第82話 初競り
【1】
春休みの間は殆んどをゴーダー子爵邸の別邸で過ごした。
お陰で別邸が半分ライトスミス商会の事務所みたいな有様になり、大奥様やお婆様にご迷惑をおかけしている。
「何を言うの。毎日光の加護で治療してくれて、私たちはとても体の調子が良いのよ。それに毎日かわいい孫の顔が見れてこんなに嬉しい事は無いわ」
「そうですよ。この歳になると早々に街に出る事も少なくなって、市井の噂にもとんと疎くなっておりました。商会の若い者の話を聞くのは、それはまた新鮮で楽しい事ですわ」
私がゴーダー邸にお世話になり始めてからは、お二人は特にウルヴァがお気に入りだ。
いつもお茶席で給仕をさせながら、王立学校の話や昨年からの商取引に絡む事件の話を興味深げに聞いている。
夕食の頃には父ちゃんやお母様がオスカルを連れて現れるので、お二人にとってはこの春はいつにも増して華やいだものになっている様だ。
「海賊って悪い船なんだよね。それを銀シャチ号がやっつけたの?」
オスカルの声が聞こえる。
今日は昼から遊びに来て、お婆様の膝に抱かれてみんなでお茶をしているのだ。
「まあ、そのロロネー船長も女性の方なのね。セイラは危険な事には関わっていないでしょうね」
「大奥様、セイラお嬢様はその船に投資をしていらっしゃるだけで御座います。銀シャチ号もロロネー船長もお嬢様の配下で御座いますわ」
おーい、ウルヴァ。曲解が過ぎるよ。オスカルが誤解して”海賊王に俺はなる”なんて言い出したら困るんだけど。
そんなほのぼのとした会話を遠くに聞きながら、私は大量の書類に目を通して決済のサインを書き続けている。
何かこの春は、私一人馬車馬のように働かされて息を抜く時間さえないのだ。
もう明後日には第一回の絹の競り市が幕を開けるのだから。
【2】
「よくも出し抜いてくれたものだ。ライトスミス商会もさることながら、お前たちアヴァロン商会も油断ならん。おまけにハスラー聖公国の商人迄招き入れおって」
ファナの兄、ファン・ロックフォール卿はかなりお怒りのようだ。
「ねえ、セイラ・カンボゾーラ。絹の生地は手に入らないの? 手ごろな価格なら手に入れたいのだけれど。ファナはチャッカリとエマ・シュナイダーから手に入れたようだけれど」
ファナの姉のイオアナ様は兄の怒りをどこ吹く風と私に問いかけてくる。
今回はロックフォール侯爵家からイオアナ様の社会経験の為にファン様が同行して絹の競り市に乗り込んできたのだ。
「イオアナ様、個人で買うならばシュナイダー商店に出向けば手に入りますよ。今回は卸の競り市ですから、同じドレスを何十着も作れる量になってしまいますわ」
「まあ、それならば服屋が開けてしまうわね」
「そのチャンスをみすみす手放す羽目になってしまったのだぞ」
「そう仰られても、絹はファン様の持ち物では御座いませんよ」
「お前、エレノア王女殿下の留学の件をまだ根に持っているのか? いい加減割り切れ」
「ハーー、ロックフォール侯爵家はガッツキ過ぎかしら。優雅さの欠片くらい無いのかしら」
「優雅に構えて左前位なるのは真っ平なのだよ。国境の守りを任されているのだからその為になりふり構っておられぬ」
「いっその事エマ姉と組んで服飾に食い込んでは? ねえイオアナ様」
「私はそんな煩わしい事は嫌だわ。新しい夏物のドレスに少し絹が使いたいだけよ」
「そもそもエマ・シュナイダーと関わると腹の中から食い破られてしまうわ。それは御免被る」
「本当に煩わしい事だ! もう王立学校は始まっているのだぞ。ジャンヌももう王都に戻っているではないか! なぜ俺がヨアンナとゴッダードに来なければいけないのだ!」
「私はセイラにお目付け役が必要だから呼び出されたのかしら。そして殿下は王妃殿下の名代だという事を忘れているのかしら?」
「一々俺を巻き込みおって、やるならばなぜジャンヌの居る春休みの間にやらなかった!」
「そう勝手な事を言われても…。そもそも殿下はなぜ王妃殿下が御名代に指名なされたのか自覚するべきだわ」
そうなのだ。
王妃殿下は次期国王の継承一位を印象付ける為ジョン王子を名代で派遣したのだ。それも大嫌いなヨアンナをパートナーに指名してまで。
【3】
「この度、ゴッダードの綿花取引所で新たに絹糸の取引も開催される運びとなった。価格も高く流通も少ない希少な糸である。国内に流通する絹糸はすべてこの取引所を通して売買を行う。売買価格には一割七分の税を課しそれを以て流通許可証明とする。許可証明無き絹糸は更なる課税対象となることを忘れるな。王妃マリエル・ド・ラップランドの名の下に名代である第二王子ジョン・ラップランドがこれを施行する」
ジョン王子の宣言で絹取引所が開いた。
王子殿下もやればできるじゃないか。
集まっているのは南部と北西部の私達の息のかかった商人たちとハスラー聖公国の商人だけだ。
五日前に国内で布告が出されたが、そんな短期間で対応できるものなどいない。
事前にわかっている私達と南部の御用商人たち、そして事情を知るハスラー商人くらいだ。
「セイラ・カンボゾーラ、なぜハスラー聖公国に声をかけた。お前はハスラー商人が嫌いじゃなかったのか?」
「ええ、綿花商人たちは。でも清貧派に引き込める相手ならば歓迎しても構わないかなと思えましたので…」
「呆れたものだ。そのおかげで余計な商売敵を増やすことになるだろうに」
「そのかわり大金を持ったお得意様も増えますよ。少なくとも絹市場に落ちるお金はラスカル王国単独では比べ物にならない額が。税収も王妃殿下と折半ならゴッダードに落ちる税も馬鹿にならない」
「まあ良い。ブリー州が潤うならロックフォール侯爵家の収入にもなるから今回は目をつぶろう」
ファン・ロックフォール卿も納得してくれたようだ。
「そう言っていただけると喜ばしい限りですな。ファン・ロックフォール卿」
「まさか王都のオークションハウスばかりか南部まで出張ってくるとは思わなかったが、オーヴェルニュ商会は競りには参加しないのかね」
「繊維や服飾は専門外ですのでね。繊維取引は専門のものに任せております」
「その割には綿花市に参加している商人が見当たらないが?」
「まあ、彼らは絹取引は専門外なのでもう帰路について国境も超えているでしょう」
「…専門外? 戯けたことを。始まったばかりの絹取引に専門家などいるわけがなかろう。どうせ、手駒を集めて旧弊な貴族家の紐付き商人を追い払ったのだろう。聖大公の考えそうなことだ」
ファン卿とアーチボルト商会主の話を聞きながら参加者を見ているが、ハスラー聖公国からの商人は三人とも若いが目利きでは有るようだ。
特に二十代後半ばと思しき二人の商人はリネンや羊毛の市場動向や相場にも精通している上、ラスカル国内での商品流通も知識がある。
それに二十代はじめの若い男は経験は足りないようだが、頭の回転はよく政治情勢や税法などの知識を持っている。
一人は綿花市での鑑札が登録されていたが、後の二人の商会名は綿花市の登録には無かった。
商工会で調べてもらったところ三商会とも綿花市の始まる少し前に、ゴッダード商工会に商会登録が申請されギルド株を取得したての商会だった。
事務所は三商会ともオーヴェルニュ商会の二階。
要するにアーチボルトの手駒でこれからゴッダードに居座って絹取引に専念する尖兵ということだ。
アーチボルトの手駒だけあって、的確に高品質の絹糸を攫ってゆく。
初回が今後の取引価格を決めることもあって、北西部の商店を使って価格の釣り上げを図るがそう安々とは乗ってこない。
それでも品質の良いものは設定よりもかなり高値を付けて引き取られていった。
中級以上の絹糸は九割方ハスラー商人の手に渡った。
低品質のものも半分以上をハスラー商人が買い上げてくれた。
ハスラー聖公国は絹糸を織ってハッスル神聖国の大聖堂やラスカル王国の宮廷に高値で売り込むのだろう。
手織り物になった時点でラスカル王国産は品質で勝てない。
それが流通するに南部や北西部の商人は買い入れた絹糸を、東部の手織り職人に売るべく準備を始めている。
絹市場は私の意図する方向で動き始めたようだ。
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