第180話 教皇派の怒り

【1】

「今回の王妃殿下の所業はさすがに容認できませんぞ!」

 近衛騎士団副団長のエポワス伯爵が吐き出すように怒鳴る。

「よくもまあ、あの様な搦手を思いついたものだ。我等から利益を奪った上に清貧派の利権迄取り上げてしまうとは。これはあの世間知らずの王妃殿下の考えではあるまい」

 モン・ドール侯爵も忌々しそうにそう言った。


 今回の窮民救済法の施行について、急遽招集された派閥の打ち合わせである。

 モン・ドール侯爵を筆頭にペスカトーレ枢機卿、シェブリ伯爵、マンスール伯爵、ショーム伯爵、エポワス伯爵と言ったハッスル神聖国に繋がる教皇派の…所謂親国王派閥の集まりである。


 もともとハスラー聖公国との同盟の為の政略結婚である今の王妃殿下と国王陛下の夫婦仲は良くない。

 五歳のころから婚約していながら婚姻の日まで顔すら合わせたことの無いこの二人に愛情など有るはずもない。

 特に王妃殿下は経済的にも技術的にも優位に立つハスラー聖公国の大公家次女であり、プライドも高くラスカル王国自体を見下しているのだから国王陛下と上手く行くはずもない。


 また国王陛下も幼い頃から仲の良かったモン・ドール侯爵家のマリエッタ夫人との間に一男四女をもうけている。

 そしてその後ろ盾は先代国王擁立に功の有ったモン・ドール侯爵家とペスカトーレ侯爵家を中心とするハッスル神聖国寄りの有力貴族である。

 特にペスカトーレ侯爵家は聖女ジョアンナの治癒魔法とラスカル王国の当時の国王の力を背景に教皇の地位を手にした。


 宮廷内では同じ教導派でありながらハッスル神聖国とハスラー聖公国の代理戦争が始まっている。

 当然教皇派の大貴族は次期国王にマリエッタ夫人の子、リチャード第一王子の擁立を企んでいる。

 しかし正妃であるマリエル王妃殿下の唯一の子、ジョン第二王子殿下が居る限り正当な継承権は移る事が無い。


 その上教導派同士で内紛を起こせば、先々代の国王の直系であるゴルゴンゾーラ公爵家やハウザー王国とつながりの深いロックフォール侯爵家や清貧派筆頭のボードレール伯爵家という、清貧派の反王室勢力に足を掬われる事になる。


 その微妙な権力バランスを縫っての今回の処置である。

 外国出身でラスカル王国の宮廷貴族や領主貴族の関係に疎い王妃殿下では、その調整は難しくこんな策謀が出来る様な性格でもない。

 裏で糸を引いたものが居るに違いないのだ。


「一体だれが王妃殿下にこんなことを吹き込んだのだ?」

「それが、どうもジョン殿下が裏で動いているようなのだ」

 娘のユリシアから聞いた話だと断りを入れてマンスール伯爵が話し出した。


 ジョン第二王子殿下は以前から聖女ジャンヌを自陣営に引き入れようと画策していたらしい。

 それが夏に入った頃からフラミンゴ宰相の息子やシュトレーゼ魔導師長の息子と共に、聖女ジャンヌを伴って放課後に学校を抜け出して何か始めていたそうだ。


 聖女ジャンヌの悲願は救貧院の廃止である。

 それをエサにジャンヌに南部貴族の説得と懐柔の工作をさせたのだろう。

 政治に疎い愚かな聖女を上手く丸め込んだのだろう。思ったより強かな王子だ。


 それに法案をまとめ上げたと言うフラミンゴ宰相の息子もだ。細部については官僚が関わったのであろうが素案を持ってきたのは宰相の息子だと聞いている。

 もちろん宮廷魔導士長の息子も関わっているのだろうが、それがジョン王子殿下の側近としてこの先も付き従うとなるとこの先も厄介な事になる。


「しかしこんな事を通せば、先々海上貿易で荷揚げ荷下ろしの人手を賄えなくなるのだぞ。フラミンゴ伯爵やシュトレーゼ伯爵は東部国境の陸路での通商路を持っているが、ハスラー聖公国との取引は商船による取引が六割を占めるのだぞ。結局己が首を絞める事になるのではないのか」

 ペスカトーレ枢機卿が顰め面で言う。


「それがそうでもないのですよ。シャピの街で活動を始めた商会が有るのですよ。王国海上貨物株式組合と言って起重機を幾台も抱えた船舶荷役専門の組織が立ち上がっているのですよ」

 シェブリ伯爵が新しく仕入れた情報を披露する。

「起重機を持った船舶荷役組織?」

「今、株式組合と申さなかったか?」

「それはもしかして…。北西部か南部の商会がシャピに入り込んでいると言う事か!」


「それがそうでは無いのですよ。大本はオーブラック商会なのですよ。以前我が家で命じたカマンベール子爵領の鉱山開発で使用した起重機を買い取って創業した株式組合なのですが…」

「あの無礼な商会か。眼をかけて贔屓にしてやったのに恩をあだで返しよって。我が州からは追放してやったがな。」

 モン・ドール侯爵もオーブラック商会と縁を切ったようだ。

 それで資金繰りが厳しくなって鉱山開発から手を引き資材を売り払ったのだろう。骨までしゃぶり尽くしておいて贔屓にしやったとは恐れ入る。

 計画通りオーブラック商会は切り時だったようだが、その残りかすが王妃殿下の派閥に流れたのは計算外だった。


「その様な組合は我がアジアーゴの港には一歩も入れん。王妃殿下はハスラー聖公国から一番近い港が何処なのかお忘れのようだ」

 ペスカトーレ枢機卿が憎々しげに言い放った。

 港が近かろうが遠かろうが儲けが上がらなければ、商船団は利益の上がる港に移動するだけだろう。

 そこが解っていないようだとシェブリ伯爵は思いつつもそれを口には出さない。問題はそこでは無いのだ。


「商船団も皆との取引も今は関係ありません。問題はその株式組合に誰が資金を出しているかなのです」

「と言う事は、あの女伯爵カウンテスか」

「半分正解です。ポワトー伯爵家は専用埠頭や倉庫やらを出資金代わりに供与しているのですが、株式組合に出資しているのは王家やフラミンゴ伯爵家そして宮廷魔導士団の貴族やストロガノフ子爵家の息のかかった近衛騎士団の貴族なのです」


「何と言う事だ。あの王妃殿下たちに絡め取られていたとはな」

「絡め取られているという言い方も語弊が有ります。経営に名を連ねているのがジョン王子を筆頭にフラミンゴ伯爵令息、シュトレーゼ伯爵令息、ストロガノフ子爵令息と続けばご理解いただけるでしょう」

「…いったいどういう事なのだ! 皆、王立生徒ではないか」

 ショーム伯爵が驚きの声を上げる。娘のクラウディアの同級生ばかりではないか。


「いったい株式組合とは何なのだ!」

「どうも多数の貴族や商人から出資金を募り新規事業を始めるやり方らしいですな。場合によっては出資金の名目で潰れかけた商会の経営を引き継ぐような事もしておるようです。ですから王国海上貨物株式組合はジョン王子殿下たちが出資して作った組織と言う事でしょう」

「では我々は王立学校の学生如きに踊らされているのか?」


「影の首魁がジョン王子殿下なのかポワトー女伯爵カウンテスなのか判りませんが、彼らがオーブラック商会を買い取って動いているのは確かでしょうな」

「しかし学生たちが経営などと…、そう言えばポワトー女伯爵カウンテスも同級生であったな。もしやあのお家騒動もジョン王子の…」

「成功すればジョン王子の名前に箔がつく、失敗しても学生の気概を示したと言えば大きな傷にはならない。よく考えたものですな。大損が出そうなら親の王妃殿下たちが放って置きはしまいしな」

「侮れん! 我が甥のリチャード王子殿下を擁立する為に何か手は無いのか!」

 モン・ドール侯爵の口から洩れた言葉は、ここに集う物全員の偽らざる気持であった。


「そうれならばどうだろうか。この際毒を喰らってみるのも一興ですぞ。今回の救貧院の件、南部も煮え湯を飲まされておるのならロックフォール侯爵家に恩を売っておくのも方法では御座いませんか?」

 ペスカトーレ枢機卿が邪悪な笑みを湛えながら話し出した。

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