第57話 密談

【1】

「まず言っておく。あんたは大きな勘違いをしている。ここの聖教会はラスカル王国とは違う。清貧派でもだ」

「清貧派でも?」

「ああ、思想は近くても目的も価値観もまるで違う。それから貴族もだ。ラスカルの貴族とハウザーの貴族は別ものだ。獣人属はもちろんだが、これは人属の貴族についても言える。もちろん人属と獣人属も上に行くほど違いがでかい」


「ラスカル王国では聖教会の教導派が王家や北部・東部の貴族を牛耳っています。南部・西部の貴族は清貧派に付く者が殆んどです。貴族対立は聖教会の派閥対立に呼応しています」

「やっぱりあんたは只の子供じゃねえな。それならハッキリ言わせてもらおうハウザーは聖教会も貴族も平民もみんな対立している。そもそもハウザーは獣人属の国だ。その国の聖教会福音派は幹部に獣人属を入れない。貴族は貴族で人属の貴族は居るが身分は低く冷や飯食いが多い。獣人属・人属対立が聖教会と王国貴族の対立になっている」


「種属対立が原因で聖教会と貴族が対立しているという事ですね」

 私が答えると、コルデー氏は皮肉な笑いを浮かべて答える。

「表面上はな。だがな、この国の根本的な問題はそんなところにあるんじゃない」

 コルデー氏は不敵に笑う。


 私は彼の意図するところを分かりかねて困惑する。

「教えてやろう。農奴だよ」

「身分差別ですか?」

「近いが大分違う。身分などではない。人としての根元の問題だ」

「えらく根源を強調していらっしゃいますが、何を仰りたいのでしょうか」

「人と農奴の対立だよ」

「それは身分じゃないのでしょうか」

「違うな。農奴は人じゃない。ハウザーの、特に貴族や聖職者どもは農奴を人とは思っていない。生かすも殺すも主人の自由。食い物さえ与えていれば、後は何をしても誰も咎めない。だからみんなメリージャに逃げてきているんだよ」


 ラスカル王国には農奴は居ない。名目上廃止されている。少なくとも私の周りには存在しない。

 でもハウザー王国は違うんだと言う事を遅まきながら今悟った。

「ハウザー王国では貴族や農園主、そして聖職者もみな農奴持ちだ。大きな土地を持つ者はすなわち農奴持ちなんだよ」

「でも、農奴持ちでも良い主人も居るでしょう」

 コルデー氏は諦めた様に続けた。


「良い主人であろうが悪い主人であろうが農奴持ちは農奴持ちなのさ」

「意味が良く解りません」

「あんたはペットは飼った事が有るか? もしも、もしもだ。あんたの身内…妹なり弟なりが命の危険に陥った時に代わりにペットの命を差し出すのを躊躇するか? しないだろう。そう言う事だ」


 農奴は人じゃない…そう言う事か。

「理解は出来ました。…でも、多分本質を解っているとは申しません。そのような経験をした事も無く、そういう感情を同じ人間に持った事も無い以上知った風な事は言えません」

「納得は出来ても、解ったとは言わないんだな。あんたは何者だ?」


「あなたこそ平民ではありませんよね。一般の平民以上の、いえ一般の貴族でも知り得ない様な知識をお持ちの様ですね。何者なんですか?」

「ああ、俺は元伯爵家の三男だった。女房のカロラインは俺の屋敷で働いていた下働きだったんだ。俺が洗礼式を受けた頃に屋敷にやって来て俺の側付きになった。頭の良い子でね、教師の指導を受けると俺よりも先に文字も掛け算も覚えた。そして俺が成人して法科の修業を終えて帰って来た時に公爵家に売られて連れていかれるところを奪って出奔したんだよ。それからは二人で農奴に混じって隠れて暮らした。公爵家に追われていたんでな。実際に農奴と暮らして初めてその苦しみを理解できた。だから農奴を助けたい。この社会を変えたい、子供が出来たんだ、子供の笑顔を見続けていたい」


「その気持ちは解ります。子供を守りたいと言うその気持ちは…」

「ああ、あんたと話していると何とも…年上と話しているような錯覚を覚えるよ。本当に十二歳なのか? 本当に利口な、いやこういう言い方は失礼だな。娘の雇い主として敬意を払わせていただく。あんたのやろうとしている事にも共感しているし、俺の知識は役に立つ。手伝わせてくれ…いや、手伝わせてください」

 そう言うとコルデー氏は頭を下げた。


「やめて下さい。私のような小娘に頭を下げないでください。もし手伝っていただけるのなら、私の方からお願いします。是非、力を貸してください」

「あんたの理想の助けになるなら、俺も俺の妻も好きなだけ使ってくれ。子供たちが幸せになれるなら命でもくれてやる。子供の為に惜しむものなどない」

 …その言葉は私(俺)の心を抉る。

「そういうのはやめて下さい。命を天秤にかける様な真似は私が絶対にさせませんし許しません。誰一人命を落とさない、不幸にならないそんな方法を求めるなら是非にお願い致します」

「解った…いや解りました。命と家族を守りながら身を粉にして仕えましょう」

「それならば、商会職員として雇わせてもらいます」


【2】

 コルデー氏との話を終えて、一緒に立ち会っている四人に向かって聞いた。

「リオニー、アドルフィーナ、ナデテ。あなた達はコルデーさんの話をどういう風に聞いたのかしら」

「わたしは…多分アドルフィーナやナデテも同じだと思いますが、ハウザーでの記憶は有りません。物心ついた時からゴッダードで暮らしていましたから。両親もハウザーの事はあまり話しませんでしたし」

「リオニーと違ってわたしの親は商人でしたので話は聞いた事がございますが、ハッキリ言って実感がございませんわ」

「わたしもぉあまり考えた事は有りません」


「お嬢さまのご決断、全力で御助成致します。私はこの方の事は解りませんし、信用が出来るかどうかの判断基準は持ちません。ただお嬢様の筆頭メイドとしてお嬢様を信頼しております」

「わかったわ。コルデーさん、この街の平民の事を教えてください。あなたは平民の商人達の事をどう思っているのでしょう」


「平民か…。平民はいつ農奴に落ちるか分からねえ。農奴はうまく逃げおおせられれば平民に成れるかも知れねえ。もちろん垣根は有る。農園主は平民だ大商人共も平民だ。ただな、平民の農奴持ちは少しはましな飼い主だ。農奴を馬や牛程度には思っているさ。金になる財産だからな」

「人が金になる…。いやな言い方ですね。でも貴族は違うんですか?」

「ああ、まるで違う。あいつらは糞だ! あいつらにとって農奴は虫けらさ。ペットだとしてもキリギリスか蝶々かそんなもんだ。気に入れば平気で標本に出来る。そんな奴らだよ」


「あなたも元貴族じゃないですか」

「だからわかるんだ。俺の中にもその濁った血が流れてるんだよ。この目で親兄弟を、親類を、友人を見てきた。でも愛してしまったんだカロラインを…。だから法学を学んだ。カロラインを救おうと思って。…結局無駄だった。何一つ変える事も出来ず、帰ればカロラインは公爵家に売られて標本にさせられようとしていたんだ。だから逃げた、大公家の追手から、濁った貴族の血から」


「それでは聖職者はどうなんでしょう? 貴族か農園主か」

「あんたは勘違いをしている。高位の聖職者は貴族なんだよ。王国に四家しかなかった人属の貴族家から選出されるのさ。…今は五家に増えているがな」


「それで聖教会と貴族の対立というのは?」

「簡単な事だ。枢機卿を選出する四貴族は貴族身分が低いんだよ。ハウザー王国の慣例で子爵家より上にはなれない。その代わりに他の貴族家から聖職者になっても司祭以上に成る事は無い。これも福音派の慣例だ。だから聖職者になるのは貴族家にとって罰なんだよ」


「と言う事は下位の聖職者は罰を受けた貴族と言う事ですか?」

「ハハハ、追放貴族がそんなに多いと貴族家など無くなって良いんだがな。ほとんどは平民だよ。聖職者になるのに規制は無いし出自が調べられる訳でも無いから逃亡農奴も居るな。特に修道士や修道女の中には間違いなく混じっている」

「それなら聖教会は農奴の受け皿に…」

「無理だ。聖句も語れない。聖書も読めない者を聖教会は聖職者にしない。読み書きが出来ないと聖職者には成れない。洗礼式か聖年式の後に金を払って下働きとして教会で働きながら読み書きを覚えてやっと見習いに成れる。農奴で読み書きが出来る者など殆んど居ないし、そんな金など逃亡農奴は持っていない」


「それでコルデーさんは下町の子供に字を教えているのですか」

「まあな。せめて現代語訳の聖句集でも読めれば聖教会で見習い修道士に成れる。聖教会には居れば捕まえられる事も無い」


「コルデーさん。この後の商工会主たちとの打ち合わせに同席してください。着る物はダンカンさんの物を借りましょう。急いで体も顔も洗って着替えてきてください。グリンダ、ナデテ用意を手伝ってあげて」

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