第3話 領主貴族の矜持

【1】

 レギナ・エポワス子爵令嬢たちが食堂を出て行くと同時にクロエはへなへなと崩れ落ちた。

 私は慌てて彼女の身体を支えると近くに椅子に座らせた。


「クロエお従姉ねえさま。ご立派でした」

「貴女も…貴女の方が毅然としていましたわセイラ様…私なんて」

 この人は成績も優秀らしい…さっきのバカ貴族の口ぶりでは…見た目だってとても清楚で綺麗な顔立ちをしている。

 自信さえ付けば、芯はシッカリしているようだから大丈夫だろう。


「クロエお従姉ねえさまのなさったことに露も間違えはございません。私が短気を起こしてバカな煽りをしたばかりに」

「貴女が何を言おうが、どう振舞おうがあの方たちは絡んできましたもの。少しくらいは言い返せてスッキリしましたわ。…でも叩いてしまったのは失敗ね。私は謹慎を申し渡されるかもしれないわ」

 …それなら大丈夫だろう。脅しのついでに治癒もかけておいたから、もう叩かれた痕跡は残っていないはずだ。


「それならば証拠など有りませんから大丈夫です。先ほどお話脅迫した時に見ましたが跡も残っていませんでしたわ。それにクロエお従姉ねえさまがやらなければ私が殴ってました。…グーで。母上様を侮辱されたように聞こえましたので…」

「それは当然です。それにルーシー叔母様は学生時代からずっと思いを秘めていらっしゃったのでしょう。十五年思いを通わせながらお二人が耐えていらしたなんてしらなくて…。最近クオーネではそのお話も舞台にかかって、あちらの女性たちに大反響だとか」

 憧れを滲ませた瞳でそう話すクロエの横で、私も遠い目で相槌を打った。


「それに比べて私なんて…。好きな人に思いも…。いえ、そんな事より領地の一大事に何一つ出来ず、離れた王都で引き籠っているだけ。領民に顔向けできない。あの方たちに罵られて当然なのかもしれません」

 クロエには今回の領地の危機も重荷になっている様だ。

 昨年の冬も今年の夏も領地内の一大事で帰省させて貰えなかったのだが、自身が手をこまねいているだけで何一つ出来なかった事に忸怩たる思いが有るのだろう。

 それが更に自信を無くす原因に繋がっている。


「クロエ様。自信をお持ちください。男爵様もルーク様も疫病禍の時にはそれは立派に立ち回られました。北部の貴族が何を言おうと、領民や私たちはカマンベール子爵家が正しい事をしたと知っています。胸を張ってください」

「ああ…、でも私は帰る事も出来ず王都で何も出来ずここに籠っていただけで…」

「でもその血を受け継いでいる事を誇りに思い胸を張らなければ、お爺様やお父様、お母様まで舐められてしまいますよ。これからなのです、クロエお従姉ねえさまの役目は」

「役目だなんて。もう既にセイラ・ライトスミス様や聖女ジャンヌ様の手を借りて治まっています。もうこれ以上私などに出来る事など…」

「いえ違いますよ。これから王立学校中にカマンベール子爵家とカンボゾーラ子爵家のうわさが広がって行きます。良い噂も悪い噂も。クロエお従姉ねえさまはそれに対して毅然とした態度でカマンベール子爵家とカンボゾーラ子爵家の真実を告げて間違いを正して行かねばいけないのです」


「そっそうですわね。でも私は詳しい事は何もわからなくて…。それに私などにそんな事が…」

「クロエお従姉ねえさまなら出来ます。私はその当事者ですから全て知っています。お教えいたします。セイラカフェのメイド長だったナデタもきっとセイラ・ライトスミス様から詳しく聞き及んでいる事でしょう。きっとお役に立ちます」

 当然、私に都合の良い脚色をふんだんに施した真実をお教えいたしましょう。

 ライトスミス商会も当然そのつもりで、人当たりの良いナデテでは無く、クロエと顔見知りで不愛想だけど言う事はハッキリ言うナデタでを送り込んできたのだろう。


「以前からナデタさんにはお世話になっていましたが、シッカリしていらっしゃるので私の様な者には勿体ないメイドですわ」

 クロエはそう言ってホウッとため息をついた。

「メイドに気後れしてどうするのです。主人がメイドを育てるのです。セイラカフェのメイドは仕事をすることを誇りに思っています。クロエ様はメイドの仕事を手伝うのではなく、的確に指示を出してその結果を認めて褒めるのが役目です」

「そっそうなのですね。でもナデタさんに何を指示して良いか分からなくて」

「先ず、メイドにさん付けは止めましょう。それからわからない事はナデタがそれとなく教えてくれます。主人を立てながら必要な事を指導するのもメイドの仕事です。メイドは主人を育てるのです…っとセイラ・ライトスミス様に教えられました」

 熱弁を振るう私をクロエが驚いた顔で見ている。余り熱が入り過ぎてボロが出そうになってしまった。


「セイラ様はご立派ですね。やはりゴルゴンゾーラ公爵家で学ばれたのでしょう。私などちゃんとした礼儀も出来ていなくて…」

「ルーシー母上様はお優しい人ですが、外では胸を張って毅然としています。カマンベール家の女性は皆そうだと聞いています。メイドを育てるのは主人です。チェルシーさんをドロレスメイド長のように立派なメイドにしてあげてください」

「ドロレス…。そうねドロレスを立派なメイドにしたのはお婆様とお母様。なら私も、胸を張る事から始めてみます」


 それに合わせた様にナデタとチェルシーが食堂へやって来た。

「お嬢さま、ここに居らっしゃいましたか。もうそろそろお茶の用意が整います。お部屋に戻られて一休みされては如何ですか」

「ありがとうナデタさ…ナデタ。それじゃあ、セイラ様戻りましょうか」

 クロエがほほ笑んで椅子から立ち上がった時、食道の向こうからやって来るザワザワとした人の気配がした。


 小太りの修道女服の聖職者を先頭に先ほどの令嬢たちが戻って来たのだ。

「クロエ・カマンベール様! 未だ此処にいらしたのですね。先ほどこちらのミレナ・マンステール男爵令嬢の頬を叩いたと言うでは無いですか!」

「それは私の母上様をその方が侮辱なさったからです!」

 クロエが弁明しようと口を開きかけたのを遮って私が口火を切る。


「セイラ様の母上様を!」「ルーシー様を!」

 私の背後で、一瞬にしてナデタとチェルシーが臨戦態勢に入ったのが分かった。

「クロエお従姉ねえさまは、新入生で反論の出来ない私の代わりに怒って下さいました。領主貴族としての矜持を示して下さいました」

「うっ嘘よ。私は貴女の母親なんで…」

「この方は私の母上様と妾呼ばわりしたのです!」


「どうなのです? クロエ・カマンベール」

「どっ…あのっ…。そうです。私の叔母で彼女の母であるルーシー・カンボゾーラ子爵夫人を妾呼ばわりされました。我がカマンベール子爵家にとってもカンボゾーラ子爵家にとっても侮辱以外の何物でもありません」

 始めは口ごもっていたクロエも意を決してハッキリと言い放った。


「それでも暴力を振るってミレナに怪我をさせるなど貴族令嬢にとって相応しくないわ」

「何を証拠に怪我などと、クロエお従姉ねえさまはそんなに酷い事はしていませんわ。大げさに言えば良いと言う物でも無いでしょうに」

「嘘よ! 私は口を切って血も出たし、打たれた後は腫れたようで痛かったわ」

「ならば医務の治癒修道女様に見て貰えば良いでは無いですか。今すぐ診て貰いましょう」


 小太りの聖職者…礼拝室の聖導女うだろう…が、顎をしゃくると後ろに控えてた修道女が歩み出た。

 マンスール男爵令嬢は戸惑い狼狽しながらも、言われるままに口を開いた。

「特に傷跡も、頬に打たれた後も見られません」

 修道女が首を振る。

「嘘よ、そんなはずは。確かに血が…」

「まあ少々大げさに言ったかもしれませんが、叩いたことに変わりは有りませんよ。貴族令嬢がする事ではありません」

「そうかも知れませんが領主貴族として守らなければいけない事です」

 クロエはハッキリと言い切った。


「何が子爵家の矜持よ。昨日今日陞爵した分際で偉そうに。陞爵の陰に何が有ったのか知らないけれど、王都の貴族寮に籠っていた貴女が何をしたと言うの。親の威を借りて偉ぶっているだけでは無いのかしら」

「その通りかもしれません。それでも私のお爺様やお父様が成し遂げた事を、私の一族が成し遂げた事を辱められて黙っているほど腰抜けではありません。何と言われてもこれだけは曲げる事は出来ません」

「クロエお嬢様、ご立派です」

 チェルシーが感極まったように涙目でクロエを見つめた。


「聖導女様。貴女も北部教区の聖職者ならご存じでしょう、ロワール大聖堂での公開審問の経緯は。ならばクロエお従姉ねえさまが言われたことも理解できると思うのですが」

 聖職者たちがハッとして驚いた顔になった。

「もしやその叔母と言うのは…ルーシー・カマンベール」

 聖導女が少し腹立たしげにつぶやく。

「ならば貴女様はもしや…」

 私は跪きかける治癒修道女を慌てて手で制して聖導女に話しかける。


「聖導女様、私たちにも非は有ります。ですから喧嘩両成敗で遺恨なく終わらせようと思うのですが」

「仕方がないですね。今回だけは貴女の意見を聞いて見なかった事に致しましょう。でも次は有りませんよ」

 急な展開にエポワス子爵令嬢たちが非難の声を上げたが、聖導女は一睨みで四人を黙らせると皆を連れて食堂を出て行った。

 さあ私たちも部屋に戻ってお茶の再開だ。

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