第177話 窮民救済法案(1)

【1】

 カロリーヌはこのところ週の内の半分しか王立学校に通えていない。

 残りの半分はポワトー伯爵領や王都のサン・ピエール侯爵家の別邸で商人相手に過ごしている事が多い。

 しばらくはこういう日が続くのだろうが、色々と頭の痛い事も有ると嘆いている。

 何よりも学校での他の生徒たちの視線や態度に些か傷つく事が有るのだ。


「最近は寮や他のクラスの皆さんが私の事を誤解していらっしゃるようなのです」

 私とジャンヌはカロリーヌの愚痴を聞かされている。

 女伯爵カウンテス就任の経緯から簒奪者の様な評判が立っているのは仕方ないのだが、最近はやり手の領地経営者で政治家としての才覚も高いとの評判になっている。


「困るのです。評価され恐れられるのは構いませんが、私はその評価に値するだけの才能なんてありません。ヨアンナ様やセイラさんの手の上で踊っている駒に過ぎないのですから。こんな事ならオズマさんの様に仕事優先で学校に出てこない方が良かったかもと思ってしまいますわ」

 本人は本気でそう思っているようだが、決断力と実行力に並外れた物が有る事をもっと自覚すべきだろう。

 私やエドから参謀としての意見を聞くと、取捨選択して速攻で手を打てるのは才能だと思うのだけれど。


 良くも悪くも恐れられて崇められている事は間違いはなく、それがプレッシャーになっている事も否めない。

 少しでも愚痴として吐き出す事で気が楽になるのだろうと思い黙って聴いておくことにする。


 どうも上級貴族や宮廷貴族の間でカロリーヌに急におもねる様な態度をとる者が増えているのが気に入らないようだ。

 元々大司祭の四女など大貴族であっても政略の道具としか見られておらず、軽く扱われていた。

 それが現役の伯爵になったとたんに周りの態度が変わったそうだ。


 教皇派閥の教導派聖教会系貴族から裏切り者と罵られる事や憎まれる事は覚悟していたようだが、女だと侮って婚姻を迫る大貴族の次男三男や、掌を返してすり寄ってくる貴族の女性たちに辟易しているようなのだ。


「特にジャンヌさんのように人格者でもございませんし、クロエ様のような一途に守って下さる方も御座いませんし。舐めた態度で婚姻を迫る男どもの顔を思い出すだけで腹立たしく感じるのですよ」

 ジャンヌやクロエが男女関係の機微に詳しいかと言われれば、私はどちらも天然だと思う。

 特にクロエは自己評価が低く、ウィキンズしか見えていないから、他の男どもの好意に一切気づかなかっただけだろう。


「特にクラスメイトのマルコは、侯爵家の地位と近衛騎士団の団員という立場をひけらかして散々私をバカにしていたのに、養子に入ってやっても良いと上から目線で! 何様だと思っているのかしら。これ迄メアリー・エポワス伯爵令嬢に色目を使っていたくせに!」

 カロリーヌはモン・ドール侯爵家の三男のマルコに怒り心頭のようだ。


「ですから、今回のこの検討会にはワクワクしているのですよ。この法案が通ってあの男がどんな顔をするかと思うと、少しは気が晴れるかと思うのですよ」

 そう言うと馬車を降りてハバリー亭に入って行く。

 三日ぶりにジョン殿下たちの救貧院廃止法案の検討会に参加するのだ。


【2】

 ジョン殿下たちは出資者会議以降、毎日ここで検討を続けているそうだ。

 クロエがウィキンズとカマンベール子爵領に帰ったので、ナデタが毎日指導に通っていると言う。

「ナデタ、すまないがここの文章をチェックしてくれませんか。あなたの私見で構いませんから。法案としては弱いような気がするのです」

「そうですね。イアン様の仰る通りここは準ずるでは無く、従うと言い切った方が良いのでは無いでしょうか」

「ありがとう。やはりそう言い切った方が言い逃れが出来なくて良いしょうね」


 イアンはそう言うと、官僚が上げてきた法案に横線を引いて但し書きを記入している。

 なかなかどうして、ナデタとも上手くやっているじゃないか。

「おおアドルフィーネもナデテも来てくれたか。早速ですまんが俺たちが作った素案を校閲して貰えないか。アドルフィーネに承認を貰えれば先ず間違いはないからな」

 アドルフィーネはジョン殿下の信頼も厚いようだが、私の専属メイドだから絶対手放さないからね!


「法案の骨子はほぼ固まっているのですが、技能教育を兼ねて収容者にさせる仕事の手段が思いつかない」

 イアンが難しい顔で言う。

「まあ今考えている内容を聞いてくれないか。それで守銭…商人の感覚でアドバイスをくれないかな」

「おい! ヨハン様、今守銭奴と言いかけただろう。体にわからせてやっても良いんですよ」

「いや、言って無いぞ。お前の聞き間違いだ」

「落ち付けセイラ・カンボゾーラ。後で俺が立ち会人をしてやるから先に話を聞け」


 珍しくイヴァンがまともな事を言った。

 それを受けて慌ててヨハン・シュトレーゼが説明を始める。


 まず救貧院の解体理由だが、まず一番の理由は新たな収容者が減っていると言う事。

 保護すべき子供が大幅に減っている事と、子供たちが収入を得る事でその家族もどうにか生活できるものが増えたためだ。


 次に救貧院に収容されている大人たちがいつまでたっても正業に就かない事。

 表向きは職業請負を出来る人間が正業に付けないのならそんな施設に税金をつぎ込むことは無駄であると言う主張だ。

 もちろん真の目的は教皇派閥の貴族たちに税金を垂れ流す事を止めさせる口実だ。


 救貧院で仕事をさせる事が出来るのに正業として雇われるものが居ないのは、仕組み自体に問題が有るとして、解体して新しい仕組みを作る。

 仮住まいの施設を提供し、教育と職業訓練を兼ねた仕事を斡旋して、その収入で衣食を賄い最終的には就職させることを目的とした新たな施設。

 その名前は職業訓練所。


 救貧院の施設を転用し、読み書きと四則演算の教育、そして職業訓練となる技能習得が出来る施設を併設する。

「一つは冒険者ギルドと提携して低レベルのクエストを受注し経験を積むと言う案が出ている。薬草採取や街の掃除などで経験を積めば冒険者への登録も可能になる。これは採用なのだがそれだけではなあ」

 この案はイヴァンからの提案だそうだ。


「やはりネックになるのは職業訓練を伴なう仕事をどこから貰うかですよね。私の治めるポワチエ州で盛んに行われている聖霊歌隊は、その訓練に組み込むことは可能でしょうが、これは子供しか対象に出来ないですし」

 でもイヴァンの案と併せて採用だ。


「カンボゾーラ子爵家でもいくつか参加できそうな事業が有るから…」

「セイラ様、それは今回はお止めになった方が宜しいと思います。アヴァロン商事やカンボゾーラ子爵家の名前は反発が大きいと思います」

 反教導派、反王室のイメージが強い我が家が表に出ると法案の足を引っ張る事になりそうだ。


「法案が可決すればアヴァロン商事やライトスミス商会が入る事は容易なのだろうが、今は反発が強いだろうな。何より母上が黙っておらんだろう」

 ハウザー王国嫌いハッスル神聖国嫌いの王妃様がまず認めないだろうな。

 なにかハスラー聖公国系の貴族や商人に利が有ると映るような良い案は無いだろうか。


「いっその事聖教会工房を組み込んではどうでしょう」

 ジャンヌの発言に皆が慌てた。

「いかんぞそれは。聖教会教室と工房は一体の物だ」

「そうですよ。そんな事をするとあなたの力がそがれる事になる」

「そうだよ。ジャンヌの悲願じゃないか。国中に聖教会教室を作る事は」


 そうだよ。ジャンヌの悲願じゃないか。

 そんな事を言ったならば清貧派の力を削ぐ事になりかねない。教導派の貴族連中は喜ぶだろうが…!

「そうだね。聖教会工房には泣いて貰おうかな」

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