閑話7 ジャックのクエスト(2)

◇◇◇◆◇◇◇◇


 人口が百人に満たない小さな村だった。

 ジャンヌ様の言う通り、皆口と鼻を麻布で覆い病人の居る家の出入りのたびに手を洗い、度々うがいをする様に命じられている。

 温厚なジャンヌ様がこの事だけは譲らなかった。


 何でもこの病は人の唾や鼻水や体液にその病魔が潜んでいるそうだ。その上その病魔は目に見えず、体液が手や体に付くといつまでもそこに潜んでいると言う。

 なので手を洗い、口の中の病魔を洗い流す為うがいをする必要がある。

 人の口や鼻を介して体内に病魔が侵入するので、口と鼻は出来る限り布で覆っておく事。

 食事の準備は、手を洗って口は布で覆って作るように、食べ物や水は必ず火を通して食べるように、飯を食べる前には手を洗ってから。


 良かったぜ。飯の時も口を覆っていろと言われなくて。そうなったらどうやって食べればいいのかわからねえからな。

 でもよう、何となくやらされることがお嬢と似てるんだよな。お嬢はジャンヌ様のように優しくねえけどな。

 お嬢は手を洗って無いと、問答無用で蹴りを入れる奴だから。マヨネーズ売りを始めた頃は徹底的にやらされたもんさ。


「アルビドのおっさん、その手洗いじゃあダメだ。もっと、こう指と指の間に指を入れてこ擦り合わせるように」

「なんだい、面倒だなあ」

「ジャックさんは、手洗いのやり方をよく知ってらっしゃいますね」

「俺はマヨネーズ売りをやってたから。食べ物を扱う者の基本だって、叩き込まれた」


「···それもダドリーさんの?」

「ああ、ダドリーの実家のハバリー亭がマヨネーズ売りの店もやってんだ」

「やっぱり···、間違いなさそうね。」

「えっ? なんて?」

「ジャックさんの手洗いは完璧ですよ。それを心掛けていれば病気もしませんよ」

 ジャンヌ様に誉められたぜ。お嬢の小言も役に立つんだなあ。


 ジャンヌ様が治癒に当たる間は、建物の見張りと村の見回りだ。

 ジャンヌ様の治癒魔法は普通の方法では無く、特別な方法だそうだ。四属性では無い属性だそうで、その魔法で病魔を滅するのだそうだ。

 ジャンヌ様はウイルス? を殺すとか殺菌とか言っていたが。


 ジャンヌ様の治癒を受けた患者は、しばらくすると熱も下がり、滋養のつく消化に良い食事を与えられ眠りにつく。

 ジャンヌ様は朝早くに村についてから、休み無く昼過ぎ迄治癒に回っている。

 そして老人と子供十六人を治癒して終ったが、これで終わりではない。村人を集めて病魔の呪いを防ぐために、うがいや手洗いなどの説明。日の光で病魔を払う天日干しを勧め、病魔の嫌う杉の木っ端を使う汚物の処理とか木酢液やハーブウォーターの作り方とかの話をする。


 そしてやっと昼飯だ。村人が用意してくれたシチューに、マヨネーズをタップリと塗ったライ麦パンをみんなで食べた。

 食べ終わるとすぐに馬車に乗って隣の村に移動する。ジャンヌ様も一緒に手伝いで回っていた修道女様も揺れる馬車の中でぐっすりと眠っている。

 移動の一刻足らずの間だが二人には体を休めてもらう。


 次の村に着くと直ぐにまた治癒治療だ。八人の治癒を終えるともう真っ暗になっていた。

 貧しい村で食事をご馳走になる訳にはゆかないと、聖教会から持ってきた食料を村人にも振舞う。その席でまた病魔対策の指導を行うと二人にはベットに入ってもらう。


 俺たち三人は交代で不寝番だ。アルビドのおっさんの話しによると、ジャンヌ様は今でも教導派の連中に狙われているそうだ。

 先代の聖女様の娘としてジャンヌ様の名前が世に知れてしまえば清貧派の力が増すので、その前に手を打とうと教導派は焦っている。

 今まではジャンヌ様を攫おうとしていた教導派だが、最近では攫えないなら殺してしまえという考えの者もいる様だ。

 だからこの旅は気が抜けない。


◇◇◇◇◆◇◇◇


 夜が明けると直ぐに出発の準備である。

 今日は周辺の小さな集落を六カ所回らねばならない。

 食事は三食全部移動しながらだ。なかなか火も使えないのでゴッダードブレッドだ。

「なあ母ちゃん、マヨネーズは必需品だろう。アルビドのおっさんもクエストがある時は俺に言いな。俺の顔で少しは値引きしてやるぜ」

「おめえを儲けさせるくらいなら、聖教会教室のチビ共から買ってやるよ」

「そう言えばゴッダードの街ではほとんどの子供たちが聖教会教室に通っていらっしゃるとか…」

「ええ、最近じゃあ成人前後の娘さんもセイラカフェの算術教室に沢山通ってんすよ」

「そのセイラカフェと言うのは?」

「ああ、お嬢がやってる店さ。そこで聖教会教室に行けなかった世代を対象に算術と読み書きの教室をやってるんだ。獣人属なんかも沢山来てるぜ」


「お嬢と仰るのはセイラ様の事でしょうか? セイラ様の事はシスタードミニクからも色々と伺っております。子爵家のご令嬢なのでしょうか?」

「へっ? お嬢は平民だよ。ライトスミス木工所の跡取り娘さ」

「ジャック、あそこはこの間弟が出来ただろう」

「ああ、けどぜってえお嬢が後を継ぐぜ。継がなくてもライトスミス商会はお嬢が仕切って独立するだろう」

「子爵ではないのですか? ライトスミスというのはそのセイラ様の…?」

「ああ、セイラ・ライトスミスって言えばゴッダードじゃあ知らねえものはいねえよ。少なくとも下町のガキどもでお嬢の世話になってないものはいねえな。セイラストリートイレギュラーズは俺達の誇りだぜ」

「カンボゾーラじゃなくて、ライトスミス…。平民なのね。それじゃあ違うわね」


 ジャンヌ様は安心した様に何かポツリと呟いてから微笑んで顔を上げた。

「わたしもそのセイラお嬢様にお会いしたいものですわ」

「やめた方が良いぜ。ジャンヌ様はお上品で優しいから、エマやグリンダに付け込まれてお嬢の使い走りさせられそうだから」

「そうなのですか?」

 ジャンヌ様は目を見張って言った。

「誰でも何かの役に立つ、命は金で買えない、知恵は盗まれないが口癖でよう。なんでも教えてくれるけど人使いの荒いのが玉に瑕だ」


 そんな話をしながら最後の州境の村に着いたのは日の暮れかかった頃だった。

 その村で二人の子供の治療をして、予定の村は全部回った。

 ジャンヌ様と修道女様は村人の母屋に泊まって眠っている。


 俺は今日は一番目の張り番で村の入り口で焚火を焚いてあたりの気配を探っている。

「ジャック、交代だ。眠ってきな」

「母ちゃん、まだ少し早いぜ。」

「夜の張り番も慣れていないだろう。眠気が出たら感覚が鈍るんだよ。わたしは休んだからもう交代だ、部屋に戻りな」

 母ちゃんに言われて番小屋に戻ると、毛皮を被って眠っているアルビドのおっさんの隣で俺も毛皮を被った。


◇◇◇◇◇◆◇◇


 何か嫌な気配がする。長年こういう稼業をやっていると眠っていても気を張っているのか勘が鋭くなる。

 アルビドが体を起こすと、向かいの壁にもたれて眠っていたはずのジャクリーンと目が合った。

「ジャックを引き上げさせな。先に行ってる」

 毛皮の下に荷物を詰め込み寝ている風を偽装して表に出た。ガキのジャックに荒事は未だ手に余るだろう。


「州境沿いの北から来るかと思ったんだがな。川を渡ったのか。ご苦労なこった」

 アルビドは小川の岸から這い上がって、村の柵を壊そうとしている三人組に声を掛ける。

 一人が無言でナックルガード付きのダガーで斬りかかってきた。残りの二人もダガーを構えて様子を窺っている。


 アルビドはダガーの刃をメッサ―で薙ぎ払うと、胴をめがけて蹴りを入れる。相手は後ろに飛んでその衝撃を躱すとダガーを構えたまま様子を窺ってくる。

「悪い事は言わねえ。大人しく引いてくれ。お前らの腕じゃあ俺は貫けねえぜ」


「お前こそあと二人は女とガキじゃねえか。そいつらを守りながら三人じゃあ荷が重いんじゃねえか」

「言っただろう。お前ら三人じゃあ俺は貫けねえ」

「俺たちが三人って誰が言った」

 その言葉と同時に母屋めがけて火矢が飛んだ。


「!!」

 虚をつかれたアルビドめがけて刺客が襲い掛かる。

 しかし火矢は一陣の風に煽られて軌道をそれて地面に刺さる。

 そして物陰から躍り出たジャクリーンの手からナイフが飛ぶと、アルビドに切りかかろうとする刺客の右目に突き刺さった。

 仰け反る刺客を尻目にアルビドは後ろの一人の右腕をメッサ―で袈裟懸けに切り下す。


 母屋の前では全力で風魔法を放ったジャックが肩で息をしている。

「おいジャック、いつ風魔法なんて習ったんだ」

「ああ、暇な時に聖教会教室でヘッケルさんに教えてもらった」

「あー! 俺はおっさんで、ヘッケルはさん付けかよ」


「お前ら! 母屋の人ごと焼き殺すつもりだったんだね」

 二人の軽口を無視してジャクリーンが怒りの声を上げる。

「たかが農家の平民だ。皆殺しにすればあと腐れもねえ。一人頭金貨五枚の大仕事だったんだよ。当てが外れたがな」

 無傷の男が右腕を失った男を抱えてじりじりと後退して行く。もう一人は右目にジャクリーンのナイフを突き刺したままアルビドを警戒しつつこれに続く。


「割に合わねえ仕事だったぜ」

「たかだか金貨五枚で家族まとめて皆殺しなんて、ふざけんじゃないよ。あんた達だっていくら金を積んでも失った腕も目も帰ってこないんだよ。命を軽く見てるんじゃないよ!」


「説教は沢山だ! くそババア」

 そう言い残すと三人は一気に柵の外に駆け抜けて姿を消した。

「アルビド、後片付けだよ。ジャンヌ様達には気取られないようにね。あの娘はこういう事を気に病むから」

「どういうことだよ」

「自分の為に人が傷つくのがとても嫌なんだよ。両親もお婆様も自分の為に死なせていると思っているんだよ」


◇◇◇◇◇◆◇◇


「ありがとう御座いました。ジャックさんとご一緒出来てとても楽しかったですよ」

 ジャンヌ様は花の咲いたような笑顔で俺にお礼を言ってくれた。顔が火照って来るのが分かる。

「何色気づいて赤くなってやがんだいバカ息子」

「うるせえなあ! 母ちゃんは黙ってろよ!」

「お二人とも仲が宜しいんですね」

「バカ言っちゃあいけねえ。こんな猪母ちゃんいらねえよ」


「ウフフ、私も一度ゴッダードに行ってみたいものです。美味しいものが沢山有りそうですね」

「あっ、そうだ。マヨネーズが一壺残ってるからジャンヌ様にあげるぜ。みんなで食べてくれ」

「宜しいのですか。ありがとうございます」

 ジャンヌ様は顔を輝かせて喜んでくれた。


◇◇◇◇◇◇◆◇


「おい、ジャック。残った食材は帰りの飯にするんじゃなかったのか?」

「ねえ、ジャック。せっかくのマヨネーズが、もう切れて無いんだけどねえ」

「しかたねえだろう。無いものはないんだよ」

「本当に何色気付いてんのさあ···まったく」


「仕方ねえなあ。酒出せよ、酒。クエストも終わったし」

「はあ? クエストは家に着くまでがクエストだぜ。バナナはおやつに入らない」

「バナナってなんだ? おやつってなんだよ?」

「知らねえ。お嬢が言ってた」

「お嬢はいいから酒出せ、酒」

「ひつけえなあ。酒はゴッダードについてからだ」

 母ちゃんとアルビドのおっさんの愚痴を聞きながら、ジャンヌ様を守れてそして事件を知られなくて良かったと思う。

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