第93話 ゴルゴンゾーラ公爵家(1)

【1】

 私はヨアンナの提案に乗って今後アヴァロン州での公爵家との商談について考えていると事務所へ大勢の足音がして扉が開かれた。

「お嬢さま失礼いたします。お客様がお見えです」

 グリンダの声で扉の向こうを見るとレッジャーノ伯領が破顔して手を振っている。

「紹介しよう皆さま。この娘がライトスミス商会の商会主セイラ殿だ。あのフラミンゴ伯爵が一目置いておるのだよ」

 そう言って二人の貴族らしき人物を伴って入ってきた。その後ろからつかれた顔の父ちゃんがついて入って来る。


「暴利を貪っている宰相殿からむしり取ったとか言っていましたがそれがこの娘ですか」

「そうそう、レッジャーノ領が金貨二十枚で購入した織機をあの強欲宰相に金貨三十五枚で売りつけたとか。痛快な話では無いか」

 後ろの二人の貴族が楽しそうに話している。


「お客様それは違います。宰相様に納めた品は緻密な彫刻も施して、高価な香木も使用致し父が精魂込めて造りました物で御座います。ハスラーの織機など及ぶ事の決して無い逸品で御座いますよ。金貨三十五枚以上の仕事はしております」


「機を織るには不要でも見栄を張るには十分な出来であったと、ワハハハハ。セイラ殿初めてお目にかかる。俺はアヴァロン州の州都クオーネ周辺を治めているフィリップ・ゴルゴンゾーラと申す。そしてこちらがサレール子爵閣下だ」

「こっ公爵様…。勿体のう御座います」

「ハハハ、俺は公爵ではないぞ。弟だ。それも四男なので継承順位も有ってないような物だ」


「先ほどゴルゴンゾーラの姫様とお話をいたしました。この地で行ているアバカス教室にご興味を持たれたようで…、出来れば権限のある方とお話をいたしたく」

「わかった。領内の内政は俺が取り仕切っている。今から時間を取ってやろう。俺たちは明後日まで滞在予定だが姪は我慢が出来ない性分なのでな。何を企んでおるのか訊いておこうか」


 最近、内装をやり直した事務所には大きな応接室が作られている。全員でそちらに移動して、カフェにお茶と軽食を注文する。

 ゴルゴンゾーラ卿とサレール子爵そしてレッジャーノ伯爵の三人は私を囲むようにテーブルの上座と左右に座った。

 私は父ちゃんと並んで座り、グリンダが私の後ろに控えている。


 下のセイラカフェからメイド達がしずしずと上がって来る。先頭は大きなトレイにティーポットと茶器を掲げたナデテが、その後ろに銀のケーキスタンドにパイやブリオッシュを乗せたナデタが続く。

 そしてサンドウィッチとスコーンやホットケーキの載った大きなトレイを持ったルイーズと銀のカトラリーのバスケットと取り皿の載ったトレイを掲げたミシェルが上がってきた。


「新しい趣向でございます。私どもはこれをアフタヌーンティータイムと仮に名付けました」

 グリンダが説明しながらポットカバーを外し茶器にお茶を注いで行く。

「午後に飲む茶だからアフタヌーンティータイムか? 少し安直ではないか」

 ゴルゴンゾーラ卿が疑問を呈する。

「いえ、午後に軽い食事や甘味とお茶を楽しみながら歓談するこの時間をそう呼称しようと考えております」


「ふむ、小さな茶会という趣向じゃな。わしは中々洒落ておると思うぞ」

 レッジャーノ伯爵がティーカップを受け取りながら言う。

「そうですな。正式なお茶会では無いがメニューは豊富で、色々楽しめる様にどれも小振りにして有るのですな」

「ああそうだな。女子供が、特に貴族のご婦人層が喜びそうだ」


 ゴルゴンゾーラ卿はそう言うとローストビーフのサンドイッチを手に取り一口頬張る。

「ファナセイラと言ったか、ロックフォール侯爵のご息女が作らせたと聞いたが、これも其方が一枚噛んでおるのか?」

「いえ、これはロックフォール侯爵家のお茶会で初めて出されたファナ様のレシピでございます」

「呆けた事を申すでないわ。其方の名が入って、侯爵家に咎め立てもされずに店の看板料理にしておる癖に白々しい」

 存外にこの弟殿は口が悪いようだ。


「それよりもこの料理よ。ファナセイラやリンゴと栗のパイは食べ慣れているがこちらのパンは大分違うようだな」

 ゴルゴンゾーラ卿はブリオッシュを手に取りちぎると口に放り込んだ。

「それは水の代わりに玉子とミルクを使って焼かせたものでございます」

「ほう、贅沢なものだな。バターもふんだんに使っているようじゃな。そう簡単に種を明かして良いのか」

「ええ一つ位は皆さまにお土産をと思いまして」

「と言う事は未だ色々と有ると言う事だな。喰えん娘だな、なあオスカー其の方にも手に余るのではないか」


「そんな事は有りませんよ。そういう時は一発殴って、それでも駄目なら女房の所に半日放り込んでおけば萎れて出てきまさぁ」

「そうか、やはり奥方が一番強いのか。やはり当分は妻を娶るのは考えた方が良いな」

 ゴルゴンゾーラ卿は陽気に笑うと父ちゃんの肩を叩いて次のトレイに目を向ける。


「と言う事はこのトレイが本命の様だな」

「お取り致しましょう」

 グリンダが取り皿にホットケーキとスコーンをひとつづつ取り分ける。そして皿の隅に生クリームやジャムやバターを載せてゴルゴンゾーラ卿の前に置いた。

 他の四人のメイド達も同様に取り分けた皿を全員の前に置く。

 ナデテとナデタがレッジャーノ伯爵とサレール子爵に、ルイーズは私に一番小さいミシェルは父ちゃんの給仕に付いた。


「ほう、これは少し硬いようだな」

 サレール子爵がスコーンを指でつまみながら言う。

「はい、これはこの様に二つに割って、このようにナイフでジャムでもバターでもお好きなものを塗って召し上がってください。甘いものがお好きなら蜂蜜を垂らして召し上がって頂いても構いませんわ」

 そう告げると私は手前に置かれた陶器のミルクピッチャーに入れた蜂蜜を残り半分のスコーンに垂らす。


 貴族たち三人もそれに倣って各々が食べ始めた。

「蜂蜜を垂らすと手で摘まんでは食べ難いのう。やはりナイフとフォークじゃな」

 レッジャーノ伯爵は甘党のようだ。

「こちらとこちらでは似ているが味も硬さも違うな。やはりレシピも違うのか?」

 サレール子爵は熱心にスコーンとビスケットを食べ比べている。

「さっくりとして美味いな。バターとハムやチーズを載せても良いのではないか」

 ゴルゴンゾーラ卿にも好評だ。


「そうか。このさっくりしているがパイでもない堅パンでもない食感が秘密なのだね。右と左でレシピも違うのだろうが軽食にもデザートにもなりそうだ」

「はい。右をスコーン、左をビスケットと名付けました」

 この世界にはまだベーキングパウダーは発明されていない。

 ただその代用になる物は大昔から存在している。もちろん食品に使用しているが、もっぱら灰汁抜きや臭み取りに使われている。

 そう、重曹である。


「そう言えば、パルメザンのセイラカフェではカツレツが評判じゃが、あれも同じ物がレシピに入っているのか? あのカツレツはサクッとしてカラっとして料理人達も真似できぬと申しておったぞ」

 ブー。残念、不正解。あれは生パン粉だ。生パン粉は日本独特のパン粉で欧米でも普通にPANKOと呼ばれて売られている。

「残念ながら、違います。そちらのカツレツもレシピは秘密ですので、これ以上はご容赦願います」


「ふふふ、そこまで申すとなると我が領内のクオーネにも支店を出す目論見なのだな。それがこの料理か」

「半分正解でございます。初めに申しましたよ。この小さなお茶会をクオーネのセイラカフェの売りにしとう御座います」


 ゴルゴンゾーラ卿の顔から笑みが消える。

「其方、何を考えておる。それはもう庶民が集う店では無くなるぞ。俺の領地だ、何を画策するつもりなのだ」

 やはり大領地を統べる内政官を自認するだけの事はある。鋭い人だ。侮れない。


「申し上げます。ゴルゴンゾーラ公爵家と言えば王国内では一番に格式高い家柄。王家に次ぎ権威のある貴族様でございます。そして私たち清貧派にとっては庇護者でもあられる」

「それは追従ついしょうか? そんなものは不要だぞ」

「本心で申しております。父と母から先々代の王の偉業を幼いころから教えられました。ハスラー王国と融和を図り人属と獣人属の垣根を取り払おうとしたと。公爵家はその遺志を継いでいると教えられましたが間違いなのでしょうか」


 ゴルゴンゾーラ卿は鼻息も荒く、ソファーに深々と座って背もたれに頭を持たせかけると暫く沈黙したのちに口を開いた。

「その通りだ。間違いない。其方もこのメイド達を見る限りにおいて同じ考えなのは良く判る。しかしな、今の王宮ではその考えは足を掬われるもとになる」

「それは今の王宮が間違って…」

「セイラ殿、それ以上は申さぬ方が良いぞ。その気持ちは皆同じじゃ」

 レッジャーノ伯爵が私を押し留める。

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