第56話 王都大聖堂(3)

【5】

 王都大聖堂の反論発表に対して、ジャンヌからは治癒贖罪符により貶められた聖女ジョアンナや治癒修道者、そして市井の治癒術士の名誉回復と原罪と治癒施術が治癒贖罪符等で贖えるものでは無い事を認めよと声明を出し、治癒贖罪符の販売を止めよと要求してその後は口を噤んだ。


 王都大聖堂はまたもだんまりを決め込んだが、こちらの意図は察したようで過激な反論や教導騎士団を動員した威嚇行為はなくなった。

 また細々とでは在るがライ麦パンの配給も始めた。


 市民はその配給が彼らの勝利だと判断して先鋭化していた一部の市民もその矛先を収めた。

 そして事態は現状維持で推移してゆくのだろうと思われた。


「最近シェブリ伯爵令嬢様が北部の村を回って慈善活動をなさっているって聞いたよ」

 情報通のフラン・ド・モンブリゾン男爵令嬢がどこから聞いたのかうわさ話を持ってファナ・ロックフォール侯爵令嬢のお茶会にやってきた。

「ねえロレインさん、シェブリ伯爵家にアントワネット以外の令嬢はいるの?」

「妾も多くいるのでご令嬢はいらっしゃるでしょう。でも予科でも卒業生でもシェブリ姓を名乗っておられるのはアントワネット様しかいらっしょらないのでは無いでしょうか」

 長年シェブリ伯爵領の隣で苦労してきたロレイン・モルビエ子爵令嬢はそのあたりのこともよく知っている。


 正式に養女として引き取られているのはアントワネット・シェブリだけだという事なのだろう。

 ならば愛人の子供か外戚の娘なのか?

「あのアントワネット・シェブリ様だと聞いたよ。ジャンヌ様の言う通りで、きっと心を入れ替えたんだ」

 一緒にいた南部のリナ・マリボー男爵令嬢も納得したようにうなづいている。


「そんなわけ無いじゃないの、あの性悪女の性根は絶対に変わらないわ」

 マリオン・レ・クリュ男爵令嬢にとっては長年下級貴族として虐げられてきた家でもあり、アントワネット本人からも嫌がらせを受け続けた経緯も在る。


「フランさん、悪いけれど私もそう思います。あの方をご存知ならば誰もそんな話信じませんよ」

「影で色々と策動して、上級貴族ですらて使い潰して死なせるようなことを企む女なんて信じられるわけ無いわ」

 ロレインと私の言葉にフランは驚いた顔をした。


「うわー! 北部の三人は辛辣だねえ。そんなに嫌われてるの?」

「当然でしょう。フランだってクロエ義従姉おねえ様の事件で、あの女が何をしたか忘れたわけじゃないでしょう」


「それはまあそうなんだけれど…」

「人間の本質なんてそうそう変わるものではないのだわ。平民階級など、それこそ農民なんて人とも思っていないような女なのだわ。なんの利益もなく平民に慈悲を垂れるような女ではないのだわ」

「そうですわ。三年前の旧ライオル伯爵領の事件でも裏で画策して多数の領民を殺したのはシェブリ伯爵家ですもの。北西部の貴族はあの伯爵家に遺恨しかありませんわ」

 エレン・サムソー子爵令嬢はアントワネットと直接の面識は無いが、シェブリ伯爵家に対する有り余る嫌悪感があるようだ。


「その噂が事実なら、シェブリ伯爵家の縁続きの女性か親族ね。本当にアントワネットだったらなにか裏がありそうだわ」


「それなのですが、どうもアントワネット・シェブリ様のようなのです。昨年の暮あたりからあの方が北部教導派の各領地を回っていらっしゃるようでして…」

 それまで黙って聞いていたオズマがおずおずと口を開いた。

「そうなのですか? 私もセイラさんたちと同じでにわかには信じがたいのですが、本当に心を入れ替えたという可能性もあるかもしれませんから。オズマさん、詳しいことはわかりませんか?」


「ジャンヌちゃん、甘いわよ。そんな期待を持っていると先物相場でも大損をする羽目になるわよ」

「…先物相場は関係ないと思いますが。でもエマさんの仰るとおりで私もただの人気取りだと思います。御存知の通りオーブラック商会はかつて北部教導派領との取引がメインでシェブリ伯爵家の子飼いでしたからその御蔭でひどい目にあっておりますし」

 オズマは辛そうにそう言うと話を続けた。


「商会員の耳に入ってきている話では、奴隷商人に売られかけた農民の子の借金を肩代わりしたとか、年貢を収められなかった農夫に税金を建て替えたとか、飢えた村で燕麦を配ったとか…大げさに広められている割には大した慈善でもなくただの人気取りだとしか思えません。清貧派の炊き出しのような規模ではなく、村の一人か二人に慈悲を垂れるとか、村の一食分のライ麦パンを配る程度のことを針小棒大に語らせているような」

 オズマもアントワネット・シェブリには辛辣なようだ。


「それでも知らぬ人間は表面上の行為を以てアントワネット様を称えるものも出てきております。平民寮でも話題に登ることが最近はあります」

「それじゃあ、オズマの言うように人気取りだって否定しなきゃ!」

 フランが短絡的に行動に移そうとする。


「それは悪手ね。そんな事私達が言えば教導派に嫉妬しているように思われて反対にこちらの評判を悪くするわ。ねえジャンヌさんそう思うでしょう」

「ええ、私は黙って静観している方がいいと思います。目的はどうあれ慈悲の行為では在るのですから、行わない善行より行う偽善のほうが優れていると思うのです」


「それならばジャンヌさんは静観するより何か言われれば褒めるほうが良いわ。小さな善行でも行えば救われる人がいる、とかなんとか言って褒めながらも行為の小ささをそれとなく強調して頂戴。クラスでもその話題が上がれば私がアントワネットを馬鹿にするからジャンヌさんは私のことを叱ってほしい」

「それで良いのですか? セイラさんが悪者になりますよ」

「私があの女を褒めても誰も信用しないわよ」


 私の言葉にお茶会のみんなからも笑い声が漏れた。

「それはそうね。セイラさんがジョバンニ一派を褒めるなんてしたなら絶対に裏があるとみんな疑うに決まっていますもの」

 レーネ・サレール子爵令嬢もそう言うが、彼女だってクラスではジョバンニ嫌いの筆頭ではないのか?


「みんなは各クラスで私が安い偽善だと言った悪口を、ジャンヌさんがたしなめて小さな善行でもするとしないでは大きく違う褒めていたと答えて頂戴」

「面白いわね。セイラちゃんとジャンヌちゃんの会話でアントワネットの善行を殊更に小さく見せるということなのね」

 エマ姉はそう言いながら、なにか企んでいるのだろう。ニヤリと笑うその顔がそう言っているのだ。

 ここから教皇派閥との前哨戦が始まった。

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