第181話 エントランスホールでの出来事

【1】

「上手く行くのであろうか? 何より奴らがどれだけ信用できるのか解らぬではないか」

 モン・デール侯爵が苛立ち紛れの声を上げる。

「落ち着かれよ。ロックフォール侯爵家とは内諾を取っておる。あの姫をあちらに送るかわりに、第二王子をこちらで押さえることで密約はできておるのだ。それにあちらの聖教会とも話は進んでおる。聖教会の件は南部の貴族連中には知られておらん」

 ペスカトーレ枢機卿がモン・ドール侯爵を宥めるが、まだ納得はできていないようだ。


「我が姪を、四女といえまだ十二だぞ。それを他国へとは、少々哀れでな」

「しかしこれも国王陛下もマリエッタ寵妃殿下もご了承いただいておること。それにあちらでは司祭として遇されるのだから、ラスカル王国宮廷で過ごすより贅沢ができますぞ」

「しかし…」

「あちらでは我が国のようにケダモノの司祭などおりません。あのリール州の跳ね返りのせいで、最近ではグレンフォードやゴッダードやクオーネでもケダモノの司祭が就任したとか。特にクオーネは三人も就任させておる。あの背徳者の小娘が次期王妃など許されることではない」

 ペスカトーレ枢機卿の言葉が熱を帯びて激高し始める。


「その牽制のための今日の舞踏会でしょう。こちらの意向もリチャード王子殿下を通してロックフォール侯爵に伝わっておるのでしょう」

「まあ急な話ではあるがこちらは第一王子だ。ロックフォール侯爵も娘が承諾するなら異は唱えないと内諾はもらっている。父の侯爵が了解したのなら問題はなかろう」

 マンスール伯爵とショーム伯爵の説明が続く。


「たしかご令嬢は婚約者もまだ決まっておらぬはずであったよな」

「ああ、以前ゴルゴンゾーラ公爵家との縁談はあったようだが、その相手も昨年婚姻を済ませたそうで今は特に噂もない。妹は厄介だが、あのご令嬢はあの容姿だし御しやすそうだ」

「公爵家より格上ならば蹴ることもあるまい。まああの容姿だしな。娘からは以前から妹のファナ嬢がイアン様と婚約してから焦っていたと聞いておるのですがな」

「シェブリ伯爵殿は御令嬢から何か聞いておりませんか?」


「妹にコンプレックスが有るような事を聞いていますなあ。二学年の頃はリチャード王子殿下にかなりアプローチをしていたようですな」

「皆様、そろそろモン・ドール侯爵令嬢様が入場されますぞ。私どももエントランスに参りましょう。これでロックフォール侯爵家を引き込めるのですぞ、首尾を見届けねば」


【2】

 モン・ドール侯爵令嬢がエントランスホールに降りてきた。弟のマルコ・モン・ドール侯爵令息がその手を取りエスコートして舞踏会場に消えていった。

 モン・ドール侯爵令嬢が舞踏会場に消えると、続いてイオアナ・ロックフォール侯爵令嬢の番だ。


 すぐ上の兄ファンがエスコートに来ていると思ってエントランスホールを見たイオアナは、人混みをかき分けて歩いてくるリチャード王子殿下を見て不審げな視線を向ける。

「イオアナ・ロックフォール、エスコートに来てやったぞ。どうせ家族以外にエスコートに来る男など居まい。侯爵令嬢としてそれは哀れであろう、こうして俺が来てやったのだ」


 リチャード王子殿下の見下して馬鹿にした様な言葉にエントランスホール内は嘲笑と哀れみの混じったようなクスクス笑いが漏れた。

 イオアナは怒りと羞恥で顔を赤くして俯いた。


 それをリチャードは恥じらいと承諾だと勝手に判断して、ズカズカと進み出るとイオアナの手を取ろうとした。

「触らないで!」

 その手を払い除けるとイオアナの小さな声が響いた。


 リチャードは訝しげに眉を寄せると、払い除けられた手をまた伸ばしてイオアナの腕を掴んで言った。

「エスコートしてやると申したのだ!」

「私は触らないでと言ったのです!」

「なんだと! この俺がエスコートしてやると申しているのだぞ。お前のような醜女に情けをかけてやると言っているのだ!」

「不要で御座います。貴方様な方に情けをかけて頂く程、私は落ちぶれておリません。重ねて申します。そばに近寄らないでくださいませ」


「殿下! 我が妹に何と申された! それ以上妹を愚弄なされるなら、このファン・ロックフォール黙っておりませんぞ。あなた方の提案に妹が承諾すればと申したはず。黙って引かれよ!」

 そのやり取りの中にイオアナの兄のファン・ロックフォールが怒りの形相で割って入る。


 それに合わせるかのようにファナ・ロックフォールの部屋で聞き耳を立てていたのだろう、幾人かの卒業生の娘たちが現れた。

「あんまりで御座います」

「他の誰が何と仰ろうとも私達はイオアナ様が、お優しくて心根も所作もそして見た目も美しいお方だと想います」

「下級貴族や平民の私達と同じドレスでこうして舞踏会に立ってくださるこのお姿は凛々しくて美しいではないですか」


 夏至祭以降、容姿にコンプレックスを抱えていた少女たちが前を向けるようになったのは、イオアナのお陰だとこうして集まってきているのだ。

 イオアナ自身も彼女たちに慕われることで自信も出来て、以前よりも前を向けるようになってきていた。

 事実、ドレスの着付けや化粧で彼女たちの見た目は変わったが、何より自信がついたことでその気概が彼女たちを美しくさせて行った。


「お兄様、私のために怒って下さって有難うございます。でも私は大丈夫です。上辺だけの殿方のエスコートより、こうして集まってくださるお友達が支えになってくださいますから」

 イオアナは兄にそう告げるとリチャードの顔を見上げ優しげに微笑んだ。


「私ごときにお気を使われずとも、この三年間で関係を持たれたご令嬢が沢山いらしていたでは御座いませんか。その方々を泣かせぬようにエスコートをして差し上げてくださいな」

 そう告げて今度は部屋から出てきてしまった女子生徒に微笑んで告げる。

「私は殿方のエスコートよりこうして私を支えてくださる皆様とご一緒に舞踏会場に入りたい。ねえ、よろしければ私を皆さんでエスコートしていただけないかしら。横紙破りは承知しておりますが、こうして出てこられてしまったのですから戻るわけにもゆきませんでしょう」


 事態の成り行きに圧倒されてエントランスに集う人々からは声が出ないことを幸いに、ファナの部屋から出てきた十数人の同じドレスの一団がイオアナと共に舞踏会場に入っていった。

 後には憮然として一人取り残されたリチャード王子殿下、その横で笑いを噛み殺すファン・ロックフォール、困惑しつつも笑うに笑えずお互いに顔を見合わせているエントランスの群衆が取り残されている。


「ファン・ロックフォール! 貴様、妹の説得すらまともにできんのか!」

 やり場のない怒りをリチャードは兄のファンにぶつけようとする。

「リチャード殿下、勘違いなされるな。我が家は陪臣ではございませんぞ。王家に敬意は払いますが、国王陛下にも先代国王にも恩は御座いません。我が妹とて同じこと。御自分のお立場をもう少しお考えなされよ」


「もう良いわ! 興が醒めた、貴様らも道を開けろ!」

 リチャードは肩を怒らせて大股でエントランスホールを出ていった。

 その後を数人の大貴族と思しき大人が追いかけてゆく。


 ファンはその中にマンスール伯爵とエポワス伯爵の姿を見つけ、彼らの背中に向けて声をかけた。

「マンスール伯爵! エポワス伯爵! ロックフォール侯爵家を侮っておられるのか? 誼を結ぼうにも物には言い方というものがあろう。せめて口の聞き方くらいはご指導されよ!」

 ファンの言葉にエントランスホールの群衆から失笑が漏れた。

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