第72話 パルミジャーノ紡績組合(1)

【1】

 ライトスミス木工工房が織機を作れることをこれ以上公にするのは得策じゃあない。

 修理した織機も一部改造が施されて使い勝手は上がっている。

 その上完成品が作れると知られると王族や東部貴族にまで目を付けられる。


 レッジャーノ伯爵とは合意は出来ている。

 伯爵としても新品の織機を王家に接収されるような危険は冒したくないだろう。

 中古品二台を無理やり接収されたのだ。これ以上不利益は被りたくないだろうし、東部商人や貴族たちに利益を供与するつもりはサラサラ無いはずだ。


 レッジャーノ伯爵は領内や近隣領地の余剰リネンを使って、細々とリネン布を織ってライトスミス商会に供給してくれている。

 余剰とは言え州内全域の紡績を一手に引き受けているのだからそれなりの量にはなっている。ハウザーへの輸出価格は市価の二倍で取引される。これはレッジャーノ伯爵家にとっていい商売だ。


 その儲けは、紡績価格に一部上乗せされて領民へも還元しているそうで人気は上々だ。パルミジャーノ州の領主間で話し合いが成されており、近い将来州内の紡績はレッジャーノ伯爵が一手に担う事になるだろう。

 新規の紡績機の導入には資金が要る。今回のパルミジャーノ州の事業は各領主から出資を募ってパルミジャーノ紡績組合を立ち上げる事になった。所謂株式会社だ。


 その為のバランスシートもキャッシュフローも用意して、リカルド氏をゴッダードに呼んで二月余りかけてその内容を叩き込んだ。

 流通量が増える事により価格の低下が起こる事も理解させて、生産調整・価格調整の必要性も納得させた。

 これでこの世界では非常に先進的な共同出資組合が誕生する基礎が出来た。

 もうすでにレッジャーノ伯爵家からは成立を見越して紡績機の発注がかかっている。


【2】

 リカルド・レッジャーノには朋友と呼べる二人の友人がいた。

 彼らが今回の紡績組合立ち上げにおける中心人物たちだ。州内七領地のうち中核となる彼ら三領地は既にレッジャーノ伯の工場で紡績を始め収益を上げている。そのお陰でバランスシートやキャッシュフローの見方も習得しているの。


 彼らの声掛けで州内での紡績組合の設立が進んでいるのだが、現在合同で紡績を行っているのが、レッジャーノ領と隣接する二領地。積極的に参加を表明しているのが三領地、懐疑的なのが二領地で足並みはまだ揃っていない。

 特に州北部に位置するリコッタ伯爵家は組合設立も不満ならレッジャーノ家を中心にまとまることも不満で切り崩しに躍起になっている。


 リコッタ伯爵領はレッジャーノ伯爵領に次ぐ州内二番目の領地持ち、それに追従するウルダ子爵領、組合に参加を表明しているクルクワ男爵領はどちらもリコッタ伯爵の影響下にある。


 三家とも教導派で、特にリコッタ伯爵はコチコチの教導派で州内の司祭長を務めているのもリコッタ伯爵の叔父である。その為領民にも過酷で、格下の両家にも当たりがきつくクルクワ男爵家はそれを嫌って組合への参加姿勢を積極的に示している。


 ちなみに現在組合に参加表明をしているのはクルクワ男爵家以外は清貧派で、領内の信徒数も圧倒的に清貧派が多い。

そのクルクワ家も前国王に近い軍属であったことから、王都の教導派貴族からたびたび煮え湯を飲まされてきており、今の聖教会の幹部とは距離を置いている。

何よりクルクワ男爵の奥方はゴルゴンゾーラ公爵家の子飼いの子爵家の出でロンバモンティエ州の清貧派の才女だったそうだ。

 特にここ二年で聖教会教室と工房が普及し始めて清貧派の資金力は増えてきている。じり貧のリコッタ伯爵は自領で紡績を始めて利益を得ようと考えているのだ。少なくともクルクワ男爵家にとってはリコッタ伯爵家に紡績を依頼しても、権力をかさに買い叩かれるのは見えている。


 リカルドの朋友三人とは王立学校時代の同窓生であった隣接領地のロマーノ子爵家の長男ジョゼッペとクルクワ男爵家の長女マルゲリータである。

 特にクルクワ男爵家のマルゲリータは、彼女の母が前聖女ジョアンナと親しかったことで、教導派への不信が強くまた前聖女の影響で女性でも領民の為に政治・経済に積極的にかかわるべきだとの思想の持ち主だった。


 そのマルゲリータは、セイラ嬢の領地経営学にとても感銘を受けていた。

 そして、その母であるレイラ・カマンベール男爵令嬢を神のごとく尊敬している。何でも王立学校でも有名な才女だったらしい。

 会計士で公証人で経理士という肩書きを持つ女性として、当時は王都の貴族からは色々な侮蔑や嫌がらせを受けたと聞く。


 リカルドたちが入学した頃は、レイラ・カマンベールが卒業してから十年近くたっていたが、女子生徒の一部には憧れの存在として認識されていたらしい。

 平民の商家に嫁いだと聞いたが、その商家を南部一の商会にのし上げてこの怪物のごとき娘を教育したというのが、マルゲリータの認識だ。


 その認識が間違っているとは言えないが、ライトスミス商会は工房主のオスカーの商才と技術力がレイラの法務と経理の知識の後押しでうまく回っている、車の両輪のような関係に見える。

 そしてセイラ嬢については両親でも御しきれない生まれついての怪物だと思っている。

 まあ、憧れのレイラの事を熱く語るマルゲリータの前ではそんな事は言わないが。


 そしてそのマルゲリータは来年にはリコッタ伯爵家より婿を迎える事が内定している。リコッタ伯爵の弟でマルゲリータより十三も年上の男であるが、マルゲリータ本人は貴族の義務だと達観している。

 ただそれまでにこの事業を立ち上げたいと、婿に来るリコッタ家からの差し出口を排除できるだけの経済力をクルクワ家に付けておきたいと焦っている。


 クルクワ男爵は軍人で近衛騎士上がりの、領主としては凡庸な男だと思う。しかし己を知る男でも有り、領地経営は妻と娘に託してそれに従う事の出来る度量の持ち主でもある。

 今回の縁談は貴族間のしがらみで、聖教会や近衛騎士団からの圧力で結ばされた政略結婚の色合いが強く、男爵夫妻ももろ手を挙げて歓迎と言う訳でも無い。


 ここ一年紡績業で収益を上げているレッジャーノ家とロマーノ・マンチェゴの二家の状況を、リコッタ家の手前参加する事も出来ず指をくわえてみるしかなかったクルクワ家には忸怩たる思いが有る様だ。


 王宮に唯々諾々と従い旧態依然の領地経営しかできないリコッタ家から、これから来るであろう干渉を排除する一手としてクルクワ男爵家は紡績組合に是が非でも参入したいのである。


 半月後に控えるレッジャーノ紡績組合立上の話し合いの場は大波乱が予想される。今回議長役となるリカルドはそれを想像しただけでも胃が痛くなりそうだ。

 特にマルゲリータは自分の将来に直結する事案だけに引く気は一切ない様だ。

 そもそも学生時代から彼女を御せたことなど一度もない。それもジョゼッペと二人がかりででもだ。


 そしてそのマルゲリータ・クルクワの来訪を告げる先触れの声がパルミジャーノ家の城門に響き渡った。

 予定より十日も早い来訪である。

 男爵家の入れ込みようがわかろうというものだ。

 リカルドは暗澹たる思いで一行の出迎えに向かった。

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