第189話 王女殿下(1)

【1】

 夕食の前には早くもメリージャからもメイドが派遣されてきた。

 一人は鳥獣人のミアベッラと言う小柄な少女で、元々ドミンゴ司祭の村で暮らしていたのだが、二年前にメリージャのセイラカフェに修行に出たそうだ。

 村にいる時から数学に親しんでおり、今でも数学の研鑽は怠らないと胸を張る彼女は、あちらの聖教会の内情もドミンゴ司祭から教育されているとの事だ。


「セイラお嬢様ご無沙汰しております」

 優雅にカーテシをして私に挨拶をするもう一人は犬獣人の少女、シャルロットだった。

 私は慌ててコルデー氏の顔を見た。

「良いの、シャルロットで? あなたの大嫌いな貴族の神学校に行くんだよ! ねえコルデー」

「ええ勿論、家族三人で話して納得しています。シャルロットには法務関係の知識はシッカリと教えています。宮廷作法もハウザー王国の貴族の知識もシッカリと詰め込んでいます。何よりハウザー王国のセイラカフェメイドの中では、お嬢様の一番信頼が厚いメイドの一人と自負していますが」


「当然アドルフィーネたちの愛弟子で、メリージャの最古参ですもの。王女殿下のメイドには打って付けだけれど…」

 さすがにコルデー氏の人選に間違いはない。アンヌ、マリー、シャルロットの三人なら、誰でもメイドも四人の留学生も上手くまとめる力量は有るだろう。

 しかし危険な任務でもある。敵地に人質として送られるも同然の四人の令嬢の側仕えなのだから。


 こんな任務に他人の子を出す訳には行かないと思ったコルデー氏の心情は理解できる。

 家族三人でその覚悟も決めたのだろう。私から依頼しておいて彼らの決意に口を挟むのは不遜だ。

「ありがとう。それから、カロラインさんにもお礼を言っておいて…。シャルロット、貴女はリーダーとしてミアベッラやウルスラやベルナルダと揃って、四人の令嬢をお守りして帰って来れるように努力する事。それに事前に言っておくわ。王女殿下はもとより三人の令嬢も現実も常識も解っていない子供です。しっかりと指導してあげて頂戴。気を使う事はありませんよ。四人の命に係わる事になりかねないのですから」


「あなた達に言っておくのだわ。もし王女殿下たちに何かあっても、あなた達メイドはロックフォール侯爵家が全力で助け出すのだわ。サンペドロ辺境伯家もあなた達の後ろ盾についてくれるはずなのだわ。私達は実の娘を売り渡すよな教導派貴族とは違うと思って、しっかり働くのだわ」


「それでは夕食に参りましょう。そこで王女殿下たちにもあなた達を紹介してご挨拶をお願い致しますね」

 私とファナに続いてシャルロットとミアベッラが就き従って食堂に向かった。


【2】

 食堂に赴くと王女殿下たちがゴーダー子爵夫妻と歓談していた。

「初めていただきましたが、マドレーヌと言うお菓子はとても美味しゅうございましたわ。それに生クリームを塗ったスコーンも気に入りました」

 王女殿下は甘いお菓子がお気に入りのようだ。


「コーヒーは南方の苦いだけの飲み物だと思っていましたけれど、ああして冷やしてシロップとクリームで甘くまろやかにすれば、あんなに飲みやすくなるなんて」

 ルクレッツア嬢もアイスオーレが気に入ったようだ。

「あのマドレーヌは東部商人から買う物や、セイラカフェで出てくる物とは味が違う様な…」

 アマトリーチェ嬢がポツリと言う。


「よく判ったのだわ。私のシェフに焼かせたものなのだわ。セイラカフェは当然だけれどハバリー亭でも出さないずっと上のランク焼き菓子なのだわ」

 突然入ってきて口を開くファナに三人の令嬢が振り返った。

 ファナは食事が褒められると機嫌がよくなり饒舌になるのだ。

 いつもの面白くなさそうな表情は変わらないけれど、一年間付き合っていると喜んでいる事が何となくわかる。


 そんな会話を一切無視してシモネッタ嬢の眼は、テーブルに並ぶ前菜に釘付けになっている。

 まるでお預けを喰らった犬のような表情で一言も発していないし、会話も聞いていない、私たちが入って来た事にも気づいていないようだ。


「皆様、お待たせいたしました。メリージャから派遣されてまいりました二人のメイドをご紹介いたしますわ」

 シャルロットとミアベッラが挨拶と自己紹介を済ませると、給仕の為に王女たちの後ろについた。


 私たちが席について、ファナが頷くと夕食会が始まる。

 シモネッタ嬢の後ろに待機していたウルスラが、彼女の耳元で前菜の取り分けの希望を聞く。

「あの薔薇みたいな肉が良いっす。それからこちらの黄色い花みたいな卵の乗ったパンとフライみたいなのにも卵のソースをいっぱいつけて欲しいっす。それと…」

 どうもウルスラの合図まで”待て”を喰らっていたみたいだ。


「シモネッタ様、あまり前菜を食べ過ぎるとメインディッシュが入りませんよ。明日も明後日も有りますから前菜は少なめで」

「うっす。じゃあ今日はそれだけで我慢するっす」

「それでは、このナイフとフォークをお使いくださいませ」

 もうウルスラの教育は始まっている様だ。


「王女殿下、これから神学校に向かわれるのですが、当然四人は聖職者では御座いません。ただ王女殿下以外は聖職者の家系ですが、その事はもう口外しないで下さい。何より福音派聖教会は教導派の聖職者を国内に入れることを認めておりませんから」


「しかし私は枢機卿の娘で現教皇の孫ですわ」

 ルクレッツアが少し険のある声で言い返してきた。

「存じておりますが、お控えください。それだけで命はとられないでしょうが、強制退去ならまだしも、帰国するまで監禁や投獄の可能性は十分にあります。福音派信徒が教導派信徒と接触する事を嫌う国ですから」


 その言葉でルクレッツアは真っ青になった。

「それでは私どもお付きの貴族令嬢と言う事で良いのですね。でもあの教導騎士様は如何なされるのですか」

 アマトリーチェが落ち着いて答える。

「彼には聖堂騎士の見習いとして入国させます。皆様の護衛と交渉役としてこちらで清貧派の聖導女と聖堂騎士を人選いたします」


「清貧派!? 私は教皇猊下の孫で…」

「ルクレッツア様、その肩書きはお捨て下さい。その教皇猊下やお父上の枢機卿様はあなた方に何をしてくれているのですか? 今はあちらに行っても身を守る事だけをお考え下さい。あなた方が頼りに出来るのはこの四人のメイドとこれから人選する清貧派聖導女と騎士だけとなるのですから」


「あっ…、ああ…。でも…。あちらに着けばなんとか…」

 そう言いながらルクレッツアは涙をこぼした。

「ハウザー王国内では教導派の力は一切通じません。でも清貧派の信徒はハウザー王国にもいます。人属は福音派ばかりですが、獣人属の平民たちには清貧派は多いのです。貴族にも清貧派に協力的な獣人属は多くいます。ハウザー王国では上級貴族と人属には気を許してはなりません」

 まあ、上級貴族にも清貧派に協力的なサンペドロ辺境伯のシンパがいるようだが、今は伏せておこう。


「まるで教導派の教義とは相容れぬ者ばかりでは有りませんか」

「その国に王女殿下は向かわれるのです。今この国にいる間に誰が信用できて誰が不実か見極めて下さいまし」

「王女殿下、ルクレッツア様。今この場で申し上げておきます。私は義父のアラビアータ枢機卿もアラビアータ伯爵家も見限りました。こうして助けていただけるのなら、ファナ・ロックフォール様、セイラ・カンボゾーラ様、あなた方にすべてを委ねます。メイド達を通して連絡を取る事は可能ですよね」

 アマトリーチェが宣言する。


「少なくともここに居らっしゃる方々から、実家に会話が漏れる事は無いと思いますのでお聞きいたします。ポワトー女伯爵カウンテスの後ろ盾になっておられるのはお二人なのでしょう。裏で絵を描いたのはセイラ・カンボゾーラ様だと伯父より漏れ聞きました」

 他の三人はともかくこのアマトリーチェという娘は色々と情報を仕入れている様だ。

 ファナが楽しそうに笑う。彼女が笑う時は何か企んでいる時なのだ。

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