第178話 窮民救済法案(2)

【2】

「いったい何を言っているんだセイラ・カンボゾーラ」

「セイラさん、目的のために方法を間違ってはいけませんわ。ジャンヌさんの不利になるような事はちょっと容認できませんわ」


「でもこの法案が通って救貧院が無くなるのならば、それでも構いません。それで救われる者が増えるのですから。かつてセイラ・ライトスミス様は子供教室もチョーク工房も自分が行うより早く多くの人が救えると言う理由で聖教会に無償で譲り渡したのです。それならば私も同じ理由で聖教会工房を譲り渡しても構わないでしょう」

 いや私はそんな事は言っていないからね。

 何よりキッチリと利益は頂きましたし、特許の無かったあの当時に特許代わりに使わせて戴きましたし。


「構うであろう。それは絶対ダメだぞジャンヌ」

「この法案が通ってもジャンヌが不利になるのは私も賛成できません」

「セイラさんも何をおしゃっているのですか。ジャンヌさんをお止めして下さい」

 皆慌てふためいている。


「セイラさんは判って頂ける様ですよね。私は救貧院が、あそこの子供たちが救われるのなら何も惜しくは無いのです」

「それは違いますよ、ジャンヌさん。もう今となっては聖教会教室にかかわる人たちも聖教会工房に関わる者たちも沢山います。ジャンヌさんの一存で全てを渡してしまえるような状況では有りません」

 ジャンヌの決意も気持も判るが、聖教会工房はもう国の半分近くに根を下ろしつつある。彼女の一存でどうにかなる話では無いのだ。


「でも、それならばどうして? なぜあんな事を仰ったのですか?」

「私は何も聖教会教室や工房を無くすとかそう言った意味で言ったんじゃないんですよ。一方的に教皇派の貴族を叩くだけでは全ての賛同を得られない。今のままでは清貧派有利な法案と見られる可能性もある」


「別に税金の無駄を無くすだけで、清貧派聖教会とは関りの無い法案だぞ」

「そうですよ。今清貧派が行っている役割を国が代行して行おうとしているのですから、清貧派の拡張を狙う者にとってはブレーキになる法案でしょう」

「その通りかもしれませんが、救貧院を積極的に潰してきたのが清貧派聖教会です。この法案で聖教会教室や聖教会工房に人が集まると危惧する者もいるでしょう」


「少なくとも南部貴族たちも北西部貴族たちもこの程度の事ならば、不利だとは思わないでしょうね。きっと賛成に回ると思いますわ。そうなれば教導派貴族の多くは私たちが清貧派と手を結んだと思うものも出てきそうですね。まあポワトー伯爵家については事実ですけれど」

 カロリーヌは肩をすくめて言った。


「同じ王妃殿下派閥の貴族でも清貧派を快く思っていない方は多いでしょう。一方的に教皇派貴族にだけダメージが大きすぎるのですよ。清貧派と教皇派を天秤にかけた時、教皇派を選ぶ貴族もかなり居るのでは無いでしょうか」

 案外と日和見的な中立貴族も多い現状で、王室や教導派に牙をむく南部貴族や反国王派の急先鋒の北西部貴族を不安視している者も多い。

 教導派どうしでの対立を嫌い、現状維持を望む者かなりいるだろう。そうなればこの法案は潰される。


「ならばどうする? 其の方の言い方なら聖教会工房を無くすつもりも無いのだろう。その上で聖教会工房に泣いて貰うとはどういう事だ」

「ええ、ここは関係する派閥それぞれにデメリットが有る様に見せかけます。三方一両損の例えの様に」

「…?」


「金貨三枚を落とした男がそれを拾った男と所有権を求めて争っていたのですよ。そこで代訴人が仲裁に入り金貨を一枚出して、二人に金貨二枚ずつに分けさせた。落とした者も拾った者も仲裁に入った代訴人も金貨一枚損をして納得して帰って行った。…というたとえ話です」


「そんな例え話があるんだね」

「私は、セイラさんのその話どこかで聞いた事が有るような?」

 ヨハンとジャンヌも話に食いついてきた。


「ほう、それで係争を回避できたのならば良い案ではあるな」

「ああ、自派閥が損失を出す代わりに他の派閥にも損失が出るので痛み分けと言う事にして納得させろと言う事ですね」

 ジョン殿下とイアンはその例えに納得がいったようだ。


「…何かおかしくないか? 拾った奴が得してないか?」

 イヴァンが話の本質を突く。

 そうなんだよなあ。この男ナチュラルに鋭いんだよな。


「私も皆が騙されている様な気がしますわ。代訴人は関わった為に丸損。落とし主も三割の損。偶然に拾った男だけが利益を得ているのですよね」

 カロリーヌも疑問を呈して来た。


「ええ、情報操作ですよ。特に当事者でないならばこんなロジックでも公平に思えてしまうのですよ。今回の法案も直接影響が出るのは教皇派貴族でも聖教会と関係が深い大貴族が殆んどですから」

「そうですわね。聖教会と直接かかわらない貴族は救貧院からの利益は殆んど無いでしょうね」


「彼らは上級貴族に義理立てして反対に回るかもしれませんが、他の派閥にも影響が大きいと思えば容認に回る可能性は高いでしょうね。特にその相手が清貧派聖教会であれば」

「それで清貧派にも泣いて貰うと言う事か。少しの損失は覚悟して法案の成立を優先させろと言う事なのか」


「私は今すぐにでも南部に帰って伯父上や聖教会関係者を説得致します。北西部も全て廻って…」

 ジャンヌは相当入れ込んでいる。

「ジャンヌさん、落ち着いて。まだ何をするかも決まっていませんよ」

「そうだなセイラ・カンボゾーラ。それで何を企んでいる」


「そうですね。王妃殿下派閥のはポワトー女伯爵カウンテス様の聖霊歌隊と聖霊歌教室を全てられます」

「元より利益の上がる事業でも無い上に、そもそも初めから職業訓練所に組み込むつもりですから」


「そして教皇派貴族は救貧院の管理業務から解放されて、余計な手間をかける事も無くなるのですが、…得ていた利益を取り上げられます」

「この言い分ならば教皇派は表立って反対しにくいな。清貧派の聖教会教室を今後増やさない為と言えば更に聖職者も反論しにくい。教皇派は金貨を落とした男だな」

「ならば私たちはその金貨を拾った方ですね。損の様に見えて何一つ損失は無い」


「それでしたら私たち清貧派が代訴人の役割を担う訳ですか? それでいらぬ係争が治まり救貧院が無くなるなら安い物です」

 ジャンヌが微笑んでそう答える。

「ええ、世間的にはそう見える様な方法を使いましょう」


「セイラ・カンボゾーラ、思わせぶりな事を言うじゃないか。さっさと話してしまえ」

 ジョン殿下に促されて結論を言う。


「チョークと黒板、それにリバーシ盤と新型アバカスの製造独占権を取り上げます」

 さすがに全員に動揺が走った。

「解りました。私がゴッダードに赴いてセイラ・ライトスミス様に陳謝して、ご承諾を貰ってまいります」

 ジャンヌが腹を括ったようですっくと立ち上がった。

「待って頂戴、ジャンヌさん。別に聖教会工房は今まで通りに運用していればいいんですよ。何も変わりませんから」


「一体どう言う事なんです? 独占権を取り上げるのでしょう?」

「ええ、チョークと黒板は聖教会工房の象徴のようなものですから、世間に与える影響は大きいでしょう。でもあまり利益の上がる物でも無いのです。それにリバーシ盤も聖教会工房が作っているのは廉価品ですし、何より聖教会の光と闇の刻印のイメージは出来ていますから大きな損失には成りません。アバカスもアバカス教室と一対物ですから現状と大きく変わりません。職業訓練所が同じ事を始めてもそれほど脅威にはならないと言う事です」


 特許法が成立した時点でチョーク、黒板、リバーシ盤、算盤の四つは既に製品化され流通していた。

 さかのぼっての特許対象には出来なかったのだ。

 だから従来通りの聖教会の刻印と言うお墨付きで製造を縛っていた。

 今回の法案では特許権に該当しないその四品目の独占製造を認めず、同様の工房を職業訓練所にも設けて直販にするのだ。


「そう言う事か。大きな損にはならないかもしれんが職業訓練所と競合する事になるのだな」

 ジョン殿下が沈痛な面持ちでジャンヌに告げる。

「聖教会工房は大きな痛手は無いでしょう。救貧院が有るところは教導派領地になりますから清貧派聖教会とは競合しないでしょう」

「そうですよ殿下。それよりも職業訓練所でアバカスも教えてくれるなら、私はその方が嬉しいのです」

 ジャンヌも微笑んでそう告げた。

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