第81話 苧麻と清貧派
【1】
綿花市に集まった商人たちとの商談は順調に進んだ。
現状を突きつけられて心を折られた彼ら相手の商談は、赤子の手をひねるより簡単だ。
そこでネックになるのはゴッダードで販売する為に積んできたハスラー産品だ。オーヴェルニュ商会の進出の為多くが売れ残ってしまっている。
アーチボルト・オーヴェルニュは私にそれらの代理買付を依頼してきた。
「我が商会が出て行くとハスラー聖公国の商人を通してバックの聖大公の存在が公になりそうですからね。そうなれば聖大公は親教皇派の貴族から譲歩を迫られることになり、国内での政争に繋がりかねない。それは貴方も本意では無いでしょう。私どももゴッダードでは東部の聖公国国境付近出身の新興商会で通しておりますし」
そう言う訳で集まった商人たちの救済という名目でかなり安値で、それでも運賃と少しばかりの利益は上乗せして買い取った。
しかし元値を知ってしまうと、彼らが今までどれ程暴利を貪っていたのか思い知らされ、同情心などわいてこないのだけれど。
ハスラー聖公国の商人の大半はアヴァロン商事から綿糸を購入し帰って行った。
一部商人たちはL&E 投資顧問事務所の講演会のお陰で、株式組合法の導入で資金調達を有利にし救済を受けられるようにと領主貴族や宮廷貴族に陳情するのだと息巻いている者もいる。
西部方面を回って綿布の販売でいくらかでも儲けを出そうとする者もいた。
エマ姉たちに煽られて新しい資金調達方法を教えられ、それに縋ろうと安直に考えているリコッタ伯爵のようなものが殆んどのようだ。
東部商人たちはリオニーとエマ姉の手によって再編が進みつつある。
これまでとは逆に民生品の販売で東部からハスラー聖公国内への輸出の販路を広げさせるという戦略を進めているのだ。
【2】
オーヴェルニュ商会から請け負った買い付け品の引き渡しの為赴いた商会事務所の応接でアーチボルトが言った。
「全てが本意だとは言いませんがセイラ・カンボゾーラ子爵令嬢様、あなたのお陰で旧態依然の綿花商人どもも目を覚ましたでしょう。変革について行けない者は淘汰されれば良い」
「同国人に対して容赦ない仰り様ですね、オーヴェルニュ様」
「それならば貴女様こそ東部商人に対して非情では有りませんか」
それはそうだが、私の場合はちょっと違う。非情の対象は国籍に関係なく教導派の教義の信奉者だから。
「それにしても、一昨日のリネン市場のお話は少々気になるのですが? リネン市場の崩壊も見越していらっしゃるのでは御座いませんか、カンボゾーラ子爵令嬢様」
まあハスラー商人たちのあの狼狽状況を目の当たりにすれば勘付くだろう。
「リネン市場はこれから一気に縮小すると思っておりますよ。だってそうでしょう。これまで夏に着る衣類ってリネンしかなかったから仕方なく買っていたんですよ。庶民には高額でも買わなければ仕方ないから。夏に羊毛は着れないでしょう。でもこれからは格段に安くて着心地の良いコットン製品が手に入るのですよ。肌触りが良くて通気性があっても高価なリネンは買わない。当然市場は縮小しますよね」
「だから今から転作を奨励して亜麻畑を減らしていると…」
「ええ、どうせ今年から綿布があの価格で大量に放出されればリネンは大暴落しますよ。来年からは今まで通りの国の買い上げは出来なくなる。補助金を出す余裕も無くなる。だから先に手を打っているのですよ」
「ハスラー聖公国の紡織業界は今年で崩壊するという事ですか…」
さすがに衝撃だったようで、アーチボルトは蕭然とした声を発した。
「でもすべてなくなる訳では有りませんよ。絹に次ぐ贅沢品としての使用は残ります。生産規模を縮小した分品質の向上でカバーする事は可能でしょう。亜麻生産の主軸をラスカル王国からハウザー聖公国に移すこともできるでしょう」
「亜麻栽培はハスラー聖公国でもやっているので、市場規模に合わせてラスカル王国産が減少すればそうなるでしょうね」
「亜麻はね、大地を荒らすのですよ。一度作付けすると五年は土地を寝かしておかなければいけない。実は作付面積の五倍の土地がいると思ってください。領主貴族としては領民の生活に支障が出る様な亜麻栽培は推奨できない」
そのせいでリコッタ伯爵領は大変な目に遭ったのだから。
「だから苧麻の栽培も検討してみては如何ですか? ラミー生地も高級品として人気は有りますし、苧麻は土地を荒らす事も無い。それどころか年に三度も四度も収穫が出来ます。アヴァロン商事がハウザー王国内で栽培研究をしています。もしハスラー聖大公に、獣人属の国で獣人属と共に研究をする心算がおありなら、ノウハウは協力者と言う事で無償でお譲りしても構わないとハスラー聖大公に具申して頂けませんか」
出来れば国内の麻栽培は減らして行きたい。しかし私は何よりラスカル国内に大麻を原料とするヘンプを入れたくないのだ。
「そういう事ですか…。マリエル王妃殿下も申されておられたが…。ハッスル神聖国を、現教皇を捨てて清貧派につくなら便宜は図るとこう仰りたいわけですな。王妃殿下には政治に興味は無いと仰ったそうですが、どの口でその様な事を」
「別に政治に興味は有りませんよ。でも身分や種族や性別に託けて弱者を踏みにじる奴らが気に入らないのはその通りです。ですから教導派の教義も、福音派の農奴を認める教義も許すつもりは有りませんし、それを潰すためならどんな手でも使いますよ」
「王妃殿下も貴女は我々を嫌っていると伺った。でもそれ以上に教皇を憎んでいるので、神聖国の聖教会に組しない限り信用できると。その通りの方ですね」
【3】
本当に恐ろしい娘だと思った。
アーチボルト・オーヴェルニュとしても政商として数々の修羅場を潜りぬけてきた自負はある。
何より若くしてハスラー聖大公直属の秘匿商会として裏工作を含めた商業活動を認められ、大公家の家名であるダンベールの名とその紋章の使用を認められているのだ。
それがこのゴッダードに赴いてから手玉に取られ続けている。
全てのお膳立てを整えた上でこの地に誘い込まれたという方が正しいのだろう。
絹糸をエサに誘い込まれて目にしたものは、これまでの繊維産業全ての崩壊と再編成だった。
衣類、繊維という食の次に必要な産業の構造が根底から変わろうとしているのだ。いや、変えられよとしている。
流通が、商業が、工業が、そして農業が変わる。それは周辺国も含めた国の根幹迄変えてしまう変革だ。
綿花は競り市で品質を求められるようになり、これまでの農奴を酷使したハウザー王国南部の農場は変わって行くだろう。
ハウザー王国北部は安い人件費で利益を浚い、紡績と綿糸取引で活況を呈しているのだろう。
そこに職を求めて脱走農奴が集まり、それを受け入れているサンペドロ辺境伯家は国内で力を増しているという。
そのサンペドロ辺境伯領から続く水運はアヴァロン商事によってラスカル王国の北西部迄の新しい流通路となり、更にカマンベール子爵領から北海シャピに抜ける国内を縦断する大回廊となっている。
南部、北西部、そして西部の清貧派領地ではリネンや羊毛を紡ぎ織って来た領地を、株式組合法に依って法人化して大規模紡織工房に替え、少しづつ綿花加工に鞍替えして行ったのだ。
そして綿花市場の急拡大に対処する為、亜麻生産から農家に転作を促している。
更に北方ではシャピのオーブラック商会がこれまで交流の無かった、多神教のサンダーランド帝国と通商を国策として始めている。
そして来月から始める予定の絹糸の取引上の開設だ。
これも王妃殿下の肝いりで進められ、国策に準ずるものと位置付けされるだろう。
ハウザー王国やサンダーランド帝国が係わるこれらの貿易は、教導派の教義を信奉する国王一派には教義が邪魔して手を出す事が出来ない。
この時流に乗り進化する為には教導派の教義を捨てなければ近い将来国が崩壊してしまうだろう。
セイラ・カンボゾーラ子爵令嬢が提案している住み分けは最期の命綱だ。
しかもその命綱を手繰っているのもセイラ・カンボゾーラ子爵令嬢その人なのだ。
彼女の意に添わなければ簡単に断ち切れる程に、その綱は細く弱い一本きりの綱である。
それだけではない。
まだセイラ・カンボゾーラ子爵令嬢は隠し玉をいくつか持っているのだろう。
亜麻畑の転作も順調に進んでいるというがその農業技術はこれまでに聞いた事が無い。
苧麻の栽培研究はその技術を物に出来る大きなチャンスだ。聖大公に具申して大量の優秀な人材を送り込んで頂く。
それにあの一枚物のカンバス地を織る機織り機もそうだが、あの価格であれ程多量に、綿生地を製造販売できるのはなにか秘密が有るに違いない。
その為にも秘密商館の設置と極秘調査は必須なのだ。
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