閑話7 福音派留学生(4)

☆☆☆彡

 新学年になって滑り出しは順調に思えたが、反対勢力からの横やりが入った。第一王子派のプラットバレー公爵家の一族からのようだ。

 第一王子派は武闘派で王族のプラットバレー公爵家が福音派上位聖職者の支援を受けた一派だ。

「忌々しい、私の実家が、あの老害の伯父様が加担していると思うと情けなくなりますわ」

 福音派枢機卿の孫で総主教の姪でもあるテンプルトン子爵令嬢が溜息をつく。


「あなたのせいでは無いですわ。プラットバレー公爵家が横やりを入れなければどうせヘブンヒル侯爵家が口を挟んでいたでしょうから」

 同じ公爵家のオーバーホルト家はプラットバレー公爵家に対抗し第三王子派のヘブンヒル侯爵家に肩入れしている。農奴による農地経営を主とする中小貴族や地主を支持基盤にしている。

 どちらも農奴容認派と言うより農奴を手放す気は毛頭ない派閥なのだ。


 当然北部のサンペドロ辺境伯を中心とする第二王子派閥とは相容れない。北部派閥はラスカル王国やハウザー聖公国との交易で利益を上げており、農奴は認めていないのだ。

 両派閥ともラスカル王国からの留学生の活躍を快く思っていない勢力だが、まだ幼い神学生たちは幸いにもそういった政争から離れた所にいる。

 その為純粋にテレーズを尊敬し治癒魔術の習得を求め、何より多くの少女たちがこの学校に自分たちを追いやった実家に対して不信を感じている。


 それでも実家の意向を受けた生徒も特に上級生には居る。卒業後の進退に影響するとなればそれに従わざるを得ない者は多い。


 テレーズの治癒授業を一枠増やしたのは神学校側だが、難癖をつけてきたのも一部の神学校講師たちだ。

 授業枠や講義内容の事ではない。

 ルクレッアがルイージとカンナを講義に伴っている話であろうが、ルクレッアは納得できなかった。

「何故! 私の身の回りの世話をしてくれる者ならば他の方のメイド達と同じで

はないの? ルイージはしっかりして利口だし授業の邪魔もしなければお手伝いだって、同じ洗礼式を終えたばかりのメイドたちよりもずっと上手にしてくれるわ。カンナだって大人しく私の側にいるし」

「それはそうで御座いますが、神学校から禁止の指示が出ております。ルクレッア様、講義の間は私が見ております。ですからどうかカンナだけでも私が預かりますから」

メイドのベルナルダがそう言ってもルクレッアは中々納得しないのだ。


「そんな事…、カンナは私やルイージが居なければ不安になって怯えてしまう。そんな可哀そうな事。何より何故治癒施術の授業だけを問題にするの…」

「お嬢さまそれはそうなのですが、それを言ってしまえば全ての授業で二人を連れて行く事が出来なくなります。治癒施術の時間だけ御辛抱を…」

「ルクレッア、私からも学校に頼んでルイージだけでも一緒に居られるように致します。、ベルナルダならカンナを預けてもきっと安心できますわ」

 さすがエレノア王女にそう言われればルクレッアも折れなければならなくなった。


☆☆☆☆彡

 結局ルイージは洗礼を受けているからと言う理由でルクレッアの補佐を認めさせたのだ。

 ラスカル王国の基準でも、清貧派の考え方でも、洗礼を受けていれば同じ信徒だと言う理屈を押し通す事が出来た。

 そこで第三王子派の講師たちは農奴である二人に名を与え洗礼を施した事への不満をグチグチと述べ立てて牽制してきた。


 農奴に対して未熟な神学生の判断で名を与えた事、そして神学校に事前に連絡なく洗礼を施した事。

 前例が無いので今回は咎めないが二度目は無いと警告された。

 政治的な事も有る上に表立って何かを画策すれば、市民の反感を買ってしまうのでこれ以上の嫌がらせは難しいのだろう。

 それでもルクレッアは我慢ならないようだ。


 農奴に洗礼を施す事はその主人の気持ち一つだ。

 大概の主人は無駄に聖教会に金を払わねばならないと受けさせることはあまりいない。

 当然メリージャの第三城郭の貧民でも洗礼は受けられる。洗礼は全ての人に与えられる権利として聖典にも記されている。

 だから余計に農奴に洗礼を施すという事は、農奴を人と認めるという事になる為、その行為自体に否定的な者もいる。


 洗礼式を行わないと属性が発現し難い上、自分の属性が分からない。中には自力で発現させる者もいるそうだが多くは無い。

 そして魔力を使えるようになるという事は主人に歯向かう時の牙にもなり得るという事なのだ。


 教義上要らぬ知恵や力は原罪であると考えるものは猶の事農奴に洗礼を施す事を嫌う。彼らが欲するのは愚かで従順な家畜であって人では無い。

 それでも洗礼を施す者がいるのはなにより売値が上がるからだ。使える仕事の幅が広く仕事量もふえるから。


「間違っています。洗礼の機会はすべからく万人に平等にあるべきです。…とは言うものの私の領地では獣人属にその機会は与えられていません。だからラスカル王国もハウザー王国もどちらも間違っているのです」

「仰る通りですわ。福音派は平等を謳いつつ農奴を人扱いしない。教導派は高位者による下層民の救済を唱えつつ獣人属や平民を搾取対象としか思っていない。腐っているのですよ聖教会は」

 ルクレッアの言葉にテンプルトン子爵令嬢が大きく頷いて賛同する。


 教導派教皇の孫娘と福音派総主教の姪である枢機卿の娘たちは、実家の教義に疑問を通り越して不信を覚えている。

「洗礼前のこんな小さな子供の段階で人として生きるすべを教えられず家畜の様に隷属するのが当たり前としつけられている。ラスカル王国の貴族を傲慢で強欲と罵る我が王国の貴族だって同じで何一つ違いなんてない。私は高位貴族である事すら恥ずかしいと思います」

「私は王族や宮廷貴族を間近で見てきました。私こそラスカル王国の王族である事がこれほど疎ましく思った事はありません。どうして大人たちはこうした子供たちに目を向けないのでしょう」

 オーバーホルト公爵令嬢の血を吐くような言葉にエレノア・ラップランド王女が深く頷く。


「知らないし、関心が無いからじゃないっすか。高貴な人はそんな所に行かねえっすもの。顔も知らない話した事も無いそんな相手に関心を持ってないんじゃないすか」

「それでも…」

「私だってそうだったっすよ。エレノア様を知っているから尊敬もするしお守りしたいと思うっすけど、国王陛下や王子殿下たちに関心は湧かないっす。それと同じで大人たちも会った事も無い農奴や獣人属の人に関心が湧かないんだと思うっす」

 シモネッタ・ジェノベーゼ伯爵令嬢は商家で育ち留学に送り出される為だけに伯爵家に養女として迎えられた貴族とも言えないような境遇である。


「でも皆がそんな事は…」

「王女殿下、シモネッタの言った事は私も判らないではありません。母上の実家や父上の枢機卿家も上だけを、権力を持つことや他の貴族を蹴落とす事だけを見て、それに巻き込まれる人を見ていません。私の家族もアラビアータ枢機卿家の一翼を担うものですが聖教会で信者の顔など見ている者はおりませんもの」

 アマトリーチェ・アラビアータ伯爵令嬢は今回の留学の前から実家や実父の枢機卿に不満を持っていた様で、ハウザー王国に入ってからはその不信を隠す事さえしていない。


 短慮ではあるが正義感の強い若い神学生たちはルクレッアに共感を覚えるものばかりだ。

「私はここでエレノア王女殿下たちと接してラスカル王国に住む貴族もハウザー王国の貴族も何も変わらないのだと判りました。欲深で傲慢で清貧派への改宗だけでは全てを変える為に多くの時間が、涙が、血が、命が必要となってしまう。でも今私には力がない」

 ルクレッアは二人の奴隷の頭を抱き寄せながら忸怩たる思いを口にした。

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