閑話18 クロエの卒業式(付テレーズとケイン)

 ☆☆☆

 来賓や父兄はエントランスまでしか入れ無い。卒業式の大舞踏会は学生だけの、卒業生の為の催しだからだ。

 その為エントランスホールの前は来賓や父兄と共に、現れる令嬢を待つ男子学生でごった返している。


 卒業生は爵位の順番に大貴族令嬢から順にエントランスホールに現れて来賓や父兄に挨拶する。

 その挨拶が終わるとエスコートを申し出る男子学生が現れて、令嬢と共に舞踏会場である大ホール内に入って行く。


 クロエ達下級貴族は上級貴族の入場が終わるまで待機中だ。

 上級貴族は一人ずつ入場して行くが、子爵以下の貴族は数人まとまってエントランスホールに降りて行く。

 子爵、男爵と続いて貴族家の庶子、準男爵や騎子爵の令嬢、そして一般の平民の順となっているが、その辺りになると順番もいい加減になってくるのだけれど。


 何やら大貴族の入場の折に一悶着あったようなのだけれど、仔細は良く解らない。

 待っているとカミユ・カンタル子爵令嬢たちの順番が来て、先にカミユが降りて行った。

 同じ子爵家と言ってもカンタル子爵家は長年続いた名門だ。去年陞爵したばかりのカマンベール子爵家とは格が違う。

 カマンベール子爵家は子爵家の中では一番最後のグループだ。


「ドキドキしますね。ウィキンズ様は来て下さるかしら」

「来ないはずが無いじゃないの。来なければ学校中の女子に袋叩きに遭うわ。それよりもレオナルド様とは離れ離れになってしまいますわ。私は王都の市庁舎で行政官をする事になっておりますから」

「もう、レオナルド様は卒業するとサヴァラン男爵領の騎士団に移籍するって聞いたわよ。ウォーレン様はしばらく王都騎士団から離れないから、羨ましいわ」

「シーラも国務省の官僚で王都で仕事をするのでしょう。いつでも会えるじゃないですか。クロエだって内務省の書記官をするのでしょう、羨ましいわ」

「ブレアは離れていると言っても、レオナルド様は貴女の婿になる為にサヴァラン男爵領に行かれるのでしょう。二年くらい辛抱なさい」


 三人が騒いでいると連絡のメイドがクロエを呼びに来た。

「ああ、心臓がドキドキします。私ウィキンズ様に会ったら倒れてしまうかもしれないわ。一人で行くのが心細いわ」

「ああもう、他の方も一緒に居るでしょう」

「それに直ぐ私たちも合流するし、腹を括って行ってきなさいよ」


 シーラとブレアに押し出されて、他州の子爵令嬢三人と一緒に階段を降りて行く。

 一緒に降りた三人のうち一人はレギナ・エポワス子爵令嬢だった。クロエをギロリと睨むとソッポを向いて一人で会場に入って行った。

 もう一人は親類の男子がエスコートについたのだろう、お座なりの言葉を交わして会場に入って行く。


 三人目は婚約者が迎えに来ていた。東部の伯爵家の次男だと言う良く肥えた男が、これ見よがしに真珠のネックレスを取り出すとその令嬢の首にかけた。

 その令嬢もネックレスを右手で持ち上げると、クロエの方を向いてニヤリと笑う。

 婚約者の男はその子爵令嬢の手を取り、舞踏会場の入り口までエスコートし入場する令嬢を見送ると帰って行った。


 子爵令嬢としてはクロエがラストだ。

 集まった来賓や親族に向かって深々と頭を下げる。

 今日来ている衣装はファッションショーで最後に着たものだ。そのドレスの胸のあたりにレースのつまみ細工編みの大きな白いバラの花があしらわれている。

 両親が卒業舞踏会の為に贈ってくれたものだ。


「ほらあのドレスよ。夏至祭の時は感動したわ」

「あの日見れなかったのよ。花嫁衣裳みたいでとても素敵ね」

「噂には聞いたが、変わったデザインだなあ」

「あれが流行なのよ。素敵じゃない」

 ファッションショーを見たもの、見れなかったもの。噂を聞いた父兄や、ミーハーな下級生たちも皆クロエに注目している。


 その内に人だかりが割れて近衛騎士の礼装に模擬のサーベルを下げたウィキンズが姿を現した。

 下級生の女子生徒たちから歓声と悲鳴が溢れた。

 ウィキンズはショーの時にも持っていた短いベールの付いたティアラを両手に持って歩み寄ってきた。


「クロエ様、嫌でなければこれを貰って欲しい」

 ベールにはどこかで摘んで来たのだろう、白い花が沢山さされている。

「豪華な宝石も洒落たアクセサリーも出来ないけれど、俺の気持ちだ。平民上がりのこんな武骨な俺だけれど、出来れば受け取って欲しい」

 これまでクロエに対しても実家の皆に対しても、騎士として敬語を止めなかったウィキンズが、初めて普段の口調でクロエに告げた。


「はい、喜んで受け取ります。嫌だなんて思う事など御座いません。この先ずっと一生そんな事は思わないとお約束いたします」

 そう言ってカーテシーをして頭を下げるとベールが被せられるのを待った。

 少し震える指先がクロエの髪に当たるのがわかる。

 ベールの生地が頬にかかるのを感じ頭を上げるとすぐその上に緊張したウィキンズの顔が見えた。


 エントランスに集まるギャラリーからまた歓声と悲鳴が上がり盛大な拍手が沸く。

 クロエはウィキンズに手を取られてまるで雲の上を歩いているような気分でエントランスホールを進み舞踏会会場に入って行った。


 ☆☆☆☆

 しばらくするとシーラとブレアがウォーレンとレオナルドに伴われて入室してきた。

 そして平民寮の女子卒業生たちが順番に入って来る。

 その後はエスコート相手のいない男子卒業生が憮然とした顔のリチャード王子殿下を先頭に入室して、オーケストラが華やかなファンファーレを奏でる。


 それを合図に一年と二年の在校生が舞踏会場に入って来る。

 在校生女子の代表であるカブラレス公爵令嬢が卒業生に挨拶を述べる。

 それを受けて卒業生代表が…、本来女子生徒で一番序列の高いモン・ドール侯爵令嬢が答礼を述べるはずが、リチャード王子殿下が進み出て答礼を述べた。


 それを合図にオーケストラが円舞曲を奏で始める。

 リチャード王子殿下はそのままカブラレス公爵令嬢の手を取ると舞台の中央に誘い踊り始めた。

 カブラレス公爵令嬢は何も知らなかったようで、戸惑い狼狽しながら踊り始めている。

 その二人の周りに次々と上級貴族の卒業生たちがダンスの輪に混じり始めるが、何が起こっているのか皆よく理解できていないようであった。


「リチャード王子殿下とロックフォール侯爵令嬢との間で一悶着あったようだね。上級貴族のエスコートの時なので詳しくは分からなかったけれど」

 始めのダンスには参加していないシーラ・エダム男爵令嬢の耳元でウォーレンが囁いた。


「始めの一曲目が終われば聖教会の卒業生への祝福が始まりますわ。余裕は無くってよ。噂話は後に致しましょう」

「でもイオアナ様の協力が無ければ…。何か拙い事でも起きてなければ良いのですけれど」

「ともかく、ブレアはイオアナ様のところへ。俺たちはケインを引っ張って来るから」

「さあ行くぞレオナルド。…お前もうブレア様を呼び捨てかよ」

「いや、義父上がそうしろと仰るもので…」

 小声で話しつつレオナルドとウォーレンは窓際で所在なく佇むケインのもとに向かった。


 一曲目が終わると国王からの祝辞が読み上げられた。

 参加者たちの拍手の後に王立学校礼拝堂付きの聖導女が歩み出て片手を上げた。

「卒業生の貴族の皆様おめでとうございます。今日の良き日を讃え……、それでは教皇猊下の聖名に於いて皆様に祝福の有らん事を」

 聖導女が教皇への賛辞で祝辞の言葉を締め括ろうとした時に声が上がった。


「お待ちください。私ども南部の信者は今の教皇への賛辞に賛同致しかねます。今の言葉の中に平民への祝福も入っておりません。ならば私共南部貴族は独自に平民も含めた全ての卒業生に祝福がいただけるようお時間を頂きます」

 イオアナ・ロックフォール侯爵令嬢の声が響き渡った。


 その声に呼応して控室代わりのお茶会室のドアが開かれる。

 カミユ・カンタル子爵令嬢とクロエ・カマンベール子爵令嬢に誘われて修道女がおずおずと現れた。

「あれは!?」

「あの人はテレーズ修道女!」

「先月、聖導女になられたとか聞いていますよ」

「テレーズさんなの?」

 平民生徒の中から小波のような声が広がり始まる。


「色々と訳が有ってテレーズ様は王立学校をやめられましたが、辞めるまで特待を競い合った優秀な方でした」

 イオアナ・ロックフォール侯爵令嬢が紹介するまでもなく、テレーズは平民寮でもかなり有名だった

「そして私達のクラスメイトで親友で…これから先もずっと親友で…、だから一緒にこの日を祝いたい。今立派な治癒術師としてゴルゴンゾーラ公爵家の聖教会にいるテレーズさんに祝福していただきたいのです」

 クロエの涙ながらの言葉に多くの生徒が頷いた。

 大貴族の多くが不快そうにしているが、あえて反対するのも気が引ける空気が醸成されている。


 レオナルドとウォーレンに促されたケインがテレーズの前に歩み出た。

 ケインはテレーズの前に歩み出て跪くと頭を垂れて言った。

「俺はあなたに命を助けられた。お陰でこうして卒業を迎えられる。俺にとっては誰が何と言おうと、貴女こそが聖女だ。貴女に聖堂騎士として祝福していただけるならば、生涯この剣を貴女に捧げて守り抜くことを誓う」


 そう言って模擬刀を捧げるケインに、真っ赤になって祝福の言葉を告げるテレーズの声は、周りの女子生徒の歓声にかき消されてまわりには聞こえなかったが、彼の言葉を受け入れたことだけは誰の目にも理解できた。


 そして教導派大貴族の怒りの視線の先で、南部や北西部の貴族と多くの平民が清貧派修道女の祝福の言葉に頭を垂れたのである。

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