第105話 北海の混乱(2)
【2】
呼び出したベラミー船長らに抱えられて連れて来られた海賊船の航海士は悲惨な有様だった。
右足は膝から下を無くし、左手も腱が切れたのだろうだらりと垂れ下がったままで動く気配もない。
頭には包帯が巻かれ額から頬にかけて一直線に刀傷が出来ている。その傷が通る右眼の上は瞼が切れて瞳は白濁して光が無い。
食事用のテーブルの前に置かれた長椅子にクッションが並べられ、航海士はそこに座らされた。
右わきに積み重ねられたクッションにもたれるように体を預けて虚ろな瞳でこちらを見ている。
周りの上級官僚たちも航海士の惨状に吐き気を堪えている。
「これは…、治療は済ませたといったな。本当に尋問は出来るのか? 明日にしても良いのではないのか?」
腰砕けの内務卿の言葉に被せるように宰相の声が響く。
「死ぬわけでは無いのだろう。意識もシッカリしておるのなら今すぐに尋問を始めよ」
「はい、私が尋問いたしましょう。内務卿、宜しいですね」
そう言ったカミユ女史の言葉には有無を言わせぬものがあり、内務卿はコクコクと頷くだけだった。
カロリーヌはどうにか耐えているがオズマは顔色を失いもう吐きそうになっている。宰相閣下に一言入れてオズマはメイドに預けて下がらせた。
カロリーヌは立場上も外すわけにはゆかないと残っているが、既に顔色は蒼白である。
「身分と生国と名前、それからあなたは航海士で間違い無いのでしょうね」
カミユ女史の声が淡々と響く。
「ああ、航海士で間違い無い。名前はポプコフ…カマルゴ・ポプコフ。ハッスル神聖国の準貴族だ」
「それで船長の名前は?」
「ヤン・ボルボサ。俺の船の船長だ。船団長はヴェラ・ボルボサ、ヤンの姉だそうだ」
「ボルボサか。ハッスル神聖国の枢機卿にボルボサ公爵家というのが有る。知らんか?」
フラミンゴ宰相が航海士に話しかける。
「知らんな。一介の海賊の航海士にそんな事を聞かれてもな」
「貴様! 宰相閣下に何という口の利き方だ!」
「国務卿様、今はその様な事を問う時間では御座いません。これは尋問で御座います」
「その官僚の姉ちゃんは解っているじゃねえか。ならこの待遇は準貴族に対する待遇じゃねえ。待遇の改善を要求する。人属の準貴族が平民の水夫と同じ部屋で転がされる謂れはないぜ。捕虜として待遇の改善を…」
「ふざけないで頂戴。何か勘違いをしていらっしゃるようだけれど、誰が捕虜ですって? 私たち黒シャチ号が拘束したのは逃げ出したタウルス号の船長以下五人だけよ。それ以外は収容していないわ」
私が言い放った言葉に怒りをにじませて反論してくる。
「ふっふざけるなよ! 現にここの倉庫に乗組員は収容されているじゃないか」
「それは準貴族に対して些か礼を欠く対応ではあるかな。どうだろう…」
「国務卿様、惑わされぬ様に。彼らは犯罪者です。身分の確認も取れておりません。御浅慮な発言は控えられますように」
カミユ女史がぴしゃりといい放つ。
「その通りです。ここにいるのは処刑されたはずの海賊船の船員です。…ねえ貴方、この意味お解り?」
「どう言う事だ? 俺たちは黒シャチ号の船長から治療と命の保証を貰ったたんだぞ」
「ええ、だからベラミー船長の約束通り信義に則ってその約束を履行している。ベラミー船長も最低限の治療と延命と言っていたでしょう」
「そっそれは船の中で出来ることは限られているからで、陸の上では…」
「ええ、だから治癒術士も派遣して死なない様に治療を施しているわ。だからと言って一般の傷病者のような厚遇を期待しない事ね」
「そういう事だ。法に照らしてまごう事無き海賊行為。即断で縛り首は通例だ。その上、書類上はダプラで全員処刑された事になっている。貴様らはこの世に存在しないのだよ。命を惜しむならそこの娘の言葉に従っておくべきだろうな。なあ、セイラ・カンボゾーラ」
なにも厭味ったらしく私に振る事は無いだろう、宰相閣下。
国務卿と内務卿は恐ろしいものを見るように私の顔を見て眉を顰める。
「別にわしらは直接手を下さずとも、国民を保護したと言ってハッスル神聖国に貴様らを引き渡して恩を売っても構わん。その後どうなるかは知らんがな」
宰相閣下は畳みかけてくる。
「何よりわしの知りたいのは、船団長と船長の姉弟の事だ。貴様も準貴族だったというなら奴らの側付き武官か何かだったのではないのか? 奴らの悪事に手を貸したのだろう。噂ではボルボサ公爵家の反吐が出そうな悪行は耳に入ってきている。枢機卿の権力を笠に信徒にまで手を出して殺しているとかな。かつて南方で滅んだバトリー大公家と双璧を成す様な所業だと聞いたが?」
バトリーと言えばメリージャのサイコパス大司祭の取り潰された実家じゃないか。
それと双璧を成すって、ハッスル神聖国は農奴はいるが人属の国で獣人属は殆んどいない。
という事は獣人属差別というだけではなく、聖職者の国で快楽殺人に一族で手を染めているというのか?
諦めたのだろう、ポプコフ航海士はポツリポツリと話始めた。
ヴィラとヤンの姉弟は十代の初めからその行状は酷かったそうだ。そもそもボルボサ公爵家がいつも血の匂いが漂っている様な邸宅で、使用人たちに対する扱いも凄惨なものだったそうだ。
そのなかでもヴィラとヤンは異常さが群を抜いており、神学校時代に他家の使用人はおろか、抗議に来た下級貴族さえも手にかけて放校扱いにされたのだ。
辺境の領地を与えられて十数年、そこで領民にたいして虐待と虐殺の限りを尽くしていたと言う。
ポプコフはそこで武官として人狩りや農奴の捕縛をしていたそうだ。
もうその時点でこの男もアウトだと思うがね。
それが昨年教皇家が北部航路の利権を得るために暗躍をはじめ、それに便乗してボルボサ公爵家は農奴を得ようと企んだ。
その結果が今回の海賊船事件だ。
その為、鬼子扱いだったヴェラとヤンを使ってダプラ王国から獣人属の女子供を大量に攫ってハッスル神聖国に連れ帰る事を画策した。
その後にギリア王国がハッスル神聖国の後ろ盾を得てダプラ王国に進軍し、各漁村を殲滅して自国の領地に加える。
予定では三つの漁村を全て手中に収めて既成事実を盾にガレ王国をはじめとする聖教会を国教にする諸国に譲歩を迫る予定だった。
当然それ以降はダプラ王国はハッスル神聖国の農奴の狩場に変容する。
尚且つ北海東部の貿易航路はハッスル神聖国を中心とするアジアーゴ、ハッスル、ギリアの三角貿易で利益を独占する腹積もりだったのも間違いない。
カミユ女史と私の尋問に時折宰相閣下が口を挟むという流れで尋問は進んで行った。
他の高級官僚や国務卿や内務卿は話の流れについて行けず、青い顔で頷くだけだ。
折角用意したカキフライも冷めてしまう。
私や宰相閣下が尋問を進めながらバクバクとカキフライを頬張っているのを恨めし気に見ているだけだ。
食べれば良いのに。
「セイラ様、そろそろこの男も休ませねばなりません。尋問の続きは明日以降で詳細を聞いて行きませんか?」
一緒について来た治癒術士がストップをかけた。
「うむ、そろそろ潮時か。概要は掴めた。書記官は今の尋問内容を早急にまとめるように! 続いてタウロス号の乗組員の尋問に移ろうか」
濃いコーヒーを一気に煽ると宰相閣下は尋問の継続を宣言した。
このオヤジパワーあるなあ。
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