第182話 一学年の終わり
【1】
今の国王は愚かではない。
愚かではないが凡庸な王である。
寵妃であるマリエッタ・モン・ドール夫人も傑出した人物ではない。
その二人の息子であるリチャード第一王子も凡庸ではあると思っていたが、ここまで暗愚であったとは誤算だった。
まさか自分の今置かれている立場をここまで理解していないとは思わなかった。
イオアナ・ロックフォールをエスコートしていれば南部貴族を味方につけられる絶好のチャンスではなかったのか。
先代国王の即位の折には武力行使まで匂わせたのが南部諸州であり、その筆頭がロックフォール侯爵家である。
その令嬢を上から目線で見下し、あまつさえ公衆の面前で醜女呼ばわりをして事がうまく運ぶと思っていたのだろうか。
案の定、兄のファン・ロックフォールは激怒し、イオアナの取り巻きの令嬢たちからも不興を買った。
何よりイオアナにあんなにも多くの信奉者がいた事は誤算だった。下級貴族とはいえ東部や北部の令嬢も多数いたのだ。今後彼女たちがどこに嫁ぐか知らないが、嫁ぎ先でも影響を及ぼす可能性は大きい。
幾人か上級貴族の令嬢も交じっていたが、出自が下級貴族でも嫁ぎ先は上級貴族であることも多い。
特にAやBの上級クラスの女性は婚家でも力を持つ事が多いのだ。今後の影響力も計り知れない。
そこまで考えなくても弟のジョン殿下に水を開けられつつあるのに、このていたらくだ。
モン・ドール侯爵たちはリチャード王子を捕まえて苦言を呈したが、どこまで理解している事か。
モン・ドール侯爵にしても身持ちも悪く、凡庸なこの甥に娘を嫁がせる気にならない。
とりあえず二つある公爵家のもう一つ、カブレラス公爵令嬢と誼を結ぶように言っておいたが…力のない宮廷貴族のカブレラス公爵家では弱いのだ。
【2】
初代国王は四人の息子がいた。
始めの妃との間に一人、それが初代王家。夭折した妃に変わり娶った次の妃には三人の男子が埋まれている。
ゴルゴンゾーラ公爵家とカブレラス公爵家の初代に次いで、更に最晩年に生まれた男子がモン・ドール侯爵家の初代である。
ゴルゴンゾーラ公爵家とカブラレス公爵家の初代が二つしか年が違わなかったのに対し、モン・ドール侯爵家初代は上の二人と二十歳近く離れていた。
王家が断絶した時に跡継ぎを出す二公爵家の態勢が整っていた事から、無用の権力争いを避ける為モン・ドール侯爵家は王家の補佐として位置づけられ、この三家は三卿と呼ばれた。
王家と三卿家は婚姻や養子縁組を繰り返し、権力中枢を担てきた。
しかし四代前の国王擁立でカブラレス公爵家は領地を失い、力を無くした。
それに代わって力をつけてきたのがモン・ドール侯爵家であった。
四代前の国王が逝去すると開明派の第一王子を擁立したゴルゴンゾーラ公爵家と保守派の第二王子を推すモン・ドール侯爵家の対立になり、第一王子が即位しこれまでのハッスル神聖国やハスラー聖公国の政治介入を断ち切る政策を推し進めた。
この政策には王妃の実家のゴルゴンゾーラ公爵家や独立心の高い南部辺境の武闘派ロックフォール侯爵家も賛同し改革は順調に進むかと思えた。
そこに降って湧いたような国王の突然死である。
そしてモン・ドール侯爵家と保守派宮廷貴族を後ろ盾に、前国王の弟が又王権を主張したのだ。
王位継承権第一位の前国王の長男は成人してロックフォール侯爵家から娶った妻も居た。
武闘派の南部貴族は臨戦態勢を整え内戦がおこりかけていた。ハスラー聖公国もそれを口実にラスカル王国の内政に干渉し派兵を企んでいた。
当時の王太子は国を割る内紛を危惧し王位を叔父に譲り、北西部と南部の領地への不干渉を条件に自分は養子としてゴルゴンゾーラ公爵家を継いだ。
その結果北部の保守派宮廷貴族を後ろ盾に、ハスラー聖公国との交易で潤う東部貴族が押す現王家、南部と北西部に強固な基盤を有するゴルゴンゾーラ公爵家の対立の構図が出来上がった。
そしてその権力闘争にも関われなかったカブラレス公爵家は蚊帳の外に置かれ、権威だけの弱小公爵家となってしまった。
そのカブラレス公爵令嬢にしても突然の第一王子からのダンスの誘いに困惑しつつも、なんとなく意図を察して不快感を必死で押さえている。
エントランスホールでのやり取りをはじめから見ていた彼女も実はイオアナ・ロックフォール侯爵令嬢のシンパの一人なのだから。
【3】
その頃私は卒業舞踏会での出来事など一切頭に入っていなかった。
この会場にレーネとロレインに手を引かれてやって来たが呆然自失の状態だったのだ。
「まさか、この娘がこの程度の事でメンタル崩壊をおこすとは思わなかったかしら」
「普通に考えて、当然の事なのだわ。貴女の日頃の言動を考えれば分かる事なのだわ」
「…ああ、この私が。このセイラ・カンボゾーラが…。…悔しい! 悔しい! 悔しい!」
「おお、セイラ・カンボゾーラ。どうだ、次の曲を俺と一曲踊ってくれぬか。なあ、ヨアンナ別に構わぬであろう」
「そうね。それで少しは頭が冷えるかしら。それともさらにヒートアップするのかしら」
私はいつの間にかジョン王子殿下にエスコートされてダンスの輪に引っ張り込まれていた。
「どう言うおつもりです、ジョン殿下」
「いや、何。今日はとても気分が良いのでな。特に其の方の顔を見ていると自然に笑みが零れてしまいそうだ」
「グガ―! それでも幾何は私の方が上ですからね」
「まあそれは認めてやろう。それでもな、結果が全てなのだ。それはクラス分け試験の折に其の方が申した事だからな」
「グッ…」
「一つ言っておくぞ。俺はこの件に関して権力も使っておらんし誰の忖度も受けておらんからな。何より其の方の実力を一番理解しておるのも俺だと自負しておるよ」
そうなのだ。私は特待を逃したのだ。このセイラ・ライトスミスが、セイラ・カンボゾーラが、たかだか十六のこの男に負けたのだ。
卒業式後に発表されたAクラスの成績は、エドがダントツでトップだった。座学はほぼ全て満点である。
あの男、実技のある魔導の授業でも、参加せずに魔導理論の論文だけでトップを取りやがった。
その為残り二枠を私とジャンヌとジョン王子殿下で競い合う事となった。
三人の成績は拮抗していた。文系や魔導理論では私とジャンヌが拮抗していたが、理系では私がジョン王子殿下はもちろんをジャンヌも引き離していた。
これならばどうにかエドの次、二番手に付けると思っていたのだ。
舐めプとまではいわないが舐めていた。
その結果こんな事で足を掬われるなんて。
「いや、当然の結果だろう。一科目赤点が有るのだからこの結果に対しては誰も異論は唱えんだろう」
「解っているけど、殿下に言われたくない!」
「いや其の方全然解っておらんではないか。そう言う態度がそもそも宮廷作法の授業で赤点を取る原因ではないのか?」
そうなのだ。
ほぼ全ての科目で満点近い点数を取りながら、宮廷作法で大きく躓いたのだ。
完璧な貴族令嬢であるこの私のどこに問題が有ると言うのだ。
「なぜ? 設問の答えも殿下とほぼ同じ内容だったのに私は×で殿下は〇? おかしいでしょ」
「いや、相手の非礼に対して決闘を選択する時点で貴族令嬢としてはどうかと思うのだが?」
「非礼にチマチマ嫌みを言うよりスッキリと決闘で形をつけるべきでしょう」
「だからと言って何故その回答が”殴る”なのだ」
「血の通わないサーベルやレイピアを持ち出して遺恨を残すくらいなら、こぶしで語り合うべきよ!」
「イヴァンもそんな事を回答して減点を喰らっていたがな」
「そんな節穴の様な目をした試験官には鉄拳制裁よ!」
「そもそも貴族令嬢が男子生徒に腹パンするなど言語道断だろうが」
「ジョン王子殿下! 貴方も不貞男ジョバンニを庇うのか。ジャンヌさんに言いつけてやる」
「止めんか! 別にペスカトーレ侯爵家に肩入れなんぞしておらんわ。其の方の発想がイヴァンと同じレベルと言っておるのだ」
「ガーーーン!」
あああ、この事がバレたらグリンダやアドルフィーネに小言を言われるだろうし、ゴッダードに帰ればアンに叱られる。
この際クオーネに逃げようか…。ダメだ、あそこにはエミリーメイド長が居る。
ヨアンナの口から絶対漏れるだろうし、外戚に当たるを私をエミリーメイド長が見逃すはずもない。
ああ、夏休みが憂鬱だ。
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