2】
綿花市が終わるころには、東部商人やハスラー商人は顔色を無くし議論する気力すら失っていた。
東部商人の一部は見切りをつけて帰った者もいた。
ヴェローニャのオークションの事は未だハウザー商人の口からは漏れていない。ハウザー側としても、ヴェローニャでの売れ残りの受け皿になるゴッダードの市場を手放したくないのだろう。
しかしここまで事態が悪化するとハスラー商人たちもハウザー王国で起こっている事に感づきつつ有る。
ここで私からクズ綿花を栽培するハウザー王国の農奴持ち領主や商人と、綿花市の利権を貪っていた東部商人やハスラー商人にまとめて引導を渡す事にした。
綿花市終了の翌日に市場を借り受けてアヴァロン商事の輸入物産の格安販売会を開くと、チラシと掲示板で告知していた。
北西部の物産が手に入る。
少しでも利益を上げたい商人たちは、荷馬車の空きに詰め込める商品を搔き集めたい。出来るなら自分の持ってきた商品と交換で買い入れがしたい。
そんな欲求が有ってほとんどの商人が翌日の競り市場に集まって来ていた。
「皆様、よくぞお越しくださいました。本日は私どもアヴァロン商事が取り扱う商品の販売会を執り行います。一般の市価の半額程度で購入いただけるものも多数用意しております。是非ご購入いただければ幸いでございます」
今日はアドルフィーネとリオニーを連れて綿花市にやって来た。
私の挨拶に商人たちが期待の目を向ける。
「一体何を販売していただけるのかな」
「物によっては価格交渉も出来るのでしょうな」
あちこちから期待と欲望の籠った声がかかる。
「もちろん価格交渉も長期契約もご相談に乗ります。先ずは品物を見てご判断下さい」
私の声と共にアヴァロン商事の商会員たちが荷駄を次々に運び入れて、幌を外して行くと会場中から驚愕の声が上がった。
荷駄に乗っているのは大量の綿糸、そして各種取り揃えられた綿生地。平織はもとよりデニム生地やフランネル生地、パイル地のタオルも大量に揃えてある。
何よりカマンベール領で織られた一枚物のカンバス生地は目玉である。
それだけでは無い。これらの生地や糸がハスラー聖公国内で売られている相場の七割から五割の価格の値札が掲げられている事に皆が衝撃を受けている。
そもそもゴッダードでは当たり前になっている、商品に値札を掲げる習慣自体が彼らには無い。
識字率の高い南部では黒板に値段を書いて表示することが当たり前になりつつあるが、西部や北部そしてハスラー聖公国でも価格は口頭で告げられるものだ。
運び込まれた物産と表示されてる価格を見て居並ぶ商人たちから罵声が上がった。
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